大井川通信

大井川あたりの事ども

『神様の涙』 渡辺順一 2012

金光教徒社の「みち」シリーズの一冊。このシリーズを読むのは3冊目だが、読み応えのある本ばかりだ。すっきりした新書サイズの装丁もよい。

第一部では、著者は自分史を振り返りながら、金光教の神とその出会いを率直に語っている。短いが魂のこもった文章だ。一方、第二部では、歴史的な事実に即して、金光大神をはじめとする様々なテクストを読み込みながら、独特な角度で金光教の本質に切り込んでいる。なめらかなストーリーになっておらず、ぎくしゃくとしている分だけかえって立ち止まって考えることを誘われるようだ。だから、僕も、自分の関心に即して断片的な紹介をしてみたい。

タイトルの「神様の涙」とは誰の涙なのか。これは生神金光大神ではなく、天地金乃神の「涙」である。天地金乃神には「口」がない。だから、金光大神が登場することで、初めて自身の意思をこの世に現すことができて、氏子を助けることができるようになったのである。それまでは神はなすすべもなく涙を流すことしかできなかった。いや、正確にいえば涙さえ知らなかったのではないか。

このあたりのことは教祖の伝記や教典に書かれているエピソードだが、ここに注目したのは鋭いと思う。僕なりの解釈はこうだ。この世界(宇宙)は、命をはぐくむとともにそれを無残に奪うという両面を持っている。人間的な基準からいえば、善悪をあわせもち、慈愛の神であるとともに荒ぶる神でもある。

ではこの世界に産み落とされたものはどうしたらいいのだろうか。リアルにいえば、この世の善と悪に翻弄されつつ歩みをすすめるしかないだろう。しかしこの世の善を絶対のものとして信じるという生き方もあるはずだ。善悪とは究極には解釈(わが心)の問題なのだから。

金光大神は、実意丁寧な生き方により、世界にいわば「目鼻口」をつけて、世界全体を善意の神として生まれ変わらせた存在だ。こうして初めて、神は人々の幸せを喜び、その不幸に涙をながすことができるようになった。

悪に取り囲まれた難儀な氏子に、善意の神を出会わせるのが、金光大神の取次である。しかしいったんこの取次が成立し、悪を善に転換する回路(みち)が出来上がると、その取次は誰もが行い、自ら媒介者としての生き神となることができる。

著者は、天地書付において金光大神と天地金乃神と氏子との「三者関係」のなかで「おかげ」が生み出されることが明確に定式化されたと述べているが、これはきわめて重要な指摘であると思う。

著者の渡辺順一さん(1956-2023)は、金光教の教会長であると同時に、優れた教学者でもあり、ホームレス支援などの実践にとりくんでいた。井手先生も懇意にされていたという。昨年7月に亡くなられたというのはとても残念だ。