大井川通信

大井川あたりの事ども

『ほんの話』 白上謙一 1980

今はなき社会思想社の現代教養文庫から、大学時代の思い出の一冊を再読する。

著者の白上謙一(1913-1974)が、勤務先の山梨大学の学生新聞に1962年から1971年までに連載した読書案内をまとめたものである。扱われる書物の幅の広さと辛口で小気味良い文章に魅せられて、ずいぶん影響を受けた気がする。

小栗虫太郎を知ったのもこの本の紹介によってだし、「座右におきさえすれば本なぞというものは、一頁も開かないでも読めてしまうものである」とか「諸君も誰か会って見たい人があったら、まずその人の書いたものを全部読んでおくことが礼儀である」とかいった歯切れのいいタンカが記憶に刻まれている。

本書の意図は、著者も再三述べているように、著者の豊富な読書体験を紹介することを通じて、戦争を知らない学生たちに真の「教養」と社会や歴史の現状についての危機意識をもってもらうことにあった。「戦前派」から「戦無派」への伝言といっていいだろう。

それにしても、生物学者である著者の、マルクス主義などの社会科学、人文科学から大衆文学にいたる読書量のすさまじさに圧倒される。父親が内務官僚で叔父が陸軍大将や総理大臣を歴任した軍人だという家系と、若き著者がもつリベラルな思想とが両立していたという事実も、今となっては貴重な歴史的証言だ。そういう彼が敗戦を一兵卒として中国で迎えたという事も。

再読して、いくつも読んでみたい本がチェックできた。とくに白井喬二の『富士に立つ影』はいつかぜひ挑戦してみたい。他には、フレーザーの『金枝篇』や大西巨人の『神聖喜劇』など。

「教養」とは何かという問いに対して、著者はこう答える。「一人の人間としての自分の存在と行動を全人類の社会の内に、全人類の歴史の内に、また茫漠たる全宇宙の内に正しく位置づけて理解することではないのか」と。