大井川通信

大井川あたりの事ども

園児送迎バス放置事件(事件の現場11)

7月ごろ全国に衝撃を与えたこの事件は、少し離れた市で起きたものだが、次男のお世話になった特別支援学校の近くにあるので、すぐ近所の道を何度も通っている。

夏の暑い盛り、朝の送迎バスの中に5歳児を置き去りにして、午後まで放置してしまったという、とんでもなくずさんな事件だ。夏に車を利用する身として、密封した車内がどれだけ熱せられるかを体感的に知っているだけに、痛ましい思いがする。

事前に報道で映像を見ることが多い現場を訪れると、決まってある違和感にとらわれる。放送用の広角レンズでは、現場は実際より広く映るし、ヘリコプターなどの上空から俯瞰した映像ではなおさら広々と開けた場所であるように見える。

ところが実際は、たいてい路地の奥の、建物や塀で視界のさえぎられた閉所で事件は起きているのだ。この保育園も行きつくのが難しいような建て込んだ街の細い道沿いにある小さな園で、ニュースでは広く見えた駐車場も、空き地に過ぎなかった。

おそらくこんな事件を起こさなかったら、僕たちのように近くを何度も通っている人間にさえ目に触れることがないような、まったく埋もれた場所だったのだと思う。事件は、その場所にくさびを打ち込み、土地を切り出し、全国から見えるように高々とそれをさらすのだ。

事件に関わった人々とその場所が負った傷は、簡単に癒されることはない。かつてだったら、地蔵などの石仏をたてて、地元の人たちが時間をかけてその傷をふさいでいったのかもしれない。現代の慰霊は、もしかしたらマスコミによる報道という制度が担っているのかもしれないが、それは、打ち上げ花火のような一瞬の「虚像」である。

事件の現場に出向くことは、虚像の陰にかくれた実像と向き合い、具体的に手をあわせて慰霊する行為だと僕は思っている。