大井川通信

大井川あたりの事ども

三億円事件の現場を歩く(事件の現場14)

三億円事件は実家の隣町の国分寺で起きたから、当時小学校1年生だった僕は、親から教えられたりして当時の現場を記憶している。ただし、現金輸送車のルートや犯人の逃走経路を実際に歩いたことはない。

早朝6時前、国分寺北口の富士そば(現金輸送車の出発した銀行近く)で腹ごしらえし、JR中央線のガードをくぐって国分寺街道を南下する。歩道はなく車道の外側が狭く緑に塗られているだけで、バスやトラックが走ると身の危険を感じる。大きな銭湯があったり、造園業者の緑地があったりして、やがて太い東八道路(事件当時は整備されていない)を横切る。ここから斜めに入る小道があり、現金輸送車をカローラで追走した犯人が、あらかじめ用意していた偽白バイに乗り換えた「第三現場」が道沿いにある。ここは初見。

犯人がショートカットに使ったこの道が、想像よりずっと狭く、細かいカーブや道幅の変更もあってとても一本道には見えないことに驚いた。今では住宅が建て込んで第三現場がどこだったのかはわからないが、よくある国分寺の住宅街の路地そのままの風情だ。

道の突き当りは府中刑務所の前につながる太い道で、先回りした犯人は、ここで現金輸送車が通り過ぎるのを待ったのだろう。右折すると、道の左側に沿って府中刑務所の長い塀が見えてくるが、昔の無骨で不気味なコンクリート塀のイメージではなくなっているのに驚いた。以前よりセットバックされて歩道の幅が広がりベンチも作られている。壁も上下でデザインを変えて明るい色調となり威圧感を減らしている。

刑務所の長い塀の反対側は都立府中高校と市立小学校の敷地が広がっていて、犯行時刻の午前9時過ぎには人通りもなかっただろう。できるだけ人目に触れずに爆弾騒ぎの狂言で現金輸送車をだまし取るには理想的な環境だったかもしれない。

僕は「第一現場」の目の前のベンチに腰を下ろしてしばらく物思いにふけっていたが、ふと事件後54年の間に、犯人が再びこの場所に現れたことがあったのだろうかと考えて(おそらくあったような気がして)恐ろしくなってしまった。

当時の映像にも出てくる歩道橋を渡って、小学校わきの細尾い道を北上する。犯人が奪った現金輸送車は、いったん府中街道に迂回してからこの道に合流したようだが、ここはかつての武蔵国分寺の参道だったらしく、やがて広々と整備された国分寺跡が見えてくる。南大門跡を抜けて、右側に曲がると今でも七重の塔跡の森が事件当時の面影を残していて、ここが現金輸送車を乗り捨てて、現金を別の車に積み替えた「第三現場」ということになる。

僕は、三つの現場がこんなにコンパクトな位置関係にあって、犯行に最小限必要な役割を分担しており、犯人が路地を縫うように短時間で現場間を移動して仕事をやり遂げていることにあらためて驚いた。土地勘が必要なのはもちろんだが、犯行への構想力がやはり並外れているとしか思えない。

なんとか長年の希望を果たすことができたが、早朝とはいえ熱帯のような気温のせいで、夜には体調を大きく崩してしまった。

 

 

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