大井川通信

大井川あたりの事ども

『ブッダ論理学五つの難問』 石飛道子 2005

とても不思議な本だ。今回、読み直しても、ここに書かれているのがどういうことなのか、うまく説明することができない。しかし、この本には何か特別なことが語られている、という魅力を放っている。

十年以上前、仏教の勉強を始めようとして半分ほど読んで、読みさしになっていた。なんというか、この本の、破格の立論についていけなくなったのだと思う。

ブッダの教えには、厳密な論理学(存在論)が内蔵されており、それによってブッダはこの世の一切を知ることが可能となった。このことに気づいたのは、のちの時代の龍樹(ナーガールジュナ)であり、そのことを現代においてはじめて明らかにするのが本書である。

という大上段の宣言が巻頭でなされる。しかし、このはったりめいた宣言によって、いやがうえでも仏陀の教えを理解したいという欲望が読者の側にわきたつ。こういう本は宗教者の書いた本でもまれだ。著者は真に「学」の魅力にとりつかれた人なのだろう。

現代論理学を手引きとして、ブッダの経典を読み解くその解説は、きわめて平明であいまいなところのないものだ。素養のない僕にもある程度ついていくことができる。それは僕たちが常識で知っている「因果の理法」をより正確に理解したものにすぎないように思える。それプラス、ブッダの相手に応じた自在な語り口によって、一切を間違いなく語ることができるようになったというのが、おおざっぱに言ってこの本のアウトラインといえるだろう。

どこか竜頭蛇尾、という感じもするし、この平明のなかの深遠さを理解できないのは僕の方の底の浅さだろうという気もする。ようやく読み終わった今の感じでいえば、印象は後者の方に傾いている。

生まれるものは、すべて消滅する。生ずることには原因があり、滅することにも原因がある。この真理について納得しつつ、一方で人生の様々な場面でどのように言葉を発していくか。仏陀の教えの見失われていた核心をつかまえて、悠然とぶれることなく論じる怪著だ。