廣松渉の忌日に、今年は、この薄い対談集を手に取った。朝日出版社の派手な装丁のエピステーメー叢書の一冊で、1980年前後の時代がしのばれる。
たまにページをめくることがあっても、読み通したことはなかった。若い頃に比べれば、仏教や宗教へ関心をもって多少の勉強をするようになったので何とかなると思ったが、とくに前半は仏教哲学の専門的な議論が読みにくい事には変わりはなかった。
それでも廣松さんが、廣松哲学の論法で、豪快かつにぎにぎしく議論の道筋を通してくれるので、なんとなくわかった気にはなる。二人は学生時代からの知り合いらしく、後半になると、二人の丁々発止とした遠慮ない応酬があって面白い。廣松さん得意の下ネタまで顔をのぞかせる。以下は、僕にも納得の仏教批評。
「分類は非常によくおやりになる。いやになるぐらい分類はおやりになるんだけれども、そしてその分類されたものがまた統一されているということもおっしゃるんだけれども、分類と結合がまだまだ平面的な感じがするんですね」
「(ユダヤ・キリスト教のような)自給自足的生産の思想という面がどうも仏教にはなさそうで、喜捨してくれる在家の信徒ないしシンパがいないことにはサンガが成立しない。だから地上的世界で万人をサンガという信徒共同体、理想的共同体に結集するような社会構造にしようというコミュニズムはそこからは出てない」
来年は、廣松さんが亡くなってから30年だ。僕も先生の没年を越えて馬齢を重ねているが、入門書や対談集でお茶を濁すのではなく、来年こそ主著に挑みたい。