大井川通信

大井川あたりの事ども

ゴロリに相談する

読書会の二次会で、金光教研究のことを詩人で大学教授のゴロリに相談する。参加者が僕を含めて3人しかいなかったので、相談を持ち掛けやすかった。

ゴロリは、京都大学を卒業後、NHKに就職した。番組制作などにかかわったが、退職。東大の大学院で英文学を学び、その後アメリカの大学に留学して、創作で学位をとっている。帰国後は地方国立大学の医学部で英語教師をやっており、英文の小説と詩集を数冊出版している。今はもっぱら詩の創作に専念していて、日本語の三冊目の出版を企画中。

東大の指導教授は翻訳で有名な柴田元幸だったが、個人的にアプローチして1年半聴講生として講義を聞いたという話は今回初めて聞いた。たしか学部は法学部だったから文学の勉強は一から始めたのかもしれない。

そういう経歴のゴロリだから、アドバイスは本格的で厳しいものだった。やはり僕が、今から大学院で研究するということには疑問を感じているようだ。若い院生がやるような学会発表や様々な下働きをやる気があるのか、本当にそんなことがしたいのか。また本気でなかったら受け入れてはくれないし、遊びのように思われたらまともに指導をしてくれないだろう。僕としてはいまさらアカデミズムで業績を出したいという気持ちはないのだが、それが研究の世界では本気でなく遊びだととられてしまう危険があることに気づかされた。

ゴロリもどうあげ先生と同じく、これはと思う先生をみつけて手紙を書くという方法をすすめてくれた。しかし、やはりそのためには書かれたものがいるし、そもそも受け入れられるためには書く力がないといけない。僕のやりたいことを一通り聞いて理解してくれたあとで、ゴロリは、とにかく書くことを強く勧めてくれた。もちろん研究論文としての書式にのっとったものを。

ゴロリの考えは、僕に考えたいもの、書きたいことがはっきりしているならば、まず書いて書いて書き続けて、教団の機関誌に投稿するなり、自費出版するなりの方が先でいいのではないかというニュアンスが強かった。そういう中で、条件があえば大学へのアプローチも可能ではないか、と。

とりあえず書くという方向性だけははっきりしたうえでの相談だったから戸惑うことはなかったけれど、実際に研究の世界で苦労して実績をあげてきた人のアドバイスは中途半端なものではないと、身が引き締まる思いがする。

もしやるなら、とゴロリ。体力がすべてだから、本気で健康だけは気をつけてください。途中でやめたら周りの人たちに迷惑をかけることになってしまうと。(僕個人の課題ということならとにかく早く始めて燃え尽きてもいいが、研究という形で成果を残すなら長くやることを考えないといけない、という感じだった)

しかし、僕が研究ということを思いつかなければ、旧知のゴロリから親身のアドバイスをもらうこともなかったし、書くことに真剣に取り組もうと思うこともなかっただろう。これからどこに行きつくのかはわからないが、これは本当に良かったと思う。