大井川通信

大井川あたりの事ども

幼児の記憶

吉田さんが勉強会の席上で、子どもの頃の思い出について、こんな話をしたことがあった。たしか吉田さんが交通事故にあったときのことなのだが、まるで自分の身体から抜け出して見ているような情景を記憶しているというのだ。 吉田さんは、いろいろな特異感覚…

大井のマダムズトーク

筑豊名物のお菓子を手に入れることができたので、用山ツアーでお世話になった好さんの「ひさの」とアツコさんの家に差し入れにいく。 アツコさんの家では、ひろちゃんの奥さん(アツコさんのお母さん)がお友達のナガタさんとお茶会をしていて、誘われるまま…

コラムシフトの快楽

自宅の駐車場で車の車体をこすってしまい、修理工場の代車にしばらく乗ることになった。トヨタの何とかという車で、おそらくミニバンという車種の小さいものだろう。車内の空間が広々としていて、車高が高くのりやすい。 シフトレバーの位置が、運転席の隣の…

ツツジとフジ棚

菜の花と桜がすっかり終わって、まちを歩くと、ツツジの花が目立つようになった。 実家のあった国立には、かつて東京海上火災の計算センターがあって、歩道側の斜面にツツジが植えられていた。ツツジが咲き誇ると、毎年家族でそれを見に行った思い出がある。…

ヒーローを悼んで(1994.7.2 某高校新聞から)

F1のセナが逝った。 セナのレースをTVで熱心に見たのは、東京で塾の講師をしていた頃だった。もう二十代半ばだったが、周囲には学生アルバイトも多く、モラトリアムの気分に浸っていたように思う。 あの頃のセナは圧倒的に速く、レースへの集中力も群を抜い…

八王子の思い出

「八王子は決して武蔵野には入れられない」と国木田独歩は『武蔵野』に書いている。 子どもの頃の僕にも、八王子はどこか遠い場所だった。学校の遠足でたまに高尾山にでかけるくらいで、デパートでの買い物なら隣町の立川で十分だから、八王子まで足を伸ばす…

春のアゲハは小さい

今月になってから、何回か、アゲハチョウが飛ぶのを見かけた。どれも、おやっと思う程小さい。アゲハ特有の虎皮みたいな立派な模様はあるのだが、大きさがどうもものたりない。 昔から図鑑などで、アゲハなどの春型は夏型に比べて一回り小さいという知識はあ…

用山ガイド

大井のひろちゃんの娘さん(アツコさん)と「ひさの」の好さんを連れて、大井の隣村用山(もちやま)近辺の案内をする。 まずは、釈迦院不動から。古墳の石室の一部をホコラ代わりにして、ごつごつした岩の不動様が、障害者施設の入り口の森にひっそりとまつ…

木造市場の衰退

三年半ばかり前に現代美術展の会場となった筑豊市場に、ひさしぶりに寄ってみた。市場隣の老舗の喫茶店「らんぶる」で、モーニングを食べる目的もある。年配のご夫婦が、格安で甘い卵焼きのサンドイッチを出してくれるのだ。 僕は、商店街を舞台にしたアート…

大井で『武蔵野』を読む

大井貯水池の脇の公園で知人と待ち合わせている間に、ベンチで国木田独歩の『武蔵野』を読んだ。自分の生まれ育った武蔵野は、中学の頃からまち歩きをおこなった原点の土地だ。そのわりにこの高名な小説をちゃんと検討したことはない。 いざ読んでみると、独…

北風に人細り行き曲がり消え

『覚えておきたい虚子の名句200』から。 どうしても教科書やアンソロジーで知っていた句ばかりが目についてしまうのは、名句としてのパワーと味わってきた経験の蓄積があるから、仕方ないのだろう。 その中で、初読ながら、ガツンとやられた句。 北風の中を…

低山の恐怖

前々回は、水落山登頂の成功し、前回は迷ったものの何とか高松山に登頂できた。できればこの二つの低山の間の縦走をしてみたい。最初の水落山登山の時にもそれを試みて二つくらいのピークをたどって、竹林の密集した谷の前で断念している。 高松山で迷ったと…

虚子名句二題

一年半ばかり前、日本近代文学会の企画展で、近代詩人たちの自作朗読を聞く機会があった。急ぎ足での訪問だったので、じっくりとは聞けなかったが、やはり朔太郎の声には感激した。初老のやんちゃなオジサン風なのがいかにも朔太郎らしかった。 三好達治の「…

駅舎の椅子

ようやく国立駅の駅舎も駅前ロータリーに復元されたようだが、コロナ禍で東京に行く機会もなくなったので、まだ目にしていない。ただ、復元途中の様子から、実際の駅舎として使われるのではなく「文化財」として保存・活用された建物は、気の抜けたハリボテ…

こんな夢をみた(皮膚が波打つ)

突然、僕の身体に異変がおこる。 身体の内側で、ボール状の異物が動き回り、皮膚がボコボコと波打ち始めたのだ。足から腹へ、腹から胸へ。 SF映画で、エイリアンの子どもが体内に入り込んで、皮膚を突き破って出てこようとするシーンがあるが、ちょうどあん…

