大井川通信

大井川あたりの事ども

点鬼簿

道玄坂の100年(つづき)

先月18日の父親の生誕百年の記念日の記事で、渋谷道玄坂のカフェでお祝いをしたことを書いた。その文を、次のように結んだ。 「渋谷にあふれる人の波を見ながら、この中に父のことを知る人が(僕以外)誰もいないということを、当たり前でありながらとても不…

父が書いたもの

あらためて考えてみると、父は書いたものをほとんど残さなかった。今のように誰もがSNS に手を出すような時代ではないから、一般の人が何かを書いて発信するということは稀だった。ただし、父は文学好きで、小説以外でも思想や詩歌、古典についての専門書も…

道玄坂の100年

父親は渋谷道玄坂の生まれだ。誕生日が大正13年(1923年)の3月18日だから、今日でちょうど満100歳となる。亡くなったのは2006年で82歳の時だったが、今年は生誕100年のお祝いをしようと姉と話していた。 夏目漱石の『夢十夜』の第一夜に、100年経ったら会い…

月がついてくる話(安部公房生誕100年)

長男を子育て中、幼児だった彼が、自動車の窓から月を見つけて、「どうして月がついてくるの?」と不思議がっていた時期があった。なるほど、窓の景色はどんどん飛び去って行くのに、いつまでも夜空の月は風景を横切って追いすがってくる。 僕も同じような経…

安部文範遺稿集『ブラウン氏のおもいで』について(総括編)

行橋の宮田さんに、かつての東京の同人誌仲間の分を預け、その足で小倉のギャラリーソープで外田さんに会って美術関係者の分をまとめてあずけた。 そうすると後気になるのは、福岡方面への配布だ。これは安部さんが生前通った屋根裏貘のマスターがこころよく…

黄金市場のおじさんの初盆に醤油を届ける

「なんもかんもたいへん」のおじさんと付き合いが始まったのは、その口上が面白かったためだけではない。古びた木造の黄金市場の中であっても、きちんと店を構えていたならそこまでの興味はもたなかっただろう。 おじさんは狭い路地にしゃがみこんで、背後の…

安部さんの文集の準備をする

ゴールデンウイークはカレンダーどおりだが、長男が帰宅したり、知人の結婚式に出たりする以外特別なイベントもないから、時間はたっぷりある。カフェやファミレスにできるだけ長くいて勤勉な時間を確保するだけでなく、自室も整理して、自宅でも作業しやす…

なんもかんもたいへん、さようなら

昨日読書会で、今まで自分のやった聞き取りの報告をして、そのなかで黄金市場の「なんもかんもたいへん」のおじさんの話をした。それで懐かしくなって、久しぶりに北九州小倉の黄金市場に行ってみた。 僕が、市場の路地にしゃがみこんで野菜を売るおじさんの…

田宮虎彦と武者小路実篤

今日は、田宮虎彦(1911-1988)と武者小路実篤(1885-1976)という二人の小説家の忌日だ。これを意識したのは初めて。 田宮虎彦は、昨年買った作品集第4巻から、「幼女の声」と「異端の子」の二つの短編を読む。前者は、大陸から苦労して引きあげてきた幼…

西原春夫先生の思い出

昨年ネットで、たまたま西原先生の動画を見つけて、懐かしかった。80代の半ばをすぎての講演のはずなのに、情熱をもって高邁な政治思想について語る姿に驚かされた。ところが今年の1月になって、西原先生の訃報に接することになる。 僕が入学したころの早稲…

銀河鉄道に乗って

先月、漫画家の松本零士(1938-2023)が亡くなった。有名人ではあるが、僕にはそこまで思い入れはない。連載を読んだのは、子どもの頃の『おとこおいどん』ぐらいだったような気がする。 その4畳半ものといわれる作品の原型となるような、とても切ないSF…

ことばを贈る・ことばで送る

親しい人の最期をどんなふうに見送るのかは難しい。僕は両親を見送ったが、どちらも東京にいる姉に全面的に頼らせてもらい、仏式の葬式を出した。親せきや友人が主体のとてもよい葬儀だったが、檀家でもない見知らぬ僧侶に依頼せざるをえないことには、ちょ…

従姉の訃報

僕たちの世代と今の若い世代との違いはたくさんあるが、いとこの数もその一つだろう。戦前生まれの親たちは兄弟が多かった。僕の父親は四人兄弟だし、母親は七人兄弟だった。すると、叔父叔母の数が多いわけで、彼ら彼女らが戦後の時代に産む子供の数は戦前…

安部さんを弔う(評論の魂)

安部さんについて、二つの謎があると書いた。 繰り返すと、一つは、福岡での美術評や映画評の書き手としての飛躍を可能にしたものが何なのか、という謎。もう一つは、安部さんの繊細な内面に、素朴にすぎるような思想が同居できたのはなぜか、という謎だ。 …

安部さんを弔う(二つの謎)

安部さんの家族葬に参列できなかったのは仕方がないと思っていたし、そもそも本人が亡くなった後の儀式というものに特別に意義を感じてこなかったところもある。 ただ葬儀には本人の遺体に別れを告げ、その人をめぐる人々とあらためて顔を合わせることで、気…

