大井川通信

大井川あたりの事ども

『伝説』 柳田国男 1940

柳田国男(1875-1962)は、『遠野物語』等の読み物と他者による評論や解説書などを読んでわかった気がしていたが、きちんとした論文や著作は読んでこなかったことに気づかされる。戦前の岩波新書で、表記やレイアウト等が読みにくいということもあるのだが、薄い本であるにもかかわらず、とても読みにくかった。ある独特の問題設定をもっていて情熱をこめてしつこく書いているのだが、それが(今になってみると)とても受け取りにくいのだ。そういう意味では、やはりすごい、特別な人だという印象。

大井川周辺で採集した「伝説」を整理しようとして、まず手に取ったのは民俗学の論文集『記憶する民族社会』だった。数年前に読んだ時に、刺激を受けこれは使えると思っていたのだ。とくに梅野光興さんの論文が良かった。民俗社会における「伝説」の生成と変化を説得力のある形で描き出している。

まずは、社会の不可解な出来事が発生する。すると人々は宗教者による「託宣」等によって過去から想像上の原因を探し出して物語化(解釈)して納得・解決しようとする。こうした物語は、記憶装置(場所、モノ、習俗、儀礼)によって「伝説」として保持される。しかしこの伝説は、次なる解釈(再解釈・編集)にさらされていく。

この「出来事→解釈=記憶装置→再解釈→ 」というプロセスは、大井川流域の伝説にも適用可能だ。この論文の冒頭に柳田国男の伝説解釈について触れていたために、積読だったこの新書を手に取ってみたのだ。

柳田は、昔話を伝説との違いを、土地と結びついており、それが事実であったと信じられているかどうかに見ようとする。伝説は、それを言い伝えている人たちにとって自分たちの地域や家の歴史上の事実だと信じられている。この伝承者の内面にそそぐまなざしの繊細さと熱量が、柳田のスタンスを独特なものにしている。つまり、その一点を手掛かりにして、場合によっては千年以上の時をさかのぼり、日本人の古い神観念や信仰を探ろうというのだ。これは壮大な形而上学的な構想である。

だから柳田は、歴史や史学等の影響による様々な変化のあとをたどっていけば、伝説の原型のようなものにたどり着けると主張する。日本全土に残されている伝説の比較研究によってそれが可能だと。とてつもなくスケールの大きな「伝説」解釈だ。

しかし、地元の伝説を具体的に理解するために役立つのは、梅野論文におけるような切れ味鋭い小刀だ。そのことがわかっただけでも、意味のある読書だった。