大井川通信

大井川あたりの事ども

水引と山頭火

昨年の冬から一年ぶりに東京の姉が来福した。僕は、この間、二度姉宅に泊っている。両親が亡くなって、実家も手放してからは、かつて僕の育った「家」の実体は、僕と姉との関係の中にかろうじて存在するのみになった。もしどちらか一方だけになった場合には、「家」の実体は消滅し、どちらかの記憶の中だけにとどまることになるだろう。

家が家屋敷と家系によってもう少し長続きする時代ならともかく、核家族の盛衰というものはこんなものなのだろう。叔父が亡くなって兄弟が自分だけになったときに、父親の口から似たような嘆きを聞いたことがある。

前回来たときには、姉は俳人山頭火に夢中で、近辺の山頭火の足跡を案内して回った。今回も阿吽の呼吸で市内の句碑(生前に建てられた唯一のものだそうだ)に再度立ち寄って喜ばれた。

姉の本好き、文学好きは明らかに父親の影響だろう。ここ数年は、創作水引の教室に通って、それを生きがいにしているようだ。空き時間にも水引細工に余念がない。小物の制作が好きだった母親の気質を受け継いでいるのだ。今回は天候に恵まれなかったので遠出はしないで、僕がいつもいくカフェで時間をつぶしたりした。

僕は相変わらず持参した複数の本をちょこちょこと読んでいたが、姉は、彩り豊かな水引をこねくり回している。東京のカフェでも同じ作業をしているそうだ。遠く九州の田舎町のモールのカフェで、初老になった姉弟が向き合って、まったり時間をつぶしている。場所と形が変わったとはいえ、ここにかつての実家はまちがいなく存在しているのだろう。