大井川通信

大井川あたりの事ども

仏教

美術展で仏教を学ぶ

府中市美術館には頭が上がらない。帰省先の隣町だから気楽に寄れるし、ユニークで切れのいい特別展は、いつも予想をこえて面白い。牛島憲之の常設展示スペースがあるのもよい。 今回の特別展は『ほとけの国の美術』。誰もが知るような目玉の展示作品があるわ…

『続・ゆかいな仏教』 橋爪大三郎・大澤真幸 2017

『ゆかいな仏教』があまりに面白かったので、その続編を注文して読んでみた。同じ対話形式の本でも、前著の半分くらいのボリュームしかない。前著は、本づくりのために仏教を網羅的に語ったものだが、今回は雑誌掲載の対談2本をまとめただけだから、分量の…

M先生の格闘

今年も、アメリカから来日して浄土真宗の大学で研究をし日本で研究者になったM先生の話を聞いた。三コマの講義に質疑応答をあわせて4時間にわたる講座だ。外部からの参加者は優遇されるとかで今年は先生の目の前の席だった。すごい話を聞いてしまったという…

日本的霊性とは何か

鈴木大拙の『日本的霊性』が面白かった。本書が提示する「日本的霊性」の概念はなかなか魅力的だ。著者も、具体的にわかりやすくその内容を説明している。煙に巻くような感じではない。説明の道具立てもシンプルで、繰り返しすこしづつ角度を変えながら照明…

『日本的霊性』 鈴木大拙 1944

中央公論社の「日本名著」の一冊で清沢満之を読んだついでに、ふと併せて収録されている鈴木大拙の『日本的霊性』を読んでみようと思った。 鈴木大拙(1870-1966)が清沢よりもはるかにビッグネームで多くの著作があって国際的に評価されていることは知って…

『宗教哲学骸骨』 清沢満之 1892

「日本の名著」の現代語訳で、久しぶりに清沢の『宗教哲学骸骨』を読み直してみる。初めて読んだのは、今村先生による現代語訳の文庫本だった。こんな風に宗教を、というか世界を語ることができるのかと驚いた記憶がある。 今読んでも、その簡潔でスキのない…

『在床懺悔録』 清沢満之 1895

清沢満之が一般の読書界に広く知られるようになったのは中央公論社の日本の名著シリーズの第43巻(1970)で鈴木大拙とともにとりあげられたのがきっかけだと聞いているが、そのペーパーバックス版(1984)を僕は手元に持っている。 ぱらぱらとながめていて…

『近代日本と親鸞』 安冨信哉 2011

著者の安冨信哉(1944-2017)が亡くなったあと、2018年に真宗文庫として再刊されたもの。 以前に末木文美士の論文集『日本の近代仏教』を読んだが、今回の本は、あくまで浄土真宗大谷派の「近代教学の伝統」の視点から明治大正期の社会の中での仏教の動きを…

『仏教の言説戦略』 橋爪大三郎 1986

『ゆかいな仏教』を読んだ関連で、20代から積読していた橋爪の論文集に手を出してみる。言語ゲーム論をベースにした橋爪の宗教社会学の方法論は、ぜひ今後の金光教理解の手がかりにしてみたい。 ただ何より、仏教というものの把握という点で、興味深く役に立…

『ゆかいな仏教』 橋爪大三郎・大澤真幸 2013

ちょうど10年前に読みかけにした本。今回再読してよかった。 橋爪大三郎(1948-)と大澤真幸(1958-)は僕らの世代にとって社会学の師匠とエースであり、思想家としておおいに魅了された時期もあったのだが、このところの啓蒙書の類ははっきりいってつまら…

顕微鏡と望遠鏡

「他の善と自の悪とは顕微鏡にてこれを見よ。そのいかに大なるかを感ずべし。他の悪と自の善とは望遠鏡にてこれを見よ。そのいかに小なるかを感ずべし。」(引用者:表記を読みやすく変更。以下同様) 久しぶりに『清澤満之全集』を取り出して、第二巻「他力…

『浄土真宗とは何か』 金子大栄 2021

清沢満之(1863-1903)から直接教えを受けて、真宗大谷派では曽我量深(1875-1971)につぐ近代教学の代表選手でもある金子大栄(1881-1976)の本を読む。1966年の『真宗入門』を文庫本化したもの。 こうしてみると、両雄とも大変な長生きだ。師匠の清沢の…

『親鸞の仏教史観』 曽我量深 1935

高橋一郎師のエッセイを読むと、何度か曽我量深(1875-1971)のもとを訪ねている。曽我量深といえば、若くして清沢満之の弟子となり、浄土真宗の宗門ではとても尊敬されている碩学であることは、時々聞法の場に顔を出すくらいの僕でも知っているところだ。 …

『本願と意欲』 平野修 2000

平野修(1943-1995)は、今村仁司先生に清澤満之を読むきっかけを与えた人だ。今村先生が講演に呼ばれたときに、平野さんから清澤満之の話を聞き、清澤への「限りない敬愛」を感じて自ずと読むことを誘われたという。 このエピソードから二つのことがわかる…

『清沢満之集』 安冨信哉編 2012

3月にマイケル・コンウェイ先生の講義を聞いて、浄土真宗についてあらためて刺激を受けたことをきっかけに、休みの日に短文を一つずつゆっくり読み進めて、ようやく読み終わった。 清沢満之とは、2001年に今村先生の編集で唐突に出版された『現代語訳清沢満…

