大井川通信

大井川あたりの事ども

「今年の日記から 製造所資材二課 松井恒弥」(リッカーミシン社報1968年12月号 随筆欄)

 某月某日

 午ごろ一家で街にでた。この春最高とおもわれる暖かさである。山吹れんぎょうの黄、木蓮の紫、雪柳の白、等々、多彩な色の饗宴に花の春は今が盛りかとおもわれる。

 オモチャ・フレンドで安彦にリモコンのジープ、玉田で倫子に約束の自転車をかった。玩具屋での安彦のショッピングの興奮、倫子の新しい自転車との対面の感激、ともども脳裏に焼きつけて帰路についた。

 よろこび弾む子供たち同様、いやそれ以上に親としての充実感に浸りつつ・・・。

 あるか無きかの風に桜が散って風花のように舞って美しい。

 某月某日

 ・・・さて百花繚乱の花の春もそろそろ峠を越し、自然は「新緑潮の如し」とかつて荷風のいった若葉の季節に入ったようである。つい先ごろまで華麗さを誇っていたつつじも今はほとんど花片を落し、緋毛氈を敷いたような美しさを路辺のあちこちに見せるばかりとなった。今年の春も殊更に花の遠出は出来なかった。しかし与えられた自己の範囲内ではせいぜいその恩寵に浸ったつもり。

 さりゆく佐保神に一抹の哀別感を禁じ得ないものの、豊かなその美酒に酔った身には格別の悔もないようである。

 某月某日

 島秋人の「遺愛集」を読了した。

 飼をはこぶ蟻につききてあみ塀にさえ切られたり死刑囚われは

 夢なりと凍み入る獄の壁に触れ目覚めては得る命なりけり

 土近き部屋に移され処刑まつひととき温きいのち愛しむ

 死を宣告され生を極限されたもののみが味うであろう生への飽くなき執着と呻吟、その間にてんめんする宗教的諦観と静謐さ、高度の抒情性等、読後感慨少なからぬものがあった。著者島秋人は強殺人のいわゆる極刑囚だそうだが、その彼をかくまで高く昇華なさしめた秘密は一体どこにあるのだろう。それは獄中日毎に続けられた死との真剣な対決ではなかったろうか。まこと死への凝視は  ー  生の有限を再確認することは、人生如何に生きるべきか、あるいは感じるべきかの貴重なスタート台になりそうである。日常茶飯の瑣事にいたるまでも光芒化した「遺愛集」の著者と作品は、期せずしてそれを私どもに教示してくれているかのようである。

 流石梅雨中で大小の雨が飽くことなく降っては止みしている。くちなしの芳香、あじさいの色彩がその陰湿さの中でせめてもの救いである。

 某月某日

 国分寺跡を久しぶりに散歩  ー  二十余年前はじめてこの地を訪ねた頃は、「国分寺擲(なげう)てば瓦もかなし秋の声」の蓼太の句も自からな荒涼たる遺跡風景がまだ残されていた。しかし周囲に家がふえ半ば公園化したこの土地に、すでに詩情を求めるのは無理なようだ。度重なる国分寺参りも恐らくはこれが最後となろう。

 某月某日

 円空仏にこのところ取りつかれている。私には殊更な、仏像趣味はない。白鳳天平の諸仏もその荘厳さに魅かれはするものの、あるときはその装飾趣味にまたあるときはそのエキゾチシズムに反発すら感じる。しかし円空はひとり別のようだ。既成仏像には見られない斬新な主題処理、一木に彫りつける刀痕のタッチの雄勁さ、それにも増してそれら微笑仏の、微笑の数々は!

 一見稚拙にもみえるその微笑のおおらかさは、凡そ非凡なるが故に私は著名な弥勒菩薩の微笑より、あるいはジェコンダのなぞのそれよりもしたわしく思われる。敢て仏像に限らず漸近私の嗜好は簡素素朴なものへの傾倒が著しくなった。

 これをわが好みの老成を示すものとして喜ぶべきことであろうか、あるいは若さの退潮と悲しむべきなのだろうか・・・。

 窓外では今日も蝉の声がしきりである。