大井川通信

大井川あたりの事ども

森崎和江を読む(勉強会レジュメ用編集版)

【『まっくら-おんな坑夫からの聞き書き』 森崎和江 1961】

どんな悲惨な労働や生活が語られていても、著者のインタビューを受けるのは、それをこなして生き延びてきた精神的な強者たちである。「その姿には階級と民族と女とが、虹のようにひらいている」女たちをこそ、森崎さんが求めていたためだろう。

「日本の土のうえで奇型な虫のように生きている私を、最終的に焼きほろぼすものがほしかった」という著者の聞き書きに向かう動機は、どんなに切実なものであったにしろ、やはり倒錯しているとしかいいようがない。一緒に活動していた谷川雁上野英信ら男たちの階級闘争史観のバイアスも当然著者は共有している。

読書会では、各章の末尾の著者の解題が上から目線だったり矛盾した見解を語っていたりして作品としての出来を損ねているという意見もあった。しかし、それは今の時代から振り返ってのないものねだりだろう。そうしたデコボコやジグザグを通して見えてくるのが一人の思想家の動かしがたい歩みなのだろうから。

 

【『日本断層論』 森崎和江中島岳志 2011】

日記をみると、僕は2012年に、福岡女子大で森崎和江さんの講演を聞いている。その時、この本にサインをいただいて、宗像在住だというと「あそびにいらっしゃい」と声をかけてくれた。その2年後に、隣町の里山を縦走して疲れ切った帰り道で、たまたま森崎さんに出会い、招かれて居間でお話をした。この本を読むと、筑豊在住の頃、谷川雁や森崎さんを訪ねてくる名も知らない若者を家に泊めることがよくあったそうだから、そんな応接は森崎さんの変わらない流儀だったのだと気づく。

この小著が森崎和江入門として優れているのは中島岳志の行き届いたリードのおかげだが、優秀な男性学者にありがちな理論に淫するような傾向もあって、きれいにまとめすぎている印象も受ける。だから時々、森崎さんの肉声がそれを(意図せずに)跳ね返す場面があって、そこが見どころになっている。

たとえば、歴史的に重要な事件として、中島は60年安保についての見解を聞こうとする。たしかに同時代の思想家で安保に一家言もたない者など考えられないだろう。それに対して森崎さんは「私、安保には関わってないもん」とまるで取り合おうとしない。あるいは、現在の非正規労働やネットカフェ難民などの社会問題を切り出す中島に対して、「私の孫なんか、そんな社会に入っていかなくちゃいけないんですね」とまるで、そこらへんの普通のおばさんが言うような応答をする。

おそらく、このあたりの言語感覚、皮膚感覚、身体性のあり様が、森崎さんの巧まざる強みなのだろうと感心する。

 

【『いのちの自然』 森崎和江 2014】

森崎さんの晩年に編集された詩やエッセイのアンソロジー。何より、晩年の未公開詩篇が収録されているのが、ありがたい。ごく身近な生活圏内の出来事が、平易な言葉で素直に表現されていて読みやすい。一生追いかけた思想上のテーマもストレートに吐露されている。「かつての植民地朝鮮に生まれ/あの大自然を愛し育った原罪意識を/日本列島の各地で/方言で働き暮らす方々を訪ねつつ/なんとか一人前の日本の女へと/生き直したいと 旅を続けて五十年」(「ありがとう」部分)

 

つくつくほうしが鳴ききそう/となりの庭木で/わが家の庭木で

夕風そよぐ机のまえで/こころたのしや 待っている

西にひろがる里山の/そのあちらへと太陽のかくれるころを

すず虫 まつ虫のコーラスへと/今日のわたしが歩きます

すず虫たちの いのちのうた/ひろがる青田にひびきます/流れる小川にひびきます

残光かがやく空のもと/サングラスにたすけられ/稲穂の芽立つ青田の道を歩きます

夕影ふかい里山の/天空ひろびろ/無量の風が吹きわたる (森崎和江「青田の道」)

 

同じ里山の開発団地の近所に住んでいるからわかる。この詩の里山も青田も天空も大井のものだ。そしてこの小川は、まちがいなく大井川のことだろう。晩年の数十年間、森崎さんが歩いた青田の道。同じ道を僕も歩き続けたいと思う。