大井川通信

大井川あたりの事ども

2023-06-01から1ヶ月間の記事一覧

夏越の祓に閃輝暗点

神社などを見て歩くようになると、どうやら6月30日というのは特別な日であるとわかってくる。年間の祭礼日程が掲げられているところでは、大晦日とともに大祓(おおはらえ)が行わると記されているが、身近な小社で実際に立ち会うことはめったにない。 6…

『希望の原理』 岸田秀 1993 

唯幻論の復習のために取り出して読む。著者にとって初めての語り下ろしの本で、基本的なトピックが多数扱われているのに記述が短くてわかりやすく、全体の分量も少ない。岸田秀の考えをおさらいするのに便利なのだ。 青土社の岸田秀コレクションの一冊だが、…

丘陵を歩く柄谷行人/郊外・里山・ニュータウン

※52回目の吉田さんとの月例勉強会のレジュメ。今までの関連記事からポイントだけを取り出してA4二枚の資料とする。吉田さんは、僕の近所歩きの取組(厳密に言うと、住居のあるニュータウンを歩き出て、それまで死角だった旧集落、住民、歴史、里山、自然、…

ゴマダラカミキリの命運

我が家のシンボルツリーたるケヤキ。これ以上大きくなっても困るし、害虫に喰いあらされて樹勢がおとろえるのを放置するのも忍びない。 そんなわけでゴマダラカミキリに対しても、以前のように寛容でいられなくなった。わずかに保存された近所の鎮守の杜の樹…

おしりを引きずる九太郎

居間と廊下の間には、ガラスをはめた木製のドアがある。ドアが閉まっているときには、廊下側でボンちゃんが立ち上がって、こちらむきに前足でガラスをこする仕草をする。短い前足を上下させてガラスを拭いているようにも見えるし、ドアを開けてくれとアピー…

美術展と絵葉書と図録と

次男を職業訓練校の見学に連れていくついでに、市立美術館によった。本人も美術には興味がないわけではないし、観覧料の免除制度もあるから、機会を見つけてもっと連れて行ってあげるべきだと思いながら。 印象派からエコール・ド・パリまでの名品を西欧の美…

『運命』 国木田独歩 1906

国木田独歩(1871-1908)の第三短編集だが、昨年に岩波文庫の新刊で出版されている。独歩の短編はどれも面白い。小説の巧みさというよりも、作品の根底にある認識の全うさ(プラス芥川の言う「柔かい心臓」)において際立っている。 『悪魔』(1903)は、田…

『デミアン』 ヘルマン・ヘッセ 1919

『シッダールタ』を読書会で読む参考資料として、手に取った。文庫で250頁ほどだが、二日ほどで一気に読み切ってしまった。それほどまでに(序盤は)面白く、(中盤以降は)摩訶不思議で、先を読まないではいられないような作品だった。 10歳のシンクレール…

兄弟悲喜こもごも

夕方、長男から電話がある。7月上旬の東京行きの土日にひとり家に残る妻の相手をしてほしいという頼みをしていたのだが、その返事だけで電話をくれるとは思えない。仕事が終わったばかりなのか、なんだか声も弾んでいる。 その頼み事のラインをしたとき聞い…

『古都』 川端康成 1962

京都の名所旧跡と年中行事に彩られた作品。読書会の課題図書として、初めて川端康成(1899-1972)を読んだ。 読みながら、僕は何回くらい京都に行ったことがあるのか、ふと気になった。中学生の修学旅行が初めての京都で、その10年後帰省の途中に車で町を巡…

『釈尊のさとり』 増谷文雄 1979

仏教学者増谷文雄(1902-1987)の講演録を文庫化(講談社学術文庫)したもの。一般向けの教養講座の一回の講演会の分量だから、内容もわかりやすく90頁弱をなんなく読み切ることができる。 初読は1995年の5月のメモ書きがあるが、この日付には思い当たるこ…

『シッダールタ』と唯幻論

読書会のもう一つの課題は、小説『シッダールタ』となんだか似ている(あるいは、ぜひ比較してみたくなる)別の作品をジャンル不問で連想してください、というもの。 この課題は、素人の読書会の課題としてとても優れていると思った。専門家同士の読みであれ…

『シッダールタ』 ヘルマン・ヘッセ 1922

読書会の課題図書で、何の予備知識もなく、読み進めた。ゴータマ・シッダールタがお釈迦様の名前というくらいの予備知識はあるので、釈迦をモデルにした小説と思って読み始めると、第一部(全体の3分の1くらい)まではさほど違和感はない。 ただ第一部の中…

次男の子育て(転職活動をぼちぼちと)

次男が会社を辞めることになったとき、すぐに再就職を目指すのではなく、少し休ませてあげたいという思いがあった。高校卒業後6年間みっちり働いて貯金もできた。大学に行くことを思えば、数年くらいは充電期間があってもいいのではないか。僕もあと4年間…

次男の子育て(仕事と年金)

なんとか就職できた先は、介護施設を全国展開する企業で、創業社長が一代で築きあげた会社だった。入社前から研修があり、本社での入社式も、障害のある次男も別扱いせずにいっしょに行い、参加した妻がその名物社長と応接室で親しく話をして会社の本をもら…

