大井川通信

大井川あたりの事ども

国東半島の電波少年

吉田さんとの勉強会「宮司の会」も今回で60回。コロナ禍等で出来なかった何回かをのぞけば毎月実施しているから、ほぼ5年続けたことになる。

2005年から始めた安部さんとの「9月の会」が、57回続いたので、それを越えることをぼんやり目標にしていたところもある。もっとも9月の会は、途中で長い中断があったりで10年以上かかってしまった。世代も志向も違う安部さんとの会は、どうしても一方通行的なものになりがちで、僕のモチベーション次第というところがあった。

宮司の会の方は、同世代という共通のベースがありながら経験や志向に大きな違いがあり、それがうまく互いのリスペクトの基になっていて、双方向的な学びが可能だという良さがある。有り難いことに、吉田さんの方も僕と同じくらい勉強会の意義を感じてくれているようだ。

僕は、それなりに関心の幅がひろく、あちこちからネタを拾って小文にまとめることは得意だけれども、探求は浅いし、持続力もない。一方、吉田さんは関心の幅が広いだけではなく、関心領域への打ち込み方や執着力は徹底しており、それゆえ容易にまとめにはいたらない。

吉田さんは、僕の小ネタをひろってそれをまとめる能力に関心をもってくれて、僕の方は、吉田さんの探求力に凄みを感じている、というわけだ。互いに自分にないものをリスペクトしているから、よい関係を維持できるのだろう。

僕は、会を重ねても新鮮なネタを提供することを心がけているが、それは意図的、自覚的なふるまいだ。ねらってやっていることになる。ところが、吉田さんはまったく「天然」の探求者なので、さりげなく話題にすることが、本人の意図とは関係なく僕を驚かせることがしばしばだ。

今回も、60回目にして初めて聞いてびっくりしたことがあった。

吉田さんが子どもの頃、地元大分のテレビ番組の全放送の記録を詳細にとっていたことは、勉強会の中ですでに驚かされたことだった。ところが、今回僕が国東行の話をすると、吉田さんは、中学時代、中国地方や福岡の放送局の電波を求めて、しばしば国東市の本家を訪ねていたのだという。国東半島は瀬戸内海に面しているから、他地方の電波が入りやすかった。

国東半島には鉄道がないので、約50キロ、自転車で片道3時間の道のりだ。記録用のテープレコーダーを荷台に括り付けて、週末の度に国東に通ったという。しまいには、学校をさぼってテレビを見るために本家に居続けたこともあったという。特に文句はいわれなかったが、納屋の一室をあてがわれて、体裁が悪いから町に出歩かないでくれといわれたそうだ。

同じころの年頃の僕が、いくらお寺好きといっても、自転車での遠出で記憶に残っているのはせいぜい片道15キロくらいで、それでも自分ではまれな大遠征と思っていた。どだい行動力と発想のスケールが違うのだ。