大井川通信

大井川あたりの事ども

大関さんの思い出

実家のあった国立は、碁盤の目のように区画された住宅街で、道一本はさんだ向かい側の区画には、都営住宅が並んでいた。小さな木造の平屋が密集していて、その間を細い通路が何本か走っている。下水の匂いがする湿っぽい路地は、子どもにとっては迷路のような場所だった。

都営住宅には、幼児からの親友だったクニちゃんの家があったが、その奥のバス停の目の前の家に、大関(おおぜき)さんの夫婦が住んでいた。

大関さんは、隣町のミシン工場の父親の同僚で、父親と気が合ったのか、家族ぐるみの付き合いをしていた。もしかすると、その工場に入社する以前からの友人だったかもしれない。大関さんのお父さんは詩人の大関五郎(1895-1948)だと父親から聞いたことがある。年齢の割にはちょっと垢抜けて、おしゃれな感じのする人だった。

大関さんの息子さんは外国航路の船員をしていて実際に顔を合したことがなく、父親に連れられて遊びに行った茶の間には、動物のはく製などの外国のお土産が並んでいて不気味だったのを覚えている。

奥さんは旦那さんより年上の人で、白髪交じりの髪を後ろに束ねており、少し足を引きずって歩いていた。奥さんだけが家に来て母と話すこともあった。

やがて親たちの話から、大関さんに新しい彼女ができたことを知った。市内の大学のグラウンドのベンチで女の人と話をする大関さんの姿を、木陰からドキドキしながらのぞき見た記憶がある。

その後、大関さんは離婚して、家から出て行ってしまった。しばらくしてから、大関さんの奥さんが、関西の息子さんのところに引っ越すからと別れのあいさつにやってきた。その頃は、僕ももう中学生か高校生くらいになっていたと思う。その時の奥さんの姿が記憶に残っている。それきり両親からも大関さんの話は聞いたことはない。