次男の子育て(高校生活と就職活動)

高校は10人くらいのクラスで、先生の目の届く良い環境だったと思う。三年の英語の授業参観では、けっこうしっかり授業しているのに驚いた。実習は木工を選び、小さな椅子やベンチ、三段の抽斗などを作ってきて、今でも自宅の家具として使っている。 長期休…

次男の子育て(寮生活)

「次男の子育て」をテーマにした連載記事が、しばらく中断していた。彼も成人して立派な社会人となっているが、親としての関わり(子育て)は継続中だ。ここにきて、その面でも大きな変化が生じている。タイトルだけ決めていた以前の記事を再び書き始めるこ…

『ダロウェイ夫人』の一日から100年

100年という時間幅は、一人の人間が経験できる時間の単位としては最大のものだろう。まして、若年のうちは、とてつもなく大きな時間を示すものに思えていた。10年ひと昔、というがそのひと昔を10個積み重ねてようやく到達できる、はるか向こうの世界。 漱石…

テレビへのレクイエム

僕の子どもの頃は、父親がチャンネル権(これも死語だろう)をしっかり握っていて、他の家族にも見たい番組があるはずだと想像力を働かせたりする様子はまるでなかった。父親の世代では、中年すぎてようやく手に入れた高価なおもちゃを家長の自分が思い通り…

『柄谷行人『力と交換様式』を読む』 柄谷行人ほか 2023

雑誌掲載の講演録やインタビュー、書評等をとりまぜて、柄谷行人の最近の仕事を概観する文春新書。 2000年頃の『トランスクリティーク』やNAMの活動の終焉以降、柄谷の本はあまり読んでこなかったから、小ぶりながら久しぶりに活気のある面白い柄谷本を読ん…

西行を読む

笠間書店の「コレクション日本の歌人選」を使って、詩歌を読む読書会で西行(1118-1190)を読んだ。38首の代表歌にしぼった注解が充実しているし、年譜等もあるから、西行についていろいろ知ることができた。 まず、西行が歌の世界の同時代のスターであっ…

ムクドリの親子

テレビのニュースで、駅前の街路樹などをねぐらにして、すさまじい数の鳥が集まっているという報道があれば、まちがいなくそれはムクドリだ。 スズメなどの小鳥より一回り大きいが、同じくらいのサイズのツグミやヒヨドリに比べると、尾が短くてずんぐりした…

畔上対話(啓示としての詩)

原田さんの活動が思い通りにいかないのは、自分の詩をムラづくりの中心に据えているからだ、という言葉は、賢人にとって受け入れがたいことだろう。しかし、それを黙って聞き入れる度量が賢人にはある。 ここまでのことなら、一方的に僕が賢人をディスってい…

畔上対話(ムラと方舟)

竹の杖をついて大井川の川べりを歩いていると、村の賢人原田さんが、里山に接した田んぼに軽トラを止めて作業しているのが目に入った。 田んぼの下のあぜ道から近づくので、僕の姿は原田さんには見えない。僕は、大声でいつもの「ホンニホニホニ ホンニホニ…

祈祷(きとう)は迷信の特徴なり

近頃は、岩波文庫の『清澤満之集』所収の短文を毎日読むことを心掛けるようにしている。清澤満之との出会いは、今村先生晩年の紹介がきっかけだが、その後羽田先生ら仏教者との出会いもあり、清澤満之の思想と存在は、僕には特別なものになっている。 何より…

堀之内妙法寺を回想する

立正佼成会について記事を書いて、自分が佼成学園高校を受験したことを思い出した。半世紀近く前のそのころは、新宗教の活動は今よりはるかに活発で反感も強かったと思うのだったが、異物を排除するような過剰な拒否感はまん延していなかったような気がする…

安田記念を観る

競馬の春のシーズンが続いているので、毎週のG1レースを楽しみにしている。とはいえ、お金をかけるわけではないから、あまり知らない馬ばかりだと、そこまで没入はできない。お金という大切なものをその馬に賭けることによって、その馬を自分の分身化する…

母の命日

今日で、母が亡くなって5年になる。両親、とくに母親からの無条件の愛情というものは、時に重荷になったりうっとおしく思ったりするけれども、やはり自分の人生を前向きにとらえていくうえで大切なものなのだと思う。 母親が亡くなって、そうした無条件の愛…

立正佼成会のことなど

『日本の新興宗教』の中で、戦後に急速に勢力を増した教団として、創価学会とともに、立正佼成会が大きく取り上げられている。同じ日蓮宗系の新宗教でありながら、両者にははっきりした性格の違いがあるという。 僕は、幕末に出発した黒住教、金光教、天理教…

『日本の新興宗教』 高木宏夫 1959

岩波新書青版(1949-1977)の一冊で近頃再刊されたもの。新宗教に多少興味がある僕でも、岩波新書にこんな本があるとは知らなかった。新興宗教という呼び名自体も今では古びているが、内容も明らかに一時代前のもので、現代では考えられないような視点から…