大井川通信

大井川あたりの事ども

名馬の引退

12日の京都記念に出走して競争中止になったエフフォーリアが、引退し種牡馬入りすることが決まった。

僕が競馬をリアルタイム(テレビ中継)で見始めたのが一昨年の天皇賞(秋)で、今から振り返ると、エフフォーリアがピークの実力を誇って圧倒的な強さを見せたレースだった。

競馬をよく知らない僕はその時適当に短距離女王のグランアレグリアの応援をしようと決めて、以後彼女のファンになるのだが、そのために、エフフォーリアは僕の中では憎らしいほど強い敵役になった。エフフォーリアが連勝した有馬記念でも、牝馬のクロノジェネシスを応援したくらいだった。

ところが年が明けてから、エフフォーリアはまるで走らなくなる。ネット上でも、ファンの強気の姿勢は影をひそめ、アンチの批判が声高に響くようになった。

馬に対する過剰な愛情や憎悪の存在をまざまざと知ったのも、この馬を通じてだったような気がする。その秘密は、わずか数分足らずのレース(特に最終コーナーを回ってからの数十秒)に一頭の馬にわが身を一体化して応援する(馬になりきる)という「フロー体験」のゆえだろう。この白熱する没入の度合いが(ここには当然お金もからんでくる)馬への特別な感情をみなぎらせる。

引退した競走馬は、こうした毀誉褒貶の激しい世界から逃れることができるが、命を長らえることができるのは、ごく少数の種牡馬繁殖牝馬だけだ。多くの凡庸な馬は、行方不明という名目で、経済動物の論理に従ってこの世から消え去っていく。

名馬エフフォーリアは、これから種牡馬としての第二の馬生を送ることになり、年間数百頭に種付けをする生活が待っている。エフフォーリアに憑依した競馬ファンの魂は、彼の子ども(産駒)にとりついて再び馬群の先頭を駆けることを夢見るのだ。