『阿弥陀教』にざざっと目をとおす

お経にざっと目を通すシリーズ。『観教』に続いて、浄土三部経の一つである『阿弥陀教』を読む。これは近所の大社にも、阿弥陀教を刻んだ石碑があるくらいで、かなり短い。物語性はなく、教えだけがならんでいるようで、ざっと読む意味はあまりなさそうだ。 …

『観無量寿経』をざっと読む

浄土真宗の信仰を持っている人からすれば、『観無量寿経』の名前はとてつもなく重いものだろう。分厚い研究書のたぐいはいくらでもあるだろうし、僕の知る在家の聞法道場でも、多くの回数をかけて細かい解釈の勉強会を続けていた。 しかし僕にはそんな余裕は…

『ブッダ論理学五つの難問』 石飛道子 2005

とても不思議な本だ。今回、読み直しても、ここに書かれているのがどういうことなのか、うまく説明することができない。しかし、この本には何か特別なことが語られている、という魅力を放っている。 十年以上前、仏教の勉強を始めようとして半分ほど読んで、…

『釈尊のさとり』 増谷文雄 1979

仏教学者増谷文雄(1902-1987)の講演録を文庫化(講談社学術文庫)したもの。一般向けの教養講座の一回の講演会の分量だから、内容もわかりやすく90頁弱をなんなく読み切ることができる。 初読は1995年の5月のメモ書きがあるが、この日付には思い当たるこ…

『シッダールタ』 ヘルマン・ヘッセ 1922

読書会の課題図書で、何の予備知識もなく、読み進めた。ゴータマ・シッダールタがお釈迦様の名前というくらいの予備知識はあるので、釈迦をモデルにした小説と思って読み始めると、第一部(全体の3分の1くらい)まではさほど違和感はない。 ただ第一部の中…

『仏教と事的世界観』 廣松渉+吉田宏哲 1979

廣松渉の忌日に、今年は、この薄い対談集を手に取った。朝日出版社の派手な装丁のエピステーメー叢書の一冊で、1980年前後の時代がしのばれる。 たまにページをめくることがあっても、読み通したことはなかった。若い頃に比べれば、仏教や宗教へ関心をもって…

講師への礼状

〇〇会館での講演会を、一般参加者として聞かせていただいた者です。先生のお話に大変な感銘を受けて、お礼のメールを差し上げたくなりました。 正直なところ、真宗の信仰を持たない自分が、先生の専門的な議論を理解できるのか疑問で、参加をためらっていま…

浄土真宗の門法道場で

市内の某所で、浄土真宗の講義を聴く。時々ではあるが、もう10年以上お世話になっている門法道場だ。宗門の事情はよくわからないが、本願寺派や大谷派などの大宗派ではなく、比較的小さな団体に連なるグループのようで、戦後に福岡教育大学の化学の先生が、…

『日本の近代仏教』 末木文美士 2022

2017年に刊行された『思想としての近代仏教』を再編集して文庫化(講談社学術文庫)したもの。 清沢満之、倉田百三、田中智学、鈴木大拙、家永三郎等の思想や学説のポイントを絞って平易に解説することで、個々の仏教(学)者たちが何を問題とし、どのように…

『アメリカで真宗を学ぶ』 羽田信生 2022

今年も近所の浄土真宗の聞法道場(勉強会)で、羽田信生先生の特別講座があったので、申し込んで聴講した。コロナ禍で先生は来日できないから、昨年同様オンラインでの講義だったけれど、力のこもった羽田節を堪能できた。 羽田先生を知ったのは10数年前だが…

『超カンタン英語で仏教がよくわかる』 大來尚順 2016

扶桑社新書の一冊。著者は山口県のお寺に生まれた現役の僧侶で、アメリカでの研究歴をもつ。読みは「おおぎ しょうじゅん」 仏教のキーワードの英訳による解説と、仏教と日本に関する質問と答えの日英対訳、そして有名な三つのお経の漢語、英訳、現代語意訳…

仏道の師の話を聴く

コロナ禍で二年ぶりに羽田師の講演会があった。コロナ禍のため、師の来日はかなわず、アメリカからのズームによるオンラインの開催だ。宗門の人たちが60名ほど参加していたが、いつもどおり僕はまったくの部外者として聴かせていただく。 ただ、例年、師は宗…

仏教書とビジネス書

仕事や日常生活で使う必要がなかったせいか、今に至るまで英語がまったくものになっていない。ときどき学習しなおすといっても、受験英語の焼き直しにすぎない。やさしい小説を読もうとしても、三日坊主で終わっていた。 それでしばらく前に、いい勉強法を思…

内省と「無限の命」

先月、羽田信生先生の講演を聞いて、こんなことを書いた。 仏教の教えは、「私とは何か」という内省に尽きる。「苦」の生活から、内省によって自らの内なる「無常」に目覚め、「無我」の生活を開始する。その内容は、法と一つになり、大きな無限の命とともに…

羽田信生先生のこと

今年も、近所の浄土真宗の勉強会に、米国から羽田信生先生が講義に来られたので、公開講座に参加した。8年前に初めてお話をうかがってから、講義を聴講するのは5回目になるが、そのつど強い印象を受けた。仏教徒でもなく、宗教についても門外漢の僕が、仏…