安部文範さんを悼む

安部文範さんの訃報に接する。 2年前の夏に不慮の病に倒れたものの、昨年末には手紙のやり取りもできるまで回復していた。ただ、コロナ禍の入院で見舞いすら許されなかったのが、もどかしかった。 もう少し待ちさえすれば、安部さんの生活がどういうものに…

夢野久作の墓前で『犬神博士』を読む

旧杉山農園の場所の情報を探している中で、夢野久作の墓所についても知ることができた。これも驚きだったのだが、僕の妻の実家から歩いて数分の場所だったのだ。博多区の呉服町で、今は取り壊された実家の近所にある一行寺というお寺だ。 今の職場からもバス…

夢野久作の聖地へ

仕事の帰りに九産大前の駅で降りる。夕立はあがったが、気温は下がらず、べとべとと湿気を含んだ空気が身体にまとわりつく。携帯で話しながら歩く男の怪しげな言葉が耳に入る。「唐原は高周波暴露にやられていているようだ。昨日から星がチカチカしてみえる…

夢野久作の農園跡

休日なので、妻とドライブをする。妻の希望は、新宮のインテリアショップだったが、少し足を伸ばして、九州産業大学の美術館に先に行くことにした。九産大前駅近くの唐原(とうのはる)の街は、新婚の頃3年ほど住んだことがあり、長男を授かったのもこの土…

梅崎春生を『蜆(しじみ)』で偲ぶ

忌日を利用して故人を忍び作品に親しもうと思いついたのだが、うまくいっていない。先月からでも、6月7日の西田幾多郎、19日の太宰(桜桃忌)、28日林芙美子、7月9日鴎外、10日井伏鱒二と、なすすべもなくスルーしてしまった。 それで昨日の19日が、梅崎春生…

ナンシー没後20年

ナンシー関が亡くなって、20年。それが6月なのは覚えていたが、日付まで意識したことはなかった。これからは彼女の忌日は大切にしたいと思う。 ナンシー関(1962-2002)は、僕が一番同世代を感じた好きな書き手だった。年齢は一つ違いで、ほぼ同じ時代の風…

同僚の逝去

4月6日は父親の命日だったが、その日に急遽、元同僚のお通夜に出ることになった。職場の知り合いの訃報に接したことは何度もある。上司や知り合い、仕事で多少関係のあった人たちだ。ただし、いっしょにチームを組んで何年も苦楽を共にした同僚の死に立ち会…

小津の誕生日

映画監督の小津安二郎(1903-1963)と僕は誕生日がいっしょだ。若いころ、蓮実重彦の本でそのことをおしえられた。相変わらず本気とも冗談ともつかない調子で蓮実が語るには、小津が特別に偉い人物である証拠は、還暦の誕生日にピタリと人生を閉じたところ…

追悼 白土三平

今月8日に漫画家の白土三平が亡くなったという報道が、月末になって出た。作者はあまり表に出てこないし、かなり昔の人というイメージもあり、なにより作品が巨大すぎて生身の作者が想像しにくかったのかもしれない。亡くなったと言われても、ちょっとピンと…

五月雨忌

先月、作家の忌日を調べる機会があったが、その時、五月雨忌というのが目についた。シンガーソングライターの村下孝蔵(1953-1999)の命日を、最大のヒット曲「初恋」(1983)の冒頭の歌詞「五月雨は緑色」に因んでそう名付けられたらしい。 純朴そうな人柄…

記念日と忌日

5月10日なメイドの日だったそうだ。それでBand-Maidの配信ライブがあって、それをいつものように(昨年に彼女たちを知ってから、4回目になる)楽しんだのだが、さすがにメイドの日については周辺知識がとぼしく書くことができなかった。これだけ惹かれている…

5月5日はこどもの日

叔父さんが亡くなって20年目の命日だから、従兄のけんちゃんにメールをする。早いものだ。亡くなる直前に病院にお見舞いしたとき、しきりに家に戻りたがっていた。「一番自然だから」と。その関係翌日に、叔父さんは病院で「不自然な」死を迎えてしまった。 …

八ちゃんの命日

今日は八ちゃんの命日だから、切り花と魚の缶詰を買ってきて、「仏壇」に備えた。「仏壇」といっても、テレビ台の棚の一角に、八ちゃんの骨壺(きれいな布の袋に包まれ、八ちゃんの写真が貼られている)と、八ちゃんに見立てた猫のぬいぐるみが置かれたコー…

ヒーローを悼んで(1994.7.2 某高校新聞から)

F1のセナが逝った。 セナのレースをTVで熱心に見たのは、東京で塾の講師をしていた頃だった。もう二十代半ばだったが、周囲には学生アルバイトも多く、モラトリアムの気分に浸っていたように思う。 あの頃のセナは圧倒的に速く、レースへの集中力も群を抜い…

檸檬忌に梶井を読む

忌日には、一年に一回その人のことを振り返ることができるという効用がある。 というわけで、梶井基次郎(1901-1932)の89回目の忌日に、彼の本を手に取った。二年ばかり前、読書会で薄い短編集を読んだので、それに収録されていないものを選んで読む。 二…