大井川通信

大井川あたりの事ども

2023-07-01から1ヶ月間の記事一覧

『流浪の月』読書会報告

地元の少人グループでの初の読書会の試みが終了した。もともとビブリオバトルを主催する団体のメンバーであり、仕事以外にも市民活動等でグループワークに長けた人たちだ。自分の考えをつくったり、それを簡潔にまとめて人前で話す経験を持っている。新参者…

『阿弥陀教』にざざっと目をとおす

お経にざっと目を通すシリーズ。『観教』に続いて、浄土三部経の一つである『阿弥陀教』を読む。これは近所の大社にも、阿弥陀教を刻んだ石碑があるくらいで、かなり短い。物語性はなく、教えだけがならんでいるようで、ざっと読む意味はあまりなさそうだ。 …

差別語とマイクロアグレッション

マイクロアグレッション(微細な攻撃)は、1970年代にアメリカの精神医学者が提唱した概念らしく、近頃、日本の人権問題、人権教育の領域でよく耳にするようになった。いかにも海外の「最新理論」と真新しいカタカナ語の導入を無条件で受け入れる業界らしい…

『サークル有害論』 荒木優太 2023

最後まで、著者の議論にピントをあわせることができず、何のためにこのような立論をしているのかよくわからないままで読み終わった。 ひょっとしたらという仮説でしかないが、著者は、サークル(小集団活動)について嫌な体験をもっていて、その有害さを理論…

鎮守の杜のナラ枯れ

遠目に見ると、真夏なのにワカ神社にすっかり枯れた木が日本目立っている。おそらくナラ枯れなのだろう。境内と裏山の樹木が10本以上、二年前に伐採された上に、かろうじて残った木が枯れてしまうとは。 境内に入って、久しぶりに樹木を観察して、驚くべきこ…

御神木と杜人

老人ホーム「ひさの」のコノミさんから誘われて、休日の朝、大社に行く。メールだけで事情はよくわからなかったのだが『杜人』の矢野智徳さんが来られるというので行ってみた。 大社の御神木が、ここにきて急速に枯れてしまった。それを知った近隣の方が、見…

『観無量寿経』をざっと読む

浄土真宗の信仰を持っている人からすれば、『観無量寿経』の名前はとてつもなく重いものだろう。分厚い研究書のたぐいはいくらでもあるだろうし、僕の知る在家の聞法道場でも、多くの回数をかけて細かい解釈の勉強会を続けていた。 しかし僕にはそんな余裕は…

安部文範さん遺稿集編集後記(案)

安部さんが『菜園便り』を出版したとき、売上で出版基金を作りたいと持ちかけられた。結局、僕の怠惰もあって基金は稼働しなかったけれど、最後で唯一の仕事が、安部さんの遺稿集の作成ということになった。 安部さんが入院したのは、コロナ禍の初年度で、結…

『かもめのジョナサン』 リチャード・バック 1970

出版後数年でアメリカで1500万部の史上最大のベストセラーとなり、日本でも1974年に翻訳されて話題になった作品。世界中でヒットしたというものの、日本での当時の販売部数が120万部というから、アメリカほどには受けなかったのだろう。翻訳者の五木寛之があ…

日傘くるくる

日傘を始めて買ったのは、数年前の真夏の東京旅行だった。自分にとっての「聖地」を訪問したのだが、殺人的な暑さでコンビニで日傘に手を出した。しかし、その後も日常的に日傘を使うことはなかった。 今のJR通勤では、朝は正面から朝日を浴びて駅まで歩く…

『なめらかな世界と、その敵』 伴名 錬 2022

昨年の7月に東京に帰省したとき、おそらくは今はなき八重洲ブックセンターで購入した文庫本。前橋を初訪問して朔太郎を偲んだり、地元で従兄と飲んだりして楽しかった帰省の帰りの飛行機の中で読み始めた。 初めの三話を読んで、面白かったが、そこで読み止…

ハトマメ屋詣で

僕は食に関しては貧しい経験と乏しい味覚しかもっていないことは、今までも書いてきた。しかしガサツな食欲だけはあって、息子からも「食べ放題で食べすぎる(その結果お腹をこわす)」と揶揄される始末だ。 だから、食べたいものといったら、回転ずしとか餃…

ガチャガチャあれこれ(電柱とジョイフル)

電柱のマニアがいるというのは、ずいぶん前から聞いていた気がする。給水塔だとか火の見やぐらだとかマンホールだとかのマニアとともに、街の見慣れた構築物のマニアとしては老舗の部類に入るだろう。 電柱は、幼児の行動半径のなかにも必ずあるものだから、…

こんな夢をみた(空をとぶ船)

大きな商業施設のようなところにいる。建物の屋上にある広場(しかし周囲にはいっそう高い建物がいくつか隣りあっている)で夜空を見上げていると、遠くから輝くような光が近づいてきて、どんどん大きくなる。 それは木造の帆船で、見事に輝きながら、夜空の…

『流浪の月』と「イエスの方舟」

読書会での事前のお題を考えていて、今までの気になった犯罪報道について話してもらおうと思いついた。直接小説とかかわらない(しかし小説を読む上で役立つ)お題は、息抜きにもなるし、参加者の視野を広げてくれる。 お題には、自分も答えないといけない。…

