大井川通信

大井川あたりの事ども

書評

『海と毒薬』 遠藤周作 1957

読書会の課題図書で読む。再読。 第一章のエピソードで、勝呂医師の指先に「金属のようにヒヤリとした冷たさ」があったとある。生体解剖事件に関わった冷酷な医師であることを匂わせるうまい伏線だとは思うが、全編すこし図式的に作りこみ過ぎているような気…

『ティファニーで朝食を』 トルーマン・カポーティ 1958

ゴールデンウイークだけど、新型コロナ禍で外出もままならないので、書棚から未読の小説を取り出して読む。村上春樹訳。有名な映画も見たことはない。 主人公は、まだ若い「僕」。それなりに楽しかったり不本意だったりする生活の中で、何人かの人たちと知り…

『大津絵』 クリストフ・マルケ 角川ソフィア文庫 2016

学術書や専門書の入った文庫として、昔はよく濃紺の表紙の講談社学術文庫(1976-)を買っていた。いつのまにか、後発で白い表紙のちくま学芸文庫(1992-)を買うことの方が多くなった。それがこの頃は、クリーム色の表紙の角川ソフィア文庫(1999-)を手…

『日本経済30年史』 山家悠紀夫 2019

20代の頃、東京で塾講師をしていたとき、地元の公民館で市議会議員が主宰する会合やイベントに参加する機会が何回かあった。主宰は革新系の無所属のベテラン女性議員で、当時気鋭のマルクス経済学者小倉利丸を講師に呼んだ集会などもあったと思う。 そのグル…

『イカの哲学』 中沢新一・波多野一郎 2008

気になって、時たま手にとってしまう本。中沢新一が、在野の哲学者の波多野一郎(1922-1969)が書いた小冊子「イカの哲学」(1965)にほれ込んで、その本文と、分量では何倍にもなる解説をのせて出版した本だ。 中沢が憲法9条について問題提起をしていた時…

『螢川・泥の河』 宮本輝 1977

読書会の課題図書で、宮本輝(1947-)を初めて読む。 『泥の河』は、昭和30年の大阪を舞台にし、『螢川』は、昭和37年の富山を舞台にしている。いずれの作品でも、作者にとって地名と年号を明記することは大切で抜かすことのできないことだったのだろう。戦…

『ウニ ハンドブック』 文一総合出版 2019

職場近くの浜辺で、宇宙人の頭蓋骨のような奇怪な生き物の殻をひろって以来、僕はすっかりウニ類の殻を集めるのに夢中になってしまった。調べると、ヒラタブンブクというウニの一種だとわかったのだ。それ以外にも、ひらべったい円盤のようなカシパンという…

『ミリアム』 トルーマン・カポーティ 1943

カポーティ(1924-1984)が19歳の時の短編。読書会の課題図書で読んだ新潮文庫の短編集『夜の樹』の中の一篇。 やはりミリアムが何者かということが話題になったけれども、ミセス・ミラーの別人格や 分身として受け取る意見が主流だった。孤独で地味に生き…

『わたしの濹東綺譚』 安岡章太郎 1999

『濹東綺譚』好きだった父親の蔵書。立川駅ビルのオリオン書店の、出版年の日付のレシートがはさんである。出版を待ちかねて購入したのだろうか。 『濹東綺譚』出版前後の社会情勢や文壇の裏事情について、安岡章太郎(1920-2013)本人の体験も交えて、気ま…

『マルクス・ガブリエル 欲望の時代を哲学する』 丸山俊一 2018

NHKのプロデューサーによる人気哲学者マルクス・ガブリエル(1980-)の軽めのインタビュー集のようなもの。読書会の課題図書で読んだのだが、問われるままにあらゆることに一言もの申しているためか、話題があちこちに飛び回っていて、いったい何がいいたい…

『老いと記憶』 増本康平 2018

年齢を重ねると、確かにある時期から、記憶力の低下と呼ぶしかない事態に直面することが多くなる。著者は、認知心理学の研究に基づいて、実際に高齢者向けの講演を続けてきたというだけあって、この問題についてツボを心得た解説を行っている。専門的な議論…

『ヴェニスに死す』 トーマス・マン 1913

読書会の課題で、トーマス・マン(1875-1955)の『トニオ・クレエゲル』(1903)と『ヴェニスに死す』(1913)とを読む。どちらも理屈っぽく、ぎくしゃくとした構成の小説だが、前者の方が面白かった。 トニオ・クレエゲルは、芸術と生活との間で、危うい綱…

『経済学の宇宙』 岩井克人 2015

野口悠紀雄の自分史を絡めた経済の本がとても面白かったものだから、似たような本を読もうと思って本棚から取り出した本。 経済学者にして思想家である岩井克人(1947-)のインタビューをもとにした本だが、相当の加筆修正とていねいな編集が施されて500頁…

『戦後経済史』 野口悠紀雄 2019

整理法や勉強法についてのベストセラーを書いた、大蔵省出身のスマートなエリート経済学者。著者の野口悠紀雄(1940~)については、そんなイメージしか持っていなかった。戦後史のおさらいのつもりで手に取ったのだが、抜群に面白いうえに、襟を正して読ま…

『いつもそばには本があった。』 國分功一郎・互盛央 2019

僕より一回り若い論者による、本や研究をめぐる往復書簡。「一回り」とは古い言い方だが、なるほど世界が更新されるのに十分な期間なのかとあらためて思った。「十年一昔」という言葉もあったっけ。 いわゆる哲学・現代思想といわれる分野の専門家たちだから…

