大井川通信

大井川あたりの事ども

『ベンヤミン「歴史哲学テーゼ」精読』 今村仁司 2000

岩波現代文庫で出版された当時にすぐに読んだようで、読了日に添えて一言「よかった」とメモしている。今回23年ぶりに再読して、「さらにとてもよかった」と書き添えた。

薄めの文庫だが、第1部は「方法について」と題して、ベンヤミンの思考の方法について、今村先生が正面から論じている。その次に「歴史哲学テーゼ」として知られるベンヤミンの18個のテーゼ(「歴史の概念について」)の翻訳をはさんで、第2部は、テーゼの本文に即して解説と解釈が加えられる。第3部は、時間論の角度からの短い補論。

ベンヤミンの歴史哲学テーゼは、僕には不思議な文章だ。学生の頃から読んでいるからなのかもしれないが、時代と文化圏の違いをこえて、あいまいだったり不明だったりするところがほとんどなく、きわめて明瞭で、腑に落ちることだけが書かれている印象なのだ。表面的には、非常識で特異な主張が展開されているにもかかわらず。

今回もその印象が変わらないばかりか、ますます納得してしまった。しかも、今度の読み直しでは、今村先生の解釈についても強く印象付けられた。

今村先生の読解理論の特徴は正攻法の変形的読解で、神秘的なところやあいまいなところを残さない。その無骨な今村理論は、繊細なベンヤミン解釈とは相性がよくないような気がしていたのだ。ところがそんなことはなかった。今村先生による概念化は、ベンヤミンの身振りやムードをまねるためではなく、実際にそれを使って歴史的な現実に向かっていくときに役立つように工夫されていたのだ。

例えば、僕が大井川周辺で埋もれている歴史的事実や自然のありように驚き、認識の切り口を入れていくとする。僕はそこに次々に、驚くような人々のエピソードや自然の営みを見つけて、個々を記述していく。それらの発見がおのずからつながっていくことで姿を現していく新たな地図は、この地域の歴史とこれからにとって多少とも意味をもつのではないか。

地元での僕の活動は、今村先生のベンヤミン解釈(改作)によってこそ説明が付くし、その後押しがなされるものであるように思えた。僕は人生の残された時間、安心して今村門下生を自称することができそうだ。

今村先生が亡くなって、今日で16年。