大井川通信

大井川あたりの事ども

詩と詩論

藤原定家を読む

読書会で、コレクション日本歌人選(笠間書院)の藤原定家(1162-1241)を読む。精選された50首に見開きページで解説がついているからわかりやすいのだが、なんとも難解で技巧的な歌が多くて、読み進めるのに閉口した。 平安時代は400年近く続き、その…

丸山薫の秀作を「発見」する

下北沢の古本屋で、新潮文庫の『現代名詩選』(伊東信吉編 1969)3冊本を買う。若い頃新刊本屋の書棚でよく見かけていたが、早い時期に絶版になったものだろう。 1970年前後におそらく詩の本の出版ブームがあったと見えて、詩のアンソロジーや全集、双書の…

『飯島耕一詩集』 現代の詩人10 1983

詩というものは不思議で、なかなか一筋縄ではいかない。きっといいだろうと思って読んでもさほど面白くないケースが多いが、あまり根拠なく引き寄せられた結果、意外に胸をうたれることもたまにはある。 今回がそうだった。飯島耕一(1930-2013)は戦後詩の…

『伊東静雄詩集』 林富士馬編 1973

旺文社文庫詩集シリーズの一冊を久しぶりに読み返す。実際手に取ったのは、1997年に出版された小沢書店の小沢クラシックスだが、これは旺文社文庫版の紙面をそのまま印刷したものだ。直接の弟子による思いのこもったやや型破りな解説も貴重だ。 伊東静雄(19…

『左川ちか詩集』 川崎賢子編 2023

体調悪化で参加を断念した読書会での課題図書。左川ちか(1911-1936)は戦前のモダニズムの女性詩人で、25歳で夭折している。うかつにもその存在を知らなかった。 伊東整と交友があり弟子として影響を受けていたというが、彼の素朴なイメージの抒情詩とは全…

詩人丸山薫のこと

今日は丸山薫の忌日だ。高校生の頃から好きな詩人だが、忌日を意識したことはなかった。秋たけなわで何かと忙しい時期だからかもしれないし、ことさら忌日を意識するような尖った存在感をもった文学者ではないということかもしれない。 このブログでも、何か…

『井月句集』 復本一郎編 2012

僕が漂泊の俳人井月(せいげつ 1822-1887)の事を知ったのは、芥川龍之介の短編『庭』のなかでの印象的な姿によってだったと思う。その後、つげ義春の漫画『無能の人』の中のエピソードで取り上げられたのには驚いた。 岩波文庫の句集を買ったのは、そんな…

ゲーテ詩を読む

詩歌を読む読書会で、新潮文庫の『ゲーテ詩集』を読む。僕はかろうじて日本の近現代詩を好んで読んできたが、それ以外の古典の詩歌や外国詩は、まったく不案内だ。この読書会はそのあたりに目配りが広く、自分では絶対に手に取らない詩を読めることがメリッ…

西行を読む

笠間書店の「コレクション日本の歌人選」を使って、詩歌を読む読書会で西行(1118-1190)を読んだ。38首の代表歌にしぼった注解が充実しているし、年譜等もあるから、西行についていろいろ知ることができた。 まず、西行が歌の世界の同時代のスターであっ…

『ギタンジャリ』 タゴール詩集 1912

インドの詩人タゴール(1861-1941)の英語版詩集の翻訳(風媒社刊)を読書会で読む。タゴール自身が平明な英語に訳したものなので、とても読みやすかった。 ただ、時代も文化も違い、なかなか詩として面白いものが見つからず、どうなることかと思ったが、最…

「思想家の散歩区域」 萩原朔太郎『虚妄の正義』(1929)より

我々の思考にして、漸く経験的なものを離れ、純粋に抽象的なものに深入りをしてくるならば、その時、先ず我々は一通りの学者である。しかしながら学者である。もはや思想家ーその言語の響に於ける、人間的な意味を考えて見よーではない。我々にして学者でな…

『いのちの自然』 森崎和江 2014

森崎さんの晩年に編集された詩やエッセイのアンソロジー。 以前、森崎さんの自宅前でたまたま挨拶すると、あがっていきなさいと声をかけられた。森崎さんは、不自由な足で玄関から道をはさんだ郵便ポストまで歩こうとしている時だった。 居間で一時間ばかり…

大手拓次の忌日に

今日は、大手拓次(1887-1934)の忌日。昔からその存在にあこがれていた詩人を、昨年は初めて詩集を読み通して、読書会で議論し、前橋の文学界で大手拓次展を見ることもできた。 年度初めであわただしい中、ネットで目についた詩を引用して、追悼する。分か…

晩年の高村光太郎

3月も、重要な作家や詩人の忌日を無為に見送ってしまった。ゴーゴリ(3月4日)、小林秀雄(3月10日)、とりわけ吉本隆明の横超忌(3月16日)と梶井基次郎の檸檬忌(3月28日)は、ここ数年追悼が根付いてきただけに残念だった。 今日は、高村光太郎の忌日。…

近代人・小林一茶

昨年末から、用事とぶつかり参加できなかった詩歌を読む読書会に久しぶりに参加する。詩歌を読むのは手間がかかるから、いつもは前日にバタバタするのだが、今回は少し前にたまたま読み終えたばかりの小林一茶の句集だから有り難い。しかも本まで同じだ。 一…