金光教の行橋教会を訪ねる

以前、地元の教会長さんと雑談をしているとき、行橋教会の井手美知雄教会長のことが話題にでた。教団では広く名が知られた人物だという。僕の大学の先輩だというのも親しみがわいた。 それで行橋に行く機会があるときに、ぜひ寄ってみたいと思っていた。午後…

『流浪の月』 読書会質問項目作成

前回の記事で毒を吐き出してすっきりしたので、公平中立の立場から、議論が盛り上がるための質問項目をつくってみたい。 まずは、好きな文章や表現をえらんでもらうところから。 つぎに、この小説の特徴は、キャラ設定にあるような気がするので、選んだキャ…

岡庭昇さん三回忌

今回の忌日は、岡庭さんの本を手に取る余裕がなかった。せめて岡庭さんとの直近のエピソードを記録して、故人を偲ぶことにしよう。 今から6年前の2017年の1月のことだが、ネット上に岡庭さんの娘さんの開設したブログ(復刻『週刊岡庭昇』~岡庭昇を因数分解…

『流浪の月』 凪良ゆう 2019

地元でビブリオバトルを開催するグループで、少人数でオンライン読書会をしてみようという提案があり、経験者の僕がとりあえず運営や司会を担当することになった。課題図書はやはり読みたい本がいいだろうと希望を聞くと、この本の名前がまっさきにあがった…

『ブッダ論理学五つの難問』 石飛道子 2005

とても不思議な本だ。今回、読み直しても、ここに書かれているのがどういうことなのか、うまく説明することができない。しかし、この本には何か特別なことが語られている、という魅力を放っている。 十年以上前、仏教の勉強を始めようとして半分ほど読んで、…

聞けたもの、聞けてないもの

昨年は定年退職で年度初めの時期にバタバタしたが、今年は別の意味で(家庭で大きな「事件」が二つ重なって)4、5、6月と落ち着かなかった。 それでも桜は、楽しむ機会はあったと思う。ツバメがいつ来たのか、気づくことはなかった。そもそも今年はツバメ…

『発掘・植竹邦良』展を観る

府中市美術館の企画展。市内在住の植竹邦良(1928-2013)は、ほぼ無名の画家だったが、美術館に寄贈された絵が郷土作家の作品として展示されるようになって、徐々に注目を浴びるようになったらしい。それが、没後10年たって、こうした企画展の開催に結び付…

武蔵国分寺跡を歩く

三億円事件探訪のついでに、武蔵国分寺跡を見ることになった。国立方面から歩く場合は、尼寺跡を通って金堂跡脇に出ることになるし、国分寺から歩くときにはお鷹の道を通て、現国分寺(武蔵国分寺跡の背後)からアクセスすることになる。 それが今回はたまた…

三億円事件の現場を歩く(事件の現場14)

三億円事件は実家の隣町の国分寺で起きたから、当時小学校1年生だった僕は、親から教えられたりして当時の現場を記憶している。ただし、現金輸送車のルートや犯人の逃走経路を実際に歩いたことはない。 早朝6時前、国分寺北口の富士そば(現金輸送車の出発…

ボンちゃん3歳!

去年の誕生日に「いつかは二匹が身体を寄せ合ったりするようになるかもしれない」と書いたけれども、九とボンとの距離間は、一進一退というか、つかず離れずというか、大きく改善する気配はない。アクシデント的に接近遭遇することはあるが、それは二年も前…

『懲役人の告発』 椎名麟三 1969

旅先の古書店の100円の棚で見つける。外箱を外せば本自体の状態は悪くない。ページ数も手頃。旅の終わりには読み切ってしまった。 僕は椎名麟三(1911-1973)の小説は、これまで面白く読み継いできたが、この作品は初めて失敗作ではないかという気がした。…

こんな夢を見た(瞼の母)

実家に戻っている。父親も母親も姉をいた。午後から僕は、母と買い物にいく約束をする。どこにしようか。そんな相談をする。 ただ昼一番から僕に別の用事が入ってしまい、家に戻ったのは日も傾いたころだった。母親は、眠気を催したのか、居間で布団に入って…

『宇宙・0・無限大』 谷口義明 2023

本当に久しぶりに、理系分野の入門書を読んだ。光文社新書の一冊。 子どもの頃は、文系、理系などの垣根を感じていなかったから、ブルーバックスなど科学の入門書をよく手に取っていた。とくに「相対性理論」にはあこがれて、なんとか理解したいと思っていた…

優先席と妊婦

通勤電車で、空いていたら僕も優先席に座るようになった。車両に優先席が増えたこともあるし、自分もすでに老人に差し掛かって体力が落ちたという言い訳もある。 先日朝の電車で。ボックス席の優先席に背をむけて、お腹の大きな妊婦の人が立っていた。僕はそ…

『民俗学の熱き日々』 鶴見太郎 2004

副題が「柳田国男とその後継者たち」の中公新書の一冊。20年近い積読ののちにようやく手に取った。 宮本常一や柄谷行人の読書を通じて、柳田国男をもっと知りたいと思えたからだ。興味深い内容とあっさりとした書きぶりで、半日くらいで読み切ることができた…