『女ごころ』 サマセット・モーム 1941

井亀あおいさんが最期の時に手にしていた小説。2014年に出版の最新の翻訳で読む。たまたま買っていて手元にあったのだ。 原題は小説の舞台を示す『別荘で』というあっさりしたもので、こちらの方がずっとよい。いかにもかつての日本人好みの邦題だが、モーム…

『たったひとつの冴えたやりかた』 ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア 1986

読書会の課題図書。 表題作の第一話だけ読んだときは、子どもが主人公のためか「冒険」「友情」「自己犠牲」といった地上的で単純なテーマが透けて見える気がして、架空の世界を自由に楽しむ気にはなれなかった。 全体を通じて同じ難点は感じられるのだが、…

『社会学入門』 見田宗介 2006

昨年出版された見田宗介(1937-)の新著を読んで、著者の衰えのようなものを感じたと書いた。今年に入って、20年前の『現代社会の理論』(1996)を再読して、全盛期の著者の力にあらためて魅了されるとともに、今から振り返るとやや物足りなさも感じてしま…

『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』 内山節 2007

魅力的な書名。信用のおける著者。活字も大きく薄めの新書。にもかかわらず、読み終えるまでにずいぶん時間がかかってしまった。ようやく手に取ったのが一カ月以上前だったと思うし、そもそも10年以上前の出版だというのが信じられない。まっさきに購入して…

『現代社会の理論』 見田宗介 1996

読書会で、見田宗介の新著『現代社会はどこに向かうのか』が課題本となり、昨年すでに読んでいるので、以前読んだこの本を再読してみた。 20年前には感激して、後書きにある「ほんとうに切実な問いと、根底をめざす思考と、地についた方法とだけを求める精神…

『書記バートルビー』 メルヴィル 1853

読書会の課題図書で、光文社古典新訳文庫の『書記バートルビー/漂流船』を読む。 日本で言えば黒船来航の頃の作品だし、文豪の書いたものだし、正直あまり期待していなかった。しかし、二作品とも、予想をこえて読み物として十分に面白かった。 設定もシンプ…

『キッチン』その後

『キッチン』の読書会のあと、「真顔でケンカをうっているみたいだった」と言う人がいた。この作品が好きで課題図書に押した人の意見を全否定しているみたいに取られたのだろう。自分としては根拠を示して批判したつもりだが、反省してみれば、そういう発想…

『キッチン』 吉本ばなな 1987

読書会の課題図書。近来稀な不思議な読書体験だった。微妙に違う方向を向いたセリフやふるまいが並ぶため、イメージがハレーションを起こし、どの登場人物も生きた人間としてリアルな像を結ばない。たとえば、祖母の死という決定的な出来事の受け取り方でも…

『ハイファに戻って/太陽の男たち』ガッサーン・カナファーニー

読書会の課題本。2017年刊行の河出文庫の短編集。著者カナファーニー(1936ー1972)はパレスチナに生まれ、難民となり、パレスチナ解放運動に参加するかたわら小説を執筆。36歳で暗殺されるが、遺された作品は、現代アラビア語文学の傑作として評価されてい…

『漂流怪人・きだみのる』 嵐山光三郎 2016

嵐山光三郎は、地元国立の近所に住んでいたので、街で見かけることがあった。夜の街角で、街灯に照らされて目の前を横切った自転車に、嵐山光三郎が乗っていて驚いたことがある。当時、人気テレビ番組に出演していて、顔は広く知られていたのだ。そのころは…

坂口安吾の短編を読む

読書会の課題図書で、岩波文庫の安吾の短編集を読む。以前柄谷行人が安吾の再評価をした時、評論を読んで、なるほど面白いと思っていた。しかし今小説を読むと、『風博士』『桜の森の満開の下』『夜長姫と耳男』などの一部の特異な作風の作品をのぞいては、…

『ビルマ敗戦行記』 荒木進 1982

亡くなった父の蔵書には、文学書のほか、昭和史や戦争に関する記録が目立つ。実家をたたむので、僕も思い入れのある詩集などを持ち帰っていたのだが、今回ちょうど吉本論を読んでいたせいだろうか、戦争体験の手記が気になって、何冊かもちかえってみた。こ…

『絶滅の人類史』 更科功 2018

今、かなり売れている新書らしい。確かにくだけた比喩を使うなどして、かなりわかりやすく、目新しい学説を紹介している。しかし、実際には複雑な人類の進化史を踏まえているだけに、すんなり読み通せる内容ではなかった。 子どもの頃、図書館で人類史の本を…

『英国諜報員アシェンデン』 サマセット・モーム 1928

ちょうど一年前から、小説を読む読書会に参加するようになった。月に一冊とは言え、小説を手に取る機会をえたのは大きい。ついつい批評家気どりで、理屈をあれこれつけることに夢中になってしまうけれども、純粋に楽しんで読める作家にも出会うことができた…

名探偵登場!

エドガー・アラン・ポーの『モルグ街の殺人事件』(1841)は、史上初めての推理小説であり、このジャンルにおける原型を作り出したといわれる。以下は、素人探偵のデュパンが、語り手を相手に謎解きをはじめる場面の描写。 「その間も、デュパン君は、依然と…