大井川通信

大井川あたりの事ども

続・大関さんの思い出

三年半先に生まれた姉は、子どもの頃の実家の情報を僕よりもずっとたくさん持っていている。電話で大関さんの話を聞くと、僕が知らなかったり忘れていたりしたことを教えてくれた。

大関さんの奥さんは若い頃、踊り子(ダンサー)をしていて、足を悪くしてやめたそうだ。上品なしゃべり方をする人で、姉の印象では、父親は大関さん以上に奥さんに好感をもっていたらしい。名古屋の出身らしく、引っ越し先も名古屋の息子さんの家だったようだ。

年長の大関さんには父も礼儀正しく対していたが、癖の強い人だともいっていたそうだ。大関さんはミシン会社を退職後に書道の先生をしていたそうだから、父とは書の話題や、戦争体験のことで話があっていたのではないかというのが姉の推測だ。

大関さんの息子さんは、遠洋漁業のマグロの船にのっていて、家に帰っていた息子さんに姉は偶然顔を合わせたそうだ。家が狭いから押し入れに寝ていたとのこと。大関さんの家の気味の悪いコレクションは、やはり息子さんのお土産で、姉はコブラのはく製のことを覚えていた。

大関さんの浮気相手は、近所の耳鼻科の受付で働いていた人で、姉が言うには全然きれいな人じゃなかったとのこと。近所でデートを重ねたうえで、やはり再婚したらしい。

そういえば、と姉。大関さんには自殺した娘さんがいたという。もし娘さんが生きていたら、離婚にはならなかったかもしれないと。そして親の作った僕の写真アルバムに、大関さんの娘さんの写真が貼ってあることを思い出してくれた。僕はすっかり忘れていたが。

確かめると、大関さん親子が並んで座り二人に抱っこされた赤ちゃんの僕の写真があった。娘さんにはどこか奥さんの面影がある。アルバムには父の肉筆のコメントが書き込まれている。「大関さん父娘と。おねいさんは一ヶ月後に亡くなった。可愛がって呉れたー」

半世紀ぶりに、思いがけず笑顔の大関さんと対面する。実際に経験した現実には無数の細部があり、それらは思い出されることなく無限に堆積していることを実感。