大井川通信

大井川あたりの事ども

『山びこ学校』 無着成恭編 1951

この著名な本も、戦後50年を区切りに岩波文庫に入った当時手に入れて、四半世紀の積読を経てようやく読了した。同じころ話題になった『月明学校』を先日読んだことがきっかけだが、『やまびこ学校』の方が反響も大きく、後世への影響もずっと大きかったというのは納得できた。

『月明学校』は若い女教師が成長する私小説としての面白さがあるが、『やまびこ学校』は無着成恭(1927-)の担任した学級全員による文集であり、子どもたちの生の声がふんだんに入っている。子供たちの作文を通じて、村の暮らしのリアルや、無着が行う教育の姿がありありと浮き上がる仕組みになっている。

その教育のありようは、おそろしくまっとうで感動的だ。子どもたち同士が話し合い、協力し合い、学校をよくするために、また村の暮らしをよくするために、自分たち自身や家族、村や社会の仕組みや矛盾とも向き合おうとする。

当時の子どもたちは相当きつい労働を役割として担いながら、書くことと話しあうことという言葉の実践を武器にして、自ら問いを立て、一歩一歩自分たちをとりまく現実にかかわっていく。

こんな実践を、教師として経験の未熟な無着が支えることができたのはなぜなのか。無着の指導が、子どもたちの心をとらえたのはなぜなのか。先輩教師の指導や生活綴り方運動の影響というのもあるのだろうが、戦後民主主義や戦後教育の理念、社会科という教科の本来の指導内容について、若い無着が素直に反応して本気で実現しようとしたことが大きいような気がする。

今でもこの理念や指導内容は、言葉としては継続している。ただしこの言葉を生きた理念として新鮮に受け取り、我が物にできるような「主体」(大人も子どもも)の側の条件が確実に変わってしまったのだろう。

『月明学校』と共通するのは山間の農村として、炭焼きが生業となっている点だ。炭焼きの実態が、子どもたちの版画や作文で描かれているのも、今となれば貴重な記録だ。

無着成恭は、その後東京多摩地区の明星学園の教師となったが、この学校には従兄が通学したこともあって僕にはなじみがある。ラジオでの子ども電話相談室の回答者としての知名度は完全に全国区だった。さらに、僕には思い出深い大分の泉福寺の住職を経験したというのも、不思議な縁を感じる。

無着のパブリックイメージは手垢にまみれているが、彼の原点となった作文集にはその垢を洗い落とすような無垢の力があった。

 

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