大井川通信

大井川あたりの事ども

玄関の位置

僕の家は、緩やかな斜面に造成された住宅街の角地にあるから、隣家や道路との間に段差があって、低いフェンスで囲われているだけでも十分周囲から自立している印象だ。それだけでなく、ある時、立地上の特色に気づいて、それを得意に思っているところがあった。

60坪から70坪程度の区画が並ぶ住宅街は、場所によってはずいぶん住宅が密に建て込んでいる感じがする。一歩玄関先に出れば、両脇の二軒、道の向かい側の三軒の玄関が視界に入る、という区画があったりもする。隣人と顔をあわせる可能性がそれだけ多いわけだ。

ところが、僕の家の玄関先に立っても、他家の玄関が全く目に入らないのだ。これは住宅街の周縁部をのぞくと、まれな特徴といっていいかもしれない。まず、敷地が接している二軒の隣家の玄関は、別の道沿いにあるので目に入らない。道路をはさんだ正面の住宅の敷地は2メートルくらいの段差の擁壁と垣根で囲われており、その並びの住宅もすべてこちらに背を向けている。

では、角地が道(交差点)をはさんで向かい合う斜め前の区画はどうかというと、そこは小さな公園になっていて、その隣は一段高い緑地帯だ。この20年ですっかり子供が減り、公園が使われることもなくなった。

このために、玄関の出入りや車の出し入れの時に、隣人と顔を合わせる機会は全くない。防犯上は問題かもしれないが、プライバシーの観点では最強だと自負していた。

『町を住みこなす』を読んでみると、コミュニティを形成するために、あえて玄関を向き合うように設計したり、玄関先に隣人と話しこめるスペースを設けた復興住宅の話が出てくる。どういう環境に住んでいるかによって、隣人同士の関係も影響を受けるのだ。

我が身を顧みると、僕も妻も人間関係が得意でなく、なんとなくだが一般的な住民に比べて近所づきあいが少ないような気がする。そこに無意識の居心地の悪さを感じていたのだが、先年ひょんなことから自治会長を引き受けて、地域活動に献身せざるを得なくなり、その部分のコンプレックスからは一時解放された。

こうした隣人関係の希薄さは、僕たちの性癖が原因と思っていたが、我が家の立地条件もまた大きな要因になっていたのではないか、とあらためて気づく。