・膨大な労力と意欲を必要とする書下ろしではなく、この10年間で書いてきた文章を、分類・整理し、パッチワークのようにつなぎ合わせることで、原稿の大本をつくる。既往のものを活かすことを、大原則とする。
・このため、一つ一つの文章には、視点や認識や書きぶりの違い、重複や矛盾が生じる事になる。このため、すべての文章には「日付」を残すことにする。
・「日付」のある断片を寄せ集めることで、ドキュメンタリとしての性格(出来事性、即興性)を持たせることをねらいとする。よって、研究論文としての客観性、厳密さではなく、作品としてのオリジナリティを重要視する。
・個々の文章を並べて多少の筋の通ったものに編集することで、既存の文章では補えない「欠落」や新たな文脈が指し示す「可能性」が見えてくるだろう。それらを、必要に応じて新しい文章(日付なし)で追加する。
・そのための新しい文献の読解や追加の聞き取り調査等の実行は、あれもこれもではなく優先順位を設けて、完成までの時間内に間に合うものに絞り込む。あくまで暫定版の編集が目的である。
・第一章「歩くことをめぐって」は、大井川歩きの方法論を示す序説だ。ここに雑多な文章を集めることでおのずから、いくつかのテーマやポイントが浮かび上がってきた。まずは、生活の場所に縛られた存在である「子ども」と「老人」の視点であり身体性だ。子どもと老人に共感し、その歩き方をわが物にすること。ここでは、「寄り道」や「認知症」が教材となる。また故郷で獲得した原「道草地図」の重要性が明らかになる。
・実際に歩き始めると、様々な「境界」を越えることが意識される。空間的な境界では、自然地形の山と川、人工物ではニュータウンと旧集落の境界の存在が大きい。時間的な境界では、寺社やホコラへの訪問、または過去の「聞き取り」の経験に衝撃を受けることになる。
・子どもや老人に学び、より積極的に境界に絡んでいく変幻自在の主体として、想像上の小動物たる「ムジナ」が造形される。当時は突飛な思い付きに思えたが、こうしてまとめると必然性のある比喩だったと納得できる。
・第二章以降では、ムジナ的主体が大井川歩きによって、どのような境界的存在に出会い関わったのかを、具立的なテーマごとに明らかにする。最終章では、こうした遊歩や漂流のはてに、フィールド内にどのような「ユートピア(希望)」を構想できるのかを描き出したいと思う。
《目次》(案)
- 歩くことをめぐって
第二章 ヒラトモ様と戦争の記憶
第三章 クロスミ様とパンデミック
第四章 ミロク様と小さな神々
第五章 大井炭鉱と戦後開発
第六章 大井始まった山伏と民衆宗教
第七章 方舟の行方