大井川通信

大井川あたりの事ども

畔上対話(啓示としての詩)

原田さんの活動が思い通りにいかないのは、自分の詩をムラづくりの中心に据えているからだ、という言葉は、賢人にとって受け入れがたいことだろう。しかし、それを黙って聞き入れる度量が賢人にはある。

ここまでのことなら、一方的に僕が賢人をディスっているというだけのことになる。しかし話はここで終わらない。賢人の挫折は、実現不可能な途方もない夢を抱いてそれに突き進んでいることの結果だ。

だれが70歳を過ぎて、自分のムラ(仲間集団)をつくり、自分の詩を食べさせる店を開き続けようなどと思うだろうか。すでに何冊かの詩集を自費でつくり、ネット上にもたくさんの書画作品を発表しており、それなりの好評を得ている。並みの承認欲求なら、とっくに満たされているはずなのだ。

つまり、賢人原田さんは、並みの老人が持つような小さな「自我」をかかえて悩んでいるのではなく、とてつもなく大きな「自我」に突き動かされて、実現不可能と思える巨大な自我の実現と承認に向けて、損得抜きにまい進しているというわけなのだろう。

だとしたら、原田さんの詩は、個人の自己表現としてあるような文学作品としての詩ではない。創唱宗教の創唱者がそうだったように、自らの口を通じてあふれ出す普遍的な「教え」(天の啓示)ということになる。原田さんが自らの詩の誕生の喜びを語り、自らの詩に助けられて生きてきたと言い、この詩を多くの人に届けたいと語ることの理由も、これを天からの教えや啓示と考えると理解しやすい。

原田さんは10代の時に精神の危機を迎え、家を出奔し、禅寺で修行したり、信州の高森草庵で著名な神父押田成人の指導を受けたりした。そこで本格的な宗教理解を培ったのはまちがいない。

しかし、その後は俗世の恵まれているとはいえない環境(60歳過ぎてもムラづくりのかたわら新聞配達や幼稚園の用務員の仕事つづけていた)の中で、自分の言葉と思想を磨いてきた。教会や寺院、大学等の制度に守られて純粋培養されてきた学者や宗教者とは、およそ地力が違うのだ。

その力量と才能は、創唱宗教の創唱者なみのものがあるというのは、年来僕の抱いてきた確信であるけれども、原田さんの詩が、一種の啓示であるという理解は、今回の対話ではじめて腑に落ちたことだ。だからといって、いや、だからこそ、「詩を食べる店」が成功し、彼の詩が人々に浸透して彼らを助け、世の中を大きく変えるというようなことは決して起きないだろう。

僕がこういうと、賢人は、得意の「点の思想」を開陳して、この点にチョンと触れるだけでいいのだがなあ、とても簡単なことなのだがなあ、と残念そうだ。そうすれば、世界は一変し、愛と真理の世界に生きることができる。

原田さんのいう「点」(詩)というのは、南無阿弥陀仏のようなものですね、と僕が応じる。南無阿弥陀仏を唱えることで、この世界がそのまま浄土になる。しかし、それが可能になるためには、現世を超えた世界に対するあこがれや予感のようなものが、あらかじめ準備されていないといけない。しかしそんな人はまれなのだ。

里山のふもとの田んぼのあぜ道もそろそろ暗くなってきた。僕も原田さんも立ち上がってズボンをはたいた。