大井川通信

大井川あたりの事ども

『飯島耕一詩集』 現代の詩人10 1983

詩というものは不思議で、なかなか一筋縄ではいかない。きっといいだろうと思って読んでもさほど面白くないケースが多いが、あまり根拠なく引き寄せられた結果、意外に胸をうたれることもたまにはある。

今回がそうだった。飯島耕一(1930-2013)は戦後詩の大家でその名前はよく聞いていたが、代表作の「他人の空」が好きなくらいで、それ以外読んだこともなかった。ところが近年なぜかその存在が気になりだして、40年前の小さなアンソロジーネット古書店で手に入れたのだった。

意外なことに、どれも面白かった。ベテランになってからの、行分けの長い詩がとくにいい。平明に語り継ぎながらも、適度に謎めいていて、また比ゆや飛躍の魅力があって、読んでいてなんとも心地いい。ふつうベテランの長文詩など退屈なだけなのに。田村隆一ほどの才能でも、初期の充実して緊張感に満ちた詩形に対して、感想を書き連ねたような後期の長い詩はどうにも面白くない。

ざっと読んで、飯島耕一の不思議な魅力について、もっときちんと味わってみたい、理解してみたいという気持ちが強くなった。もっと大きなアンソロジーを手に入れてみようと思う。

以下の詩は、そういう長い詩に交った、短くても面白い詩。

 

人間は家のなかに住んでいる/という感じを強くもったのは/はじめて狩俣や 池間へ行ったときだ/表を歩いて行くわたしを/カーテンや板戸のすきまからのぞき見る/二つの眼を/何度か感じた/ほとんど戦慄しながら/曲がった道を歩いて行った/細い道は村々に/古代のままのうねりで走り/看板のない商店が/何軒かあった/その道の曲がりはわたしの体内に入りこんだ/もう体内に入っている/道 道 とつぶやきながら/群衆でひしめく地下道をかきわけて行く。

宮古島の道」