大井川通信

大井川あたりの事ども

『『金光教経典』物語』 福嶋義次 2019

大矢嘉先生の文章に教えられて、福嶋義次(1934-)を読んでみようと思って手に取ったのだが、良い本に出会ったものだと思う。自分史にからめて経典再編の経緯をたんたんと書いた本で、あっさり読めてしまうが、僕にとってはある意味で高橋一郎の本とおなじくらいの衝撃があった。

高橋一郎の本は、金光教がいわば哲学的にどれほど純度が高いものかを教えるものだった。この本は、金光教が教団組織としてその教えの内容に見合う柔軟なものであることを示している。

旧教典は明治時代から作成されてきた教義を昭和3年(1928年)に取りまとめたもので、現経典の三類(歴史的教内出版物)に収録されている30頁ばかりの小冊子だ。著者はその巻頭の文章「神国の人に生まれて神と皇上(かみ)との大恩を知らぬこと」に疑問をもつ。これは、教団の独立に功績のあった宿老佐藤範雄の聞き取りと自身の国学思想に基づく天皇信仰を現すもので、当時の資料にあたって金光大神の教えにはないものだと主張するのだ。

まず、普通に考えると教団の中で半世紀にわたって神聖視されてきたものを容易に改変することはできないだろう。仮にそこに戦前の思想の影響があったとしても歴史的経緯からやむなしとして解釈変更くらいでお茶を濁すのではないか。まして、この文書の作成にかかわったのは著者の曽祖父という血縁であり、教団内に厳然たる権威をもつ人物である。

おそらく日本的風土の中でこうした改変をもたらすとしたら外圧頼みだろう。たとえば敗戦の激震を契機に教義を見直すというふうに。しかし、面目を一新する新教典が出版されたのは、高度成長を経て日本社会と教団の安定した昭和58年(1983年)だ。

戦中派の著者は、経典再編の志を早くから持って、シカゴ大学への留学の際には聖書の編纂過程の研究をする。そして教団の中で議論を巻き起こして、コンセンサスを取り、教団の事業として様々な資料を発掘し、教祖の直筆や聞き取りに基づく1000頁近い新教典を完成させるのだ。

この新教典によって正しく教祖の言葉が保存されるならば、たとえ一時的に教団がどうなろうとも、教えの命が続いていくという強い信念が語られる。第3章には新教典英訳の経緯が記されているが、これも教祖の言葉の普遍性に対する確信があるからこその献身だろう。この教えの普遍性への確信と希求は、高橋一郎の理論的努力にも通じるものだと思う。