今日は、岡庭昇さんの忌日だが、著書を読み返す余裕がない。思い出を振り返ることで追悼の意を表そう。
80年代の後半の頃だったろうか。岡庭さんをリーダーとするグループで、月に一回「同時代シンポジウム」という集まりが開かれていた。岡庭さんはそれ以前に「同時代批評」という批評誌を編集・出版していたのだが、それを引き継ぐ若い友人たちが運営する会だったと思う。岡庭さんの参加のない会もけっこうあったような気がする。
昔から有名人だった平岡正明の話を聞いたのもこの会だった。文芸批評の高橋敏夫もまだ若く、明晰なしゃべりに関心したのを覚えている。彼はその後早稲田大学文学部の名物教授になった。先日亡くなった小説家の梁石日(ヤン・ソギル)は、参加者としてよく顔を見せていたと思う。評論家の野崎六助の姿も見た。だいぶ高齢だった法政大学の松田修氏の姿も印象に残っている。
まだネットなどない時代だから、案内もハガキやビラだった。池袋にも行ったが、後半は飯田橋の駅ビルの会場が多かった。当時僕も塾講師で自由の身だったから、今から思うと主催グループと交流をもっても良かったと思う。ただ当時の僕は、おっかなびっくりというか引っ込み思案で、そんな発想などまるで持ち合わせていなかった。
あるいはそれ以上に、すでにポストモダンの洗礼を受けていた僕は、岡庭さんたちのオールド新左翼としてのスタンスには距離を感じていたような気もする。同じころ、熱心に柄谷行人の講演会に聞きにいったりもしていたから。
90年に九州に転居したから、それ以降の同時代シンポの活動についてはわからない。
※参加記録と資料が残っていたので、以下メモする。
・1988年3月26日「大根航空機事件」山川暁夫、梁石日
・1988年6月25日「コメの輸入問題」岡庭昇
・1988年9月24日「三宅島」早川登
・1988年10月22日「天皇と想像力」松田修、中泉憲、岡庭昇
・1988年12月24日「日本的近代の成立」中泉憲、高橋敏夫、岡庭昇
・1989年2月25日「日常の中の放射能」岡庭昇
・1989年4月22日「天皇報道」矢崎泰久、岡留安則、佐高信
・1989年6月17日「交通冤罪事件」高山俊吉、岡庭昇
・1989年9月16日「学校化社会」いいだもも