大井川通信

大井川あたりの事ども

『ふるさとの生活』 宮本常一 1950 

あらためて名著『失われた日本人』を読んでみたら、とてもよかったので、手持ちの宮本常一の本から、読みやすそうな本を手に取った。もともと関心があったためか、書棚の奥に積読本が何冊もあることに驚いた。

戦後すぐに子どもむけに書かれているが、戦後新設された教科「社会科」にも活用される場面もあったようで、ふるさとの歴史を調べることで祖先の歩みに共感し、そこから暮らしを再出発させようという熱い思いをもった本である。

第1章が「ほろびた村」から始まるのが印象的だ。著者が、山深い場所の廃村を訪ねる場面がまず描かれるのだ。第2章が「人々の移動」。第3章になって、ようやく「今の村のおこり」があつかわれる。

これは、著者が日本の津々浦々を歩き、調べることで、列島における人々の移動と開拓の歴史を探り当ててきたことの証だろう。ふるさとの生活をとらえる視点の射程が広く、かつ深いのだ。おかげで、前半の章は夢中になってよむことができた。

しかし、後半の「暮らしのたて方」以下の章になると、農村の暮らしに関する著者の該博な知識(様々な地域の風習や呼び名の違いなど)が披瀝されて、とたんに読書のスピードが落ちてしまった。これは、柳田国男が前書きで「ただあるいは熱心のあまり、すこし早口に、話の数を並べすぎたかもしれぬ」と危惧する事情によるのかもしれない。

ただ問題は、僕の側が農村の暮らしの基礎知識を実感として欠いているという点にあるのだろうと思う。終戦直後の農村の子どもたちにとって、これらの話題は、はるかになじみやすかったはずだからだ。

ここには、協力し合って働き続けなければ成り立たなかった人々の暮らしが共感と愛着をもって描かれている。これが、僕たちの祖先のついこの間までの姿なのだ。近頃ネットなどで、都会人の地方への移住トラブルに関して、田舎暮らしの不自由さやうっとうしさや閉鎖性を表面的に叩く言葉を見ることが多い。その短慮には、悲しい思いがする。