大井川通信

大井川あたりの事ども

下町のキツネツキ

豊田正子の綴り方を読むと、戦前の庶民の暮らしの中で、キツネツキ現象がいかに身近なものであったかがわかる。子どもの目には、物珍しく題材に選びやすかったということもあるかもしれない。岩波文庫版『綴方教室』の中から、神がかりやキツネツキの女性を取り上げてみよう。

「おりえのおばさん」は、家を出された近所のおばさんが、神がかりになって元の旦那に会いに来たという話。旦那にはすでに若い後妻がいる。離婚の原因が神がかりにあったのか、離婚のつらさでそうなってしまったのかはわからない。涙をぼろぼろこぼしながら「キリスト教の神様」に祈りをささげる女性の稚拙なふるまいは、子どもの目には異常なものに映っても、やはり同情をさそう。

「きつねつき」は、引っ越す前の家で親切でやさしかった近所のおばさんが、銭湯の帰りに道がわからなくなって、夜中に墓地で見つかってからキツネツキになってしまったという話。イヒヒと気味悪く笑ったり、手でキツネのポーズをしたり、このおばさんの様子は伝統芸のようで堂に入っている。

夜中に突然訪問してきて、正子の母親に、私はこれから天国にいくというと、母が、もうおそいからダメですよというやり取りは漫才のようで面白い。翌朝、父親がどこかの神様に除霊のお祈りにいったが、キツネツキのおばさんがあまり毎晩やってくるので家を引っ越したというのは、キツネツキの存在を迷惑がりつつも一応は受入れている当時の人々の様子がうかがえて興味深い。

若いどろぼうについて書いた「小山田三郎」では、小山田を家に紹介した安田のおばさんの職業が「拝み屋」として紹介されている。南無妙法蓮華経を毎月15日に拝みに来るというから、庶民の家にもそういう需要があったのだろう。話の初めの方で、彼女は家出で姿を消してしまう。

名作「粘土のお面」では、正子が泊まりに行った担任教師の家の隣のおばさんが、近ごろキツネツキになったという。イヒヒという不気味な笑いや情緒不安定、キツネのポーズで正子を驚かすところなど、「きつねつき」でのおばさんと似ているのは、これがキツネツキの定型だからなのか。家の家事は娘さんがやるようになったと書いているので、当時キツネツキになることには労働が免除されるという隠れた特権があったのかもしれない。