大井川通信

大井川あたりの事ども

母の晩年

母親は、病気で衰えても、最期まで気丈でしっかりものだったが、認知機能に衰えを感じさせる場面もあった。

毎年お祝いをしてきた娘(姉)の誕生日を思い出せなくなったと姉ががっかりしていたが、僕も母から昔の親族の話を聞いているときに、父方の二人の叔母の姉妹関係がわからなくなっていることが少しショックだった。親戚づきあいにまめだった母親が二人の義姉の年齢順を忘れることなど考えられなかったからだ。

また、人間関係でも誤解による軋みがあったようだった。母親は働き者でよく気づき、気性もよいので親戚からは慕われていたと思う。ところが、母の話では甥や姪から嫌がらせのようなことを受けるようになり、実際そのことで相手に文句を言ったこともあったらしい。母のいうことなら間違いないだろうが、どうもへんだ。

従姉からそのことを涙ながらに誤解だと告白されて、それが母の認知機能の低下からくる疑心暗鬼が原因だと気づいた。何気ない一言を悪口と聞き間違えてしまったのだろう。それならおそらく僕たちの気づいていない場面で残念な思いをさせてしまった親戚、知人がいるかもしれない。

僕は、母の告別式の参列者へのお礼の言葉のなかで、そのことに簡単に触れてみようかとも考えた。しかし、姉からすれば、しっかりものの自慢の母親についてマイナスなことを話してもらいたくない様子だったので、僕もあえてそうはしなかった。誰もがわかるような衰えではなかったからだ。

ただし、今になって振り返ると、晩年の母親のそうした姿は、むしろ僕に勇気を与えてくれるような気がする。

日付や年齢などを忘れてしまったからといって、それにどんな問題があるのだろう。誤解によって双方が傷つくなんてことは、どんなに若くてもあることだ。

僕も老境にさしかかって、人の名前や言葉が出てこなくなることが多くなった。今はまだ笑い話ですむが、いまに相手を驚かせたり悲しませたりすることもでてくるだろう。しかし、それも人生の中で多くの人達が通り抜ける大切なステージなのだ。入学や結婚、就職や昇任、表彰など皆がうらやむような場面だけが、人生のステージなのではない。

記憶力や頭脳については衰えしらずだった父親も、交通事故で障害をもって寝たきりの生活のなかで亡くなった。両親のそういう姿は、僕にとって人生の大切なモデルとなっている。コロナ感染で死線をさまよったときに、そのことを強く感じた。

今日は、母親の94回目の誕生日。