大井川通信

大井川あたりの事ども

高倉寺観音堂 埼玉県入間市(禅宗様建築ノート13)

入間の高倉寺(こうそうじ)は、東村山の正福寺に次ぐ、僕の禅宗様の聖地である。

従来、禅宗様仏殿の典型は、方三間モコシ付きとされ、その代表作である円覚寺舎利殿と並ぶ正福寺地蔵堂が多摩地区の近所にあったことが、僕が禅宗様建築にのめりこむきっかけとなった。京都、奈良などの古都に比べて、武蔵野、多摩には、木造建築の文化財が極端に乏しいのだ。正福寺地蔵堂は、東京都で唯一の国宝建築物である。

ところで禅宗様では、モコシのつかない簡略な三間堂が全国に多く残されている。正面からみて四本の柱(三つの柱間)をもつ正方形のお堂だ。こちらも中世の遺構が身近な武蔵野に残されていて、それが重要文化財の高倉寺観音堂室町時代初期)だったのだ。

とはいえ、埼玉県で距離のある高倉寺には、正福寺ほど足しげく通ったわけではない。残された記録でみると、中学か高校時代に撮ったモノクロ写真があり、大学時代に撮ったカラー写真がある。この時は、お寺の人に頼んで特別に内部を見学させてもらったので、堂内の写真が何枚もある。鍵を開けてもらったあとは、自由に見ることができた記憶がある。禅宗様らしい緻密な内部架構を味わえたが、床が張られていることもあって天井の高さが感じられずにどうにも狭苦しい印象だった。

89年5月の日付のあるカラー写真には母や姉も写っているので、車に家族をのせて訪れたのだろう。この時は堂の周囲に柵がまだなく縁に上がった僕の姿も撮られている。禅宗様は通常土間から柱を立てるので床の張らないが、高倉寺仏殿が床と縁を備えているのは関東の禅宗様仏殿の特徴らしい。

こうして、今回の訪問がおよそ25年ぶりの4回めということになる。境内もずいぶん整備されてこぎれいになり、仏殿の周りにも低い鉄柵がめぐらされて、気軽に内部拝観をお願いする雰囲気にはないのは、文化財保護の観点からも仕方がないだろう。

この堂が、正規の禅宗様方三間堂とずいぶん印象を異にしているのは、なにより分厚くボリュームのある銅板葺の屋根の形状だ。軒が極端に深く広々としているが、こんなふうに銅板でカヤブキのイメージを再現したお堂は、他では見た記憶がない。

創建当時がカヤブキと判断されたために復元にあたり「茅葺様銅板葺」が選ばれたようだ。このため屋根のラインが他の禅宗様のようにシャープではなく、ゆったりとおおらかな形になっている。これが縁と床のラインとも相まって柔らかい表情を作っているのだ。もちろん軒下は二手先の詰組で支え、壁面は三方に桟唐戸(さんからど)と弓形の欄間を配し、両側面に花頭窓(かとうまど)を設けるなど、禅宗様の雰囲気は十分に濃厚だ。

はじめは多少違和感のあったこのスタイルが、見慣れた今となっては唯一無二の魅力あるものと思えるようになった。入間の高台の上に鎮座するこの美しい堂がいつまでも変わらぬ姿であることを祈る。