大井川通信

大井川あたりの事ども

安部さんの文集の準備をする

ゴールデンウイークはカレンダーどおりだが、長男が帰宅したり、知人の結婚式に出たりする以外特別なイベントもないから、時間はたっぷりある。カフェやファミレスにできるだけ長くいて勤勉な時間を確保するだけでなく、自室も整理して、自宅でも作業しやすい環境を作ろう。

それで何をやるか。安部さんの追悼冊子の原稿をまとめることを思いついた。こんな機会でも利用しないと、このまま手つかずに終わってしまいそうだ。

もう10年以上前になるが、安部さんから「出版基金A」を立ち上げるから協力してほしいと依頼があった。結局ほとんど稼働しなかったのだが、その残金の口座を預かったままになっている。遺族の方からは、安部さんがその口座にある程度の金額を追加入金したいというメモを残していたことを聞かされた。だとしたら、遺稿文集を出版しろということだろうと僕は了解した。

ただよく話を聞くと、安部さんの意志もそこまで明確だったわけでないことがわかり、その話は立ち消えになった。しかし、少額の基金の残金は手元にある。もともとその予算の範囲で追悼のために何かを作りたいと考えてはいたのだ。

それで、安部さんの文章が載った新聞の切り抜きやパンフレットを整理して一覧表にまとめたりもしていたのだが、そこから抽出して文集を作るのは簡単ではない。ただ、今でもそういう区切りにどんな意味があるかはわからないが、初盆まで、とか、一周忌まで、には形にしておきたいという気もする。

幸いなことに、安部さんが匿名で、書いたものをネット上に公開していることに気づいた。それらをながめながら、おおよその方針を決めることができた。

メインは「ブラウン氏のおもいで」という連作エッセイだ。安部さんの友人だった日本在住の米国人学者の日常を描いて読みやすいし、安部さんの充実期の文章といえる。安部さんが若い頃参加していた同人誌『ピストル』が2011年に復刊されて、そこに連載されたものだが、原稿全部が発表されたかは確認できていないし、それほど多くの人の目に触れてはいないはずだ。中田浩というおそらく同人誌時代のペンネームを使っているが、私小説といえる内容なので本名での公表も問題ないだろう。

映画論として、1995年から1997年にかけてミニコミに投稿した「映画を生きる」というシリーズの文章を併せて収録したい。安部さんには新聞の映画評がずいぶんあるが、作品の紹介という制約があってやや堅苦しい。このシリーズは、思いつくままにざっくばらんに書いているので、安部さんの語りの呼吸や肉声までがうかがえて、知り合いにはうれしいと思う。古い文章だけに目にした人はほとんどいないはずだ。

現代美術についての文章は、新聞や展覧会パンフレットにずいぶんあるが、作品から切り離して文章だけを取り出すのは映画評以上に難しい気がする。朝日新聞の美術の年間回顧記事(安部さんは1995年から98年まで担当している)が、記述の客観性や記録性もあっていいのかもしれない。安部さんもこの仕事にはずいぶん力を入れていたみたいだから、美術の分野を入れるとすればこれだろう。一つ選ぶなら、セカンドプラネットや鈴木淳、原田俊宏など僕にもなじみのある作家の紹介を含む1997年の回顧記事が読みやすく、優れている。

最後は、安部さんの「最晩年」の境地がうかがえる文章「受け入れる勁さ」をもってこよう。玉乃井のお話会でのレジュメにも要約して転載されているが、僕との玉乃井塾でのオリジナルの文章の方がていねいでわかりやすい。ここで、近年の三つの映画評が引用されているから、90年代の「映画を生きる」を補うものにもなるだろう。

そして末尾には、玉乃井お話会での「自筆年表」を。下手な編集後記など入れずに、個人名もなく「出版基金A」のクレジットだけでいい。

タイトルは、やはり「ブラウン氏のおもいで」だろうか。副題は「安部文範文集」で。一応これで「文学、映画、美術、生」を軸にした編集にはなる。少部数を知人に配布するだけだが、著作権の問題などもあるのだろうか。ゲリラ的に押し切ってもいいけれど。