下北沢の古本屋で、新潮文庫の『現代名詩選』(伊東信吉編 1969)3冊本を買う。若い頃新刊本屋の書棚でよく見かけていたが、早い時期に絶版になったものだろう。
1970年前後におそらく詩の本の出版ブームがあったと見えて、詩のアンソロジーや全集、双書の出版が集中している。今では考えられないことだ。
ただしこの三巻本には、戦後四半世紀が経って現代名詩と称しながら、戦後になって活躍した活躍した詩人は田村隆一しか取り上げられていない。戦後詩は難解で異質と思われていて、一般的に扱いが難しいと思われていた時代だったのだ。僕が子どもの時に読んだ若い人向けのアンソロジーでも、戦後の詩人はたいてい谷川俊太郎しか入っていなかった。
その分戦前の詩人はふんだんに入っていて、一人あたり解説なしで約15編が二段組で収録されている。ぱらぱら見ても編者の鑑識眼は確かのようで、この手のアンソロジーにあるようにオヤッと思う中途半端な詩はなさそうだ。
好きな丸山薫の項目をながめていて、さっそくこの本の御利益に預かった。未見でかつ丸山薫らしい文句なくいい詩を発見したのだ。全集も買い若い頃からなじんだ詩人でなかなかこんな経験はできない。
庭の石は力のかぎり光と熱をささへてゐた/遂々(とうとう) それは眼にとまらぬせつない亀裂(ひび)の叫びをあげた/日が暮れると その面(おもて)に/蟋蟀(こほろぎ)が一匹浮び上つてきて/永く文字のやうに動かずにゐた/真夜中 石はつよくそこから鳴きはじめた/みずからの意味をとかし みずからの面を溢(あふ)れ落ちた/また その声は眠つてゐる人の夢の中までも/哀(かな)しい水の影のやうに押しよせてきた 「秋」
石の亀裂をコオロギに見立てて、そこから石自身が強く鳴くというイメージが物象の詩人丸山らしくていい。
詩集から漏れた拾遺詩編の巻に載っているのか、ひょとしたら全集未収録かもと『丸山薫全集』をひっくり返してみると、初期の詩集にきっちり収録された詩だった。詩集の並びで読んでみると、当初の感動は薄れて、以前読んだことがあるという既視感が詩を覆っていく。
ただし代表詩としてこんなふうに選定されることがない詩だから、僕には新鮮に映ったのだろう。やはり編者の眼力のたまものである。