大井川通信

大井川あたりの事ども

黄金市場のおじさんの初盆に醤油を届ける

「なんもかんもたいへん」のおじさんと付き合いが始まったのは、その口上が面白かったためだけではない。古びた木造の黄金市場の中であっても、きちんと店を構えていたならそこまでの興味はもたなかっただろう。

おじさんは狭い路地にしゃがみこんで、背後の少しだけ開いたシャッターの下から取り出した野菜を地面のザルに並べて商売をしていた。すぐ斜め前にはちゃんとした八百屋もある。どういういきさつでそういう特殊な形態の商売が始まり、黙認されるにいたったか想像もつかなかった。

歴史のある黄金市場も、今や開発の波に押されてかろうじて命脈を保っている。いっしょに買い物客を集めていた共存共栄のスーパーがつぶれたり、近所に大型のディスカウントショップが開店したりと、市場の先行きを握るニュースが真っ先におじさんの口上の題材になって、面白おかしくはやし立てられる。

おじさんからは家族の話や、商売を手伝ってくれた奇特な人との出会いの話を聞いた。ただし、かんじんの商売の経緯のことは聞き忘れていた。なんとなく聞きづらかったのだろう。休み勝ちなおじさんの「店」にお土産を残して帰ることもあった。

僕は毎月読書会で小倉に通っていたから、もしコロナ禍がなかったら、おじさんとのかかわりももう少し深いものになっていたのかもしれない。結局、コロナ以降は会えないままに、訃報を受けることになった。

おじさんとの縁でいうと、僕の住んでいる宗像の醤油を昔からひいきにしていたそうだ。子ども時代のシンナーをきっかけに薬物依存が抜けなかった息子さんが亡くなる前に入院していたのは宗像の回生病院だったとも聞いた。

それで、初盆も宗像の醤油をもって、市場の近くの娘さんの花屋を訪ねた。今日は店番におじさんのおくさんがいて挨拶することができた。

この間、現代美術作家の外田さんと話して思い出したのだが、僕は、芸術家たち(美術家や演劇人)が古い市場や建物を舞台にして、その場所の歴史やイメージをあたかも搾取するように表現に結び付けることに反感のようなものを抱いていた。

僕も古い市場や建物が好きだったので、もし僕がそんな場所にかかわるのなら、もっと違ったことをしたいと考えていた。おじさんとの何でもない付き合いも、そんな無意識の思いに押されてのものだったのかもしれない。

僕にはそんな意地っ張りなところがある。安部さんとの関係もそうだったのではないかとふと思う。

25年前に安部さんと出会ったのは、差別に関わる問題を語り合うグループだった。そこでは被差別の当事者による人間関係の理想論が声高に語られていた。しかし、その理想論にもかかわらず、異色の存在だった安部さんはその会を追われることになり、その後会も瓦解した。

僕が、それから20年、安部さんとの対話を続けたのは、その会が標榜しながらできなかった(いや本気でやる気はなかったのだ)「言葉をつなぐ」ことをやりきろうと密かに思ったためかもしれない。

この記事を書きながら、おじさんと安部さんとでは忌日が一週間しか違わないことに気づく。合掌。

 

 

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