大井川通信

大井川あたりの事ども

『光と風と夢』(中島敦 1942)から

・・静かだった。甘藷の葉摺の

外、何も聞えなかつた。

私は自分の短い影を見なが

ら歩いてゐた。

かなり長いこと、歩いた。

ふと、妙なことが起った。

私が私に聞いたのだ。

俺は誰だと。名前なんか

符號に過ぎない。

一體、お前は何者だ?

この熱帯の白い道に

瘦せ衰へた影を落して、

とぼとぼと歩み行く

お前は?

水の如く地上に来り、

やがて風の如くに

去り行くであらう汝、

名無き者は?

 

※A4の原稿用紙一枚に、以上のように行分けして書き写したものが、父の遺品の中から見つかった。タイトルも引用元も書かれていなかったので、オリジナルかもしれないと思った。出典がわかったのは偶然だ。社報のエッセイとともに手書きの原稿をコピーして、父の葬儀の参列者に配った。晩年、この部分を書き写した父親の問いの重さに心を動かされる。

 

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