大井川通信

大井川あたりの事ども

詩と詩論

翻訳詩を読む

読書会の課題図書で、ボードレールの『悪の華』(再版 1861)の安藤元雄訳を読む。僕はもともと翻訳された詩というのは、まがいもののような気がしてあまり読む気がおきなかった。 若き芥川が、「人生は一行のボードレールにも若かない」とつぶやいた頃は、…

通りすがりの女に

朝からコメダ珈琲で、ボードレールの『悪の華』をしこしこと読む。この訳詩集の中に、「通りすがりの女(ひと)に」というタイトルの、こんな詩があった。 街中で、一瞬、喪服姿の美しい女性とすれちがう。彼女の瞳に、「魂を奪うやさしさ」と「いのちを奪う…

クリスマスの朗報

7月に倒れて長期に療養していた安部さんの意識が半年ぶりに戻ったという連絡を受ける。車椅子に乗り、筆談ができるまでに回復しているという。特別にお見舞いを許された人のことをきちっと認識し、漢字も書けているという。 ただ、安部さんの伝えたい内容が…

芭蕉と「海をながれる河」

暑き日を海に入れたり最上川 おくのほそ道ネタをもう一つ。 これも有名な句だが、読書会で読んだ入門書には、「暑き日」は暑い一日の意で、暑い太陽の意にはとらない、という解説がついている。しかし、暑い一日を最上川が海に流している、ということは理屈…

芭蕉と「流域思考」

読書会のために、おくのほそ道をざっと通読する。教科書などでさわりの部分を読み込んだりしたが、この有名な古典の全貌に触れたのは初めてで、達成感は大きい。 何より、どういう旅だったのかその内容がよく分かった。次に芭蕉(1644-1694)の人となりがわ…

『一篇の詩に出会った話』 Pipoo編 2020

本当は図書館が苦手だ。図書館の本と上手につきあうことができない。家には購入して読んでない本がたくさんある。たまに図書館で借りても、たいていは読まずに返すばかりだったり、たまに読んでもそれが良くて結局買ってしまったり。 本好きなくせに、そもそ…

新古今和歌集を読む

詩歌を読む読書会で、新古今和歌集の解説本を読む。全2千首の内、80首を解説した角川文庫のビギナーズクラシックのシリーズで、高校の先生が執筆しているためか、背景知識などの記事もわかりやすく、素人にはありがたい。 読書会はいつも通り、参加者各人が…

「城ヶ島の落日」を読む

読書会の課題図書として北原白秋の詩集を読むとき、できればこれは文句なしという傑作を見つけたいと思った。朔太郎好きとしても、二人はほぼ同じ世代で師弟や兄弟のような交流のイメージがあるから、朔太郎に匹敵するような作品があるのではないかという期…

空に真赤な

詩歌を読む読書会で、北原白秋の詩集を読む。岩波文庫の二巻本で、あわせて600頁になるからかなりの分量だ。近代詩の中でも、白秋はまったく読んでなかったので、いろいろ感慨深く、気づきも多かった。国民的詩人と言われていたくらいだから、これが白秋の作…

手にふるる野花はそれを摘み

田んぼの片隅に、彼岸花が姿があらわす季節がやってきた。田園風景を身近に暮らしていると、3月の菜の花、5月の麦秋、10月のコスモスなど、あたりを塗り替えてしまうような大きな景色を楽しむことができる。彼岸花は本数は少なくとも、あちこちにできた深…

『金子みすゞ名詩集』 彩図社文芸部編纂 2011

つういと燕がとんだので、/つられてみたよ、夕空を。 そしてお空にみつけたよ、/くちべにほどの、夕やけを。 そしてそれから思ったよ、/町へつばめが来たことを。 (「つばめ」) 金子みすゞ(1903-1930)の眼はまずは正確に物事をとらえ、手はそれを正…

『尾崎放哉句集』 岩波文庫 2007

詩歌を読む読書会の課題図書。こんなことがなければ手に取る本ではないと思いながら読んでみると、意外な発見があった。 自由律俳句で有名な尾崎放哉(1885-1926)は、東京帝大法科卒のエリートで、保険会社に入社するも挫折し、結核を患ってのち、小豆島の…

ゆあーん ゆよーん ゆあゆよん

父親は、中原中也が好きだった。本箱一つと決めていたらしい蔵書の入れ替わりは激しかったが、中原中也の詩集は、たいていそこにあったし、古本屋で処分してしばらく見なくなっても、また買い求めて復活したりしていた。 ある日、父親は古本屋に買い物に出た…

『みだれ髪』 与謝野晶子 1901

詩歌を読む読書会の準備で、ほぼ400首にざっと目をとおした。見開き頁に対訳のある角川文庫を買ったが、そうでなかったらとても手に負えなかっただろう。開催当日の昼間に、コメダ珈琲にこもって高速でページをめくる。 いくつか気づいた点。 ・現代語訳では…

塀のむこう

九太郎にとって、ドアの向こうの世界が、直接動物病院の診察室につながっているのではないか、と想像して面白がったが、これは人間にとっても同じなのではないか、と思い直した。 たとえば、僕のような郊外の住宅街の住人にとって、ドアの向こうには、住宅街…