高校の事務室で

読書会仲間のGさんと話していて、彼の出身校の話題になった。近隣の名門校で、入学時期を 聞いてみると、どうやら僕がその学校の事務室で働いでいた頃のようだ。もう30年近く前のことになる。そのことを告げると、彼の口から意外な言葉が飛び出した。あなた…

金亀子(こがねむし)擲(なげう)つ闇の深さかな

読書会で高浜虚子の句集を読む。やはり人口に膾炙した名句のいくつかに引き付けられる。教科書やアンソロジーで親しんできた付き合いの深さが、句の理解と関係してくるのかもしれない。その中でも、今回は、この一句が僕の中では圧倒的だった。漢字が難しく…

悲劇二題

近所の低山で山道に迷ったことを書いた。大井川歩きの原則を貫いているため、登山の後も重い足を引きずりながら、ボロボロになって家にようやくたどり着く。これはその直後の話。 遅い昼食を食べに行こうと、駐車場から車を出す。いつものように右方向へ。そ…

うその思い出

エイプリールフールに上手な嘘をついた思い出はない。特別な日にちを頼りにしなくとも、ふだんからいくらでも嘘をついているためかもしれない。嘘というよりホラというべきだろうが。 僕は、いつもスキがあれば人を笑わせようとしている。笑いをとるためには…

高松山で道に迷う

我が街の境界となる西の丘陵の最高峰「水落山」を征服したからには、その並びの高峰「高松山」にも登頂したくなる。雑草と有害生物の季節はもう目の前だ。週末に意地悪のように天気が崩れるが、なんとか晴れた土曜日に勇んで家を飛び出す。 高松山は200メー…

林を出でて林に入り

東京から遠い地方に生活の場所を移してしまったから、卒業した学校の同窓生に会う機会はほとんどない。全国区のマンモス大学の卒業生ですらめったに会わないのだから、ローカルな小中高の同窓生とは無縁なのだ。 地方では、大学というよりも、出身高校による…

空き地と土管

月に一度の吉田さんとの勉強会。今回で27回目だ。継続は力なり。友人と会うのに規則的な「勉強会」という枠組みが必要であるというのは、発達障害的な僕の気質によるものだが、そういうこだわりによって、怠け者の僕が継続して何かに取り組めるという利点も…

絵本「笠ぼとけさま」後書き

近所に「笠仏」という地名があるのが気になっていた。 ある時、その土地を歩いていると、道の脇に石材を無造作に寄せて地面をコンクリートで固めてある場所が目に留まった。庚申塔にしては扱いがぞんざいだなと思ってよく見ると、その中に、六角形の石材の六…

日本住宅政策三本柱

住宅の歴史に関する本を読んでいたら、戦後の住宅政策に三本柱というものがあるのを知った。敗戦による住宅不足を解消するために、1950年代の前半に相次いで打ち出された政策だ。 1950年(昭和25年)の住宅金融公庫法による、住宅ローンでの「公庫住宅」。19…

Hさんへの手紙

昨年11月にお会いしてから、いただいた資料の感想がすっかり遅くなってしまいました。言い訳になりますが、年末年始の長期休暇で書こうと予定していたところ、その期間完全に寝込んでしまい、正月明けもしばらく調子が戻りませんでした。年明けもバタバタし…

What と Way

マネジメントの教科書で、日本の組織は、部下への機会の与え方を支援の仕方において、弱点があるということを書いてあった。 肝心なのは、適切な課題(What)と同時に、それをいかにしてやるのか(Way)というコツを教えるということだった。そして、そのコ…

檸檬忌に梶井を読む

忌日には、一年に一回その人のことを振り返ることができるという効用がある。 というわけで、梶井基次郎(1901-1932)の89回目の忌日に、彼の本を手に取った。二年ばかり前、読書会で薄い短編集を読んだので、それに収録されていないものを選んで読む。 二…

水落山登山

近ごろ、ようやく低山登山の面白みを知った。雑草が茂ると山に入りづらくなる。暖かくなるとマムシとかも出てきそうだ。今のうちに登ろうと思うのだが、週末の度にいやがらせのように雨が降る。気ばかりあせるが、こればかりはしょうがない。 マイルールでは…

春の花

例年より開花がはやく、サクラが盛りを迎えようとしている。満開のサクラは淡く上品で、毒々しさはないけれども、やはり異様な生命力を感じる。先人がいろいろな想像力をかきたてられてきたのも無理はない。 職場近くの民家の庭では、早いうちから梅の花がき…

『百万ドルを取り返せ!』 ジェフリー・アーチャー 1976

読書会の課題図書。いわゆるエンタメ(娯楽)小説というのだろうか。読書会で扱うのは珍しい。いつもより楽に読めて楽しかったのだが、読書会を待たずに、読了とともに満足してしまった気がする。ハリウッドの娯楽映画を観終わった感じに近いだろうか。 ス…