大井川通信

大井川あたりの事ども

村の賢人のインタビューを決意する

村の賢人原田さんと話すようになって10年になるだろう。この間、対面で一番丁々発止の議論をしてきたのは原田さんだった。いつもではないが、批判めいたことを踏み込んで話したこともある。そういうことができるのも、僕がだれよりも賢人のすごさに感心しているからだ。

僕の賢人に対する究極の評価は「世界的な宗教家」だということだ。泥にまみれ、世俗の扱いに翻弄され、生活や人間関係にずっこけながら自分のやりたいことをたゆまず続ける原田さんのことを誰も宗教家などと思っていない。

僕が時々参加している浄土真宗の聞法道場は、羽田先生が賛辞をおしまないくらいレベルの高い場所だが、そこが併設する幼稚園の用務員をしていた原田さんの「宗教性」の高さに誰も驚かない。原田さんを拝もうとする人はいない。面白い活動をする個性的なおじちゃんというくらいの認識で、自分たちが真剣に取り組んでいるものを脅かすような「巨人」であることに気づくことはなかった。

かくいう僕も、賢人のすごさを認めることでは一貫していながら、凡人の悲しさでそれ以上関係を深めることをせずに、原田さんをからかったりしながら気楽につきあってきた。

賢人の思想は賢人の生き方や人生と表裏一体になっている。賢人は自分の「作品」を押し出すことに夢中だけれども、賢人の全体像を受け止めるためには、賢人の履歴を知ることが必要だ。賢人原田さんの伝記をまとめれば面白いし、価値あるものになるだろうからいつかやろうと思ってきた。

ところがその課題も、たくさんのそれ以外の課題といっしょでなすこともなく無為に過ごしてきた。賢人と同い年の安部さんも亡くなってしまい、あわてて遺稿集をまとめているところだ。聞き取りをしようとしていた地域のお年寄りたちも次々に鬼籍に入っている。

賢人は、80歳までの活動を目標にしてまだまだ意気盛んだが、むしろこちらの命の方が危うい。僕はいよいよ重い腰をあげることにして、賢人本人にむかって連続インタビューを行う宣言をした。