大井川通信

大井川あたりの事ども

荷風の寺院観

永井荷風は『日和下駄』で一章をもうけて「寺」を論じている。街歩きのプロかつ文章の達人であり、感受性のかたまりのような荷風だけあって、お寺や神社に対する見方は多面的かつ繊細で、本質をつかみ取っている。小学生の頃から寺歩きが好きで、古建築の研究者になりたかった僕にも共感できるところばかりだ。

まっさきに荷風は、屋根の魅力を語る。「怪異なる鬼瓦を起点として奔流の如く傾斜する寺院の瓦屋根はこれを下から打仰ぐ時も、或はこれを上から見下す時も共に言うべからざる爽快の感を催させる」と。そして欧米の建築でこの「雄大な美感」を起こさせてるもの見たことがないという。

日本の寺院建築は、中世建築の軒ぞりの美しさは言うまでもないが、江戸時代ともなると設計・施工が標準化されたためにバランスが悪くなり、屋根が大きくボリュームがありすぎる感もある。それを「奔流の如く傾斜する」と表現する荷風の目の付け所はさすがだ。

次に風景との調和をいう。「日本寺院の建築は山に河に村に都に、いかなる処に於いても、必ず其の周囲の風景と樹木と、また空の色とに調和して、ここに日本固有の風景美を組織している」と。空の色との調和までは僕も思い及ばなかった。

ただ何より納得するのは、寺院の境内の空間が鑑賞の楽しみを増していることを指摘する点だ。遠くから寺院の門をながめ、また近づいてからは門を「額縁」にして境内をうかがい、また境内からは振り返って門の外の景色を楽しむ。いくつかの門や鳥居が作り出す「距離」こそが肝心なのだ。

「日本の神社と寺院とは其の建築と地勢と樹木との真に複雑なる総合美術である。されば境内の老樹にしてもし其の一株(いっしゅ)を枯死せしむれば、全体より見て容易に修繕しがたき破損を来さしめた訳である」

まさにそのとおり。氏子によって無残に神木を切り倒され、幽邃な雰囲気を失った大井の氏神を思い、やりきれない気持ちになる。