風信子(ヒヤシンス)忌に寄せて

立原道造(1914-1939)の忌日に、僕が19歳の秋に手に入れた古い旺文社文庫を開いてみる。郷原宏が長い解説を書いているので、読んでみた。郷原の批評は、論旨が明瞭で力強く読み応えのあるものが多い。 当時の世評の対する反発をモチーフにしているので、ち…

菜の花忌に伊東静雄を読む

この時期になると、郊外には菜の花が目立つ。近所の古墳公園を通りかかると、一面の菜の花がきれいだ。まばゆい黄色が浮き上がって、現実離れした美しさだ。いちめんのなのはな・・・ このフレーズを繰り返す有名な詩があったと思うが、山村暮鳥だろうか。 …

詩集『亡羊記』(村野四郎 1959)を読む

今日は、亡羊忌。詩人村野四郎(1901-1975)の亡くなった日だ。 ちょうど手元には、忌日の命名の由来である詩集『亡羊記』の翻訳書がある。友人の英文学者高野さんが翻訳したもので、見開きの左右の頁に、日本語の原詩と翻訳が並んでいるが、日本語も横書き…

『小林一茶』 大谷弘至 2017

昨年11月東京に行ったとき、たまたま八王子に寄った。八王子は20代の数年間、塾講師として働いた街である。八王子の駅前から放射状に伸びる道を以前塾の有ったビルのあたりまで歩いたけれども、懐かしさや親しみをあまり感じなかった。人間の記憶にも体験…

『詩集 言葉のない世界』 田村隆一 1962

新年早々、北九州連続監禁殺人事件のドキュメントを読むやりきれなさから、思わず手にとった詩集。わずか十篇の薄い詩集が、半世紀以上を経て2021年に再刊されており、昨年、帰省中の国立増田書店で手に入れた。この十篇は、田村隆一のいろいろなアンソロジ…

山村暮鳥の詩を読む

忌日をきっかけにして文学者の作品に親しもう、と計画したもののこれは意外と難しい。先月でも、白秋(4日)も一葉(23日)も三島由紀夫(25日)もスルーしてしまった。 今日12月8日は、山村暮鳥(1884-1924)の命日だから、詩集を取り出して読んでみた。今…

『郷愁の詩人 与謝蕪村』 萩原朔太郎 1936

岩波文庫の出版が1988年11月で、その翌月の12月26日に読了したとのメモ書きがある。父とこの本について話した記憶があるから、おそらく父も若い頃に読んで感銘を受けた本だったに違いない。朔太郎節全開の評論だから、朔太郎好きにはたまらないだろう。 蕪村…

『換気扇の下の小さな椅子で』 清水哲男 2018

今年になって、詩人清水哲男(1938-2022)の訃報に接した。3月7日のことだ。僕は弟の清水昶(あきら)の詩が好きだったし、彼の初期の詩も面白いと思っていたので、多少の好感を持っていた。ただ、たまたま古書店で購入した中年になってからの詩集が、何か…

『近世俳句』 暉峻康隆 1954(学燈文庫) 

学燈文庫は、学燈社から出版されていた、国語の学習参考書のような文庫だった。地味な黄土色のカバーで、俳句や短歌、現代詩(僕はとくに『現代詩の基礎学習』のお世話になった)の丁寧な解説書の他、漱石や芥川などの近代文学や徒然草などの古典の解説もあ…

『八木重吉詩集』 郷原宏編 ( 旺文社文庫 1978)

十代の終わりの頃に買った詩集。親切な解説や注釈付きで近代詩人を読めるから、重宝していた旺文社文庫の一冊。還暦を過ぎた自分が、同じ詩集を手に取るなど想像もしていなかっただろう。 今日は、八木重吉の命日。この40年の間に何度か読み直しているはずだ…

「秋の祈」の覚え方

秋は喨喨(りょうりょう)と空に鳴り/空は水色、鳥が飛び/魂いななき/清浄の水こころに流れ/こころ眼をあけ/童子となる 多端紛雑の過去は眼の前に横はり/血脈をわれに送る/秋の日を浴びてわれは静かにありとある此(これ)を見る/地中の営みをみづか…

ひさしの上は何がある?

読書会のために蕪村の句を選んでいたら、こんな素直な喜びの句が、やはりいいと感じた。バードウォッチャーとして、鳥の句を一つは選びたいというのもあって、それならこれかなと。 小鳥来る音うれしさよ板庇(いたびさし) 蕪村 小鳥は秋の季語だそうで、な…

月天心貧しき町を通りけり  与謝蕪村

あまりにも高名すぎるかもしれないけれど、昔も今も蕪村で本当に好きなのはこの句である。あと「葱買うて枯木の中を帰りけり」も。実にすっきりした調子で、両句とも、暮らしの中で「歩く」場面をフォーカスしているのがよいのではないかと、大井川歩きの実…

楠の根をしづかにぬらす時雨かな  与謝蕪村

俳句を多少読んでいたのは、中高生の頃や、せいぜい大学生の頃だったから、今になって読み返すと、これまでの経験のおかげで理解が深まるということがある。これは何も人生経験というような大げさなものではなく、単純な自然に関する知識の増加に基づくもの…

伊藤桂一の「風景」

竹藪で誰かが竹を斫(き)っている/竹は華やかな叫びをあげて大げさな身振りで仆(たお)れてゆく/そのあと 天がますます明るくなる/これから斫(き)られる竹は身を寄せあい/羞(はずか)しげな含み笑いを交しながら/なぜだか嬉しそうに順番を待ってい…