井亀あおいさんの詩 

『アルゴノオト』の著者井亀あおいさん(1960-1977)の、もう一冊の遺著である『もと居た場所』をネットの古書でようやく手に入れた。今でも求める読者がいるようで、けっこう高い値段だった。文芸部の雑誌に発表したり、ノートに残されたりしていた小説やエ…

月さすや碁をうつ人のうしろ迄

詩歌を読む読書会で、岩波文庫の『子規句集』をあつかう。正岡子規が生涯に残した2万句の中から、高浜虚子が2300句ほどを選んだ句集だが、その大半にさっと目を通すことになった。もしかしたら、僕が今までに目にした俳句の総数よりも、多かったかもしれな…

初暦五月の中に死ぬ日あり

正岡子規(1867-1892)の明治32年新年の句。 新しいカレンダーが手元に届く。パラパラとめくると、5月あたりに自分が死ぬ日があるような気がする、という句だろう。 病床の子規にとって、これは突飛な思い付きではなくて、かなり現実的で切実な実感だったの…

柿本人麻呂の宇宙旅行

赤色巨星ベテルギウスの異変を知ってから、久しぶりに夜空の天体が気になっている。子どもの頃は天文ファンだったが、それ以降は、彗星が評判になった時くらいしか夜空を観察することもなかった。 大井の里山を開発した今の家に引っ越したばかりの時、まだ周…

「すべての瑣事はみな一大事となり/又組織となる」

詩歌を読む読書会で、高村光太郎(1883-1956)の処女詩集『道程』(1914)を読んだ。ひと昔の前の評論では、日本近代詩の傑作詩集みたいな言葉が躍っているが、今普通に読むと、詩として受け取るのはけっこうきつい。会の主宰も「つまらなかった」ともらし…

朔太郎の声

駒場公園にある日本近代文学館に初めて訪れる。吉祥寺図書館を見学して、そこにおいてあるチラシで、詩に関する企画展を開催していることを知ったからだ。早足で見れば、帰りの飛行機に間に合うだろう。 京王線の駒場東大前駅でおりて、東大駒場キャンパスの…

『若菜集』 島崎藤村 1897

読書会の課題詩集として読む。そうでなければ、絶対に手に取ることのない詩集だったと思う。文語で七五調の韻文というもののハードルはやはり高い。 しかし、3作好きな詩を選ぶという事前課題によって、時間をかけて読み進めていくと、若き島崎藤村(1872-…

海をながれる河

詩人石原吉郎の命日と同じ11月14日に、ハツヨさんは亡くなった。62歳で亡くなった石原吉郎が生きていれば、ハツヨさんと同じ104歳になっていただろう。偶然、二人が同世代であることに気づいた。 昭和12年の結婚し、その後満州に渡ったハツヨさんは、敗戦後…

悲しみはかたい物質だ 

別の詩を探していて、この一行に目が釘付けとなった。石原吉郎(1915-1977)の「物質」という詩。今の僕の思いとは少し距離があるけれども、こんな詩に再会すると、石原吉郎の詩集をていねいに読んでおきたい、という気持ちになる。そんな気持ちのまま、何…

樹空(つづき)

樹空という言葉で思い出したもう一つの詩は、僕の好きな丸山薫の、詩集にも入っていない無名の詩「樹と少女」だ。長い詩なので、5連中の第3連のみ引用する。 或る夜ふけ なにかの声で/不意に眠りから呼び戻された/月があったので私は無灯で庭へおりた/…

樹空

樹空という言葉はあるのだろうか。ネットで見ると、富士山の近くの公園の名前として出てくるだけだ。 以前、知り合いの画家の山本陽子さんの展覧会に行ったとき、テーマが「樹空」だと教えられたことがある。樹の梢や枝の葉がふれているあたりの空間のことだ…

生きるときは無名者として生きるのだから、死ぬときは王者として死なねばならぬ

高橋睦郎の短詩集『動詞』から。表題は、「生きる・死ぬ」。 たぶん老いることや、死へのプロセスについては、ある程度理解はすることができても、死それ自体については、よくわからないまま、まるで納得できないままに、その時を迎えるのだろうと思う。その…

僕の短歌

何事についても、それを考えるための手がかりは、自分が生きてきた時間と空間のうちにある。そこで短歌については、まず伯父とのかかわりが出てきた。では、僕自身、短歌を意識して作ったことはあるのか。これはまったく記憶にない。 詩なら、学生時代の草稿…

皇后美智子の短歌

読書会で永田和宏の『現代秀歌』を課題図書にした。哲学書や思想書を扱う読書会なのだが、僕の選書の順番だったので、そもそも短歌とな何なのか、という問いを短歌とはすこし距離のある場所で話し合うことができたら、というのが目論見だった。そのことを通…

伯父の短歌

もう30年も前の話になるが、従兄が、同じ演劇人同士で結婚をしたとき、青山の会館で結婚式を挙げることになった。親戚同士の顔合わせの小規模な式だったから、当時東京で塾講師をしていた僕が司会を頼まれた。 式が終わったあと、伯父から手渡された鉛筆書き…