大井川通信

大井川あたりの事ども

『三億円事件』 一橋文哉 1999

2002年の新潮文庫版で読む。ながらく積読だった。

僕にとって、三億円事件は特別な事件だ。小学校1年生(7歳の誕生日の直前)に隣町で発生した事件で、全国的な大ニュースになったし、その後の捜査の進展状況も話題になった。偽白バイが現金輸送車をだまして乗っ取る、という鮮やかな手法と未解決事件の神秘性もあって、ドキュメンタリーやドラマなどで何度も取り上げられてきた。

事件現場や犯人の逃走経路も、自宅から2キロメートルくらいの場所が舞台で、事件前から、府中刑務所の高い塀や武蔵国分寺跡の野原はなじみのある風景だったのだ。

この本は、事件の経緯についての詳細な記述があるから、そのおさらいとして面白かった。国分寺や府中の街並みに久しぶりに思いをはせることができた。ただ、独自取材に基づく推理の部分はどうなのか。

米軍と基地の存在を重要視しているのは、かつての街の様子をいくらか知るものにとってはリアリティがある。たしかに当時の報道では、タブーだったのかその辺は盲点になっていたような気がする。

犯行グループが三人で、主犯は元警官だというのは納得がいく。さらに主犯は家族を通じて、東芝とも銀行とも関係をもっている。個人が大きな組織に対するとき、その内部事情に通じているということは絶対条件だ。全くの部外者が巨大組織をだまして操るということは考えられない。しかし、主犯が父親(東芝の被害者)と妹(銀行の被害者)の恨みを晴らすという動機は少しできすぎている。

盗んだ三億円の札束という決定的な物証を、犯行グループの二人がそれぞれうかつにも知人に渡してしまい、30年後に知人を通じて別ルートで筆者の目に触れるところとなる、という奇跡を信じろという方が無理だろう。犯行に関連した盗難車の遺留品が、犯行グループの一人の恋人の失くしたイヤリングだったという下りには、思わず小説か、とつっこみたくなった。

警察でもないのに、アメリカ在住の主犯の男に対して、6時間にわたって取調べめいたことができたというのもリアリティを欠いている。筆者たちが驚嘆すべき取材力と幸運を持っていると信じることができなければ、ほとんどがフィクションだと思うしかない。

何より、事件の全貌とその後を、犯人グループ三人の友情物語として描いていることが、全体の説得力を落としているのだ。経歴も年齢も違う3人が、まだ戦後の傷跡と高度成長の混沌が支配している東京郊外で、一時の友情と協働の関係を結んだということはあるかもしれない。しかし、その思いを30年にわたって持ち続けたというストーリーには無理がある。その無理を押し通すには、筆者の文体は素朴で稚拙だ。

筆者は個人ではなく、匿名の取材グループであるようだ。やはり最終的に責任をとる個人の書き手が存在しないところでは、ドキュメントに信ぴょう性を与えることは難しいのかもしれない。

 

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