大井川通信

大井川あたりの事ども

『清沢満之の哲学』(今村仁司 2004)を読む

今日は、今村先生の忌日。出版20年目にして初めて取り組む。

今村先生がこの本の前年に出した『清沢満之の思想』は読んだので、本格的な研究書の体裁をとった本書は敷居が高かったのだと思う。本書を評価した専門の仏教学者末木文美士でさえ「難解」と評していたことが頭にあったのかもしれない。

しかし、これから宗教について本格的に取り組むのなら、今村哲学の大著をスルーしたままにしておくわけにはいかない。そう思って手に取ったのだが、意外なことに読みやすかった。考えて見れば、今村先生の著作は学生時代から親しんでいるし、清沢満之の本もこの20年間は断続的に読み継いできて、僕の思考の中心軸をなしてきた。今村先生の清沢論が、すくなくとも僕にとってわかりにくいはずはないのだ。

数年前に、今村先生の最期の著作である『社会性の哲学』を読了していたのも大きかった。先生はこの主著において「覚醒倫理」の章を書き残していると書いているが、『清沢満之の哲学』は、清沢の仏教哲学に取り組むことで「覚醒倫理」の核心を先取的に描き出したものと言えるだろう。逝去の二年前と逝去の年に書き上げた二つの大著をあわせることで、今村先生の社会哲学の構想は完結する。思想家として見事な生き方だったと思う。

ところで、今のところ、この本の第一部までしか読むことはできていない。学生時代に戻って、何色かのマーカーを塗り、欄外に要点をまとめたりしながら、じっくり取り組んでいるからだ。

今村先生の清沢読解の延長線上に、今の僕は金光教の存在を常に意識しながら読み進めている。清沢のロジックは、仏教や浄土真宗の思想を西洋哲学のロジックと独自の構想によって極度に煮詰め単純化させたものだ。今村先生の読みによって、それはさらに鍛錬される。大地と人間の本性に根差した金光教の素直さが、うまくそれに対応するのだ。さらに自由に思索を進めたという第二部が楽しみだ。