2017-02-20 ハクセキレイ 鳥たち 歩道の脇の空き地で、妻の投げるお菓子のかけらをトコトコ走り回ってひろっていた。河原などに住み、長い尾羽を上下に振り続ける姿から、イシタタキと呼ばれた彼ら。街中のアスファルトの上を好むのはわかるが、この人懐っこさはどこから来ているのだろう?
2017-02-19 介護職員研修 教育 特別支援学校の高等部を、次男がこの春卒業する。なんとか希望通りに、老人介護施設に就職できそうで、来週から、資格取得の講座に通うことになった。 下見のために、会場になる大学に通う道を夫婦と次男で歩く。短期間でも大学に通えるので、彼も気合いが入っている。 大学の正門前で、長男の大学入学の時のように、家族で記念撮影した。
2017-02-18 罵詈雑言 思想家たち 岡庭と吉本⑥ 吉本隆明は、論敵に対して、レッテル貼りや決めつけなどして、激しい口調で罵倒することもいとわなかった。それに拍手喝采する向きもあったようだ。 岡庭昇は、吉本の罵倒の被害者でもあったのだが、全方位に向けた「徹底粉砕」では負けていなかった。
2017-02-17 宗教論 思想家たち 岡庭と吉本⑤ 吉本隆明は、キリスト教や仏教を広く論じて宗教論集成を出版しているが、90年代には、オウム真理教の麻原彰晃を擁護する発言で物議をかもした。 岡庭昇は、メディア批判や社会批判の一方、創価学会を擁護する立場を明らかにし、池田大作を論じた本を執筆している。
2017-02-16 ポストモダン 思想家たち 岡庭と吉本④ 吉本隆明は、オイルショック以後の社会の変化を受けて、批評のスタンスを変更した。『マスイメージ論』で大衆文化を論じ、先進国が「超資本主義」へ入った時代を独自の視点でとらえるようになる。 同じころ、岡庭昇も狭義の文芸評論の枠組みから出て、文化批判、メディア批判へと重心を移していく。さらに『飽食の予言』では、食の問題等の現実批判へと舵を切った。
2017-02-15 ヤドリギ 神々 散歩の途中、遺跡公園の落葉樹の高い枝に、そこだけ丸く葉が残ったところがあるのに気づいた。直径50センチばかりの球状に黄色い葉が茂っている。 鳥の巣だろうか。後で知人が、ヤドリギだと教えてくれた。古代から神聖視され、人類学の古典『金枝篇』の金枝とは、このヤドリギのことだという。 確かに少しは目を引くが、奇妙な人工物があふれた風景の中で、それを特別なモノとみるような感性はすでに失われている気がした。
2017-02-14 世界文学 思想家たち 岡庭と吉本③ 吉本は、古典や詩歌から、近現代また国内外の文学を、普遍的な相で論じることができた。 岡庭昇もまた、漱石から戦後の諸作家、近現代の諸詩人だけでなく、例えばフォークナー論を一冊にまとめるなど外国文学についても、一貫した視座から論じている。
2017-02-13 言語思想 思想家たち 岡庭と吉本② 吉本隆明の思想の根底には、『言語美』等で展開される、言葉や観念に対する原理的な把握があることは、よく知られている。 一方、岡庭昇にも、「規範言語論」とも呼ぶべき、言葉と観念をめぐる本質的な理解があって、それが、詩論、文学論、メディア論等を貫いている。
2017-02-13 シロハラ 鳥たち 職場の窓の外の林で、暗灰色のシロハラがしきりに落ち葉をひっくり返して、餌を探している。正面を向くと、暗がりの中で、腹の白さが妙に目立つ瞬間がある。 なるほどシロハラだな、と和名の由来に感心した。
2017-02-12 詩と詩論 思想家たち 岡庭と吉本① 吉本隆明は詩人であり、詩についても多く論じている。前の世代の戦争詩を批判したり、70年代には、同時代の詩を「修辞的現在」として総括したりもした。 岡庭昇も、詩人として出発し、2冊の詩集と2冊の詩論を編んでいる。「芸の論理」による60年代詩の批判は、吉本に先んじていた。