大井川通信

大井川あたりの事ども

2019-05-01から1ヶ月間の記事一覧

茶碗の中

奈良国立博物館で、国宝の曜変天目の茶碗をみた。焼き物には知識も関心もなかったのだが、曜変については、一昨年、その再現に取り組んでいる陶工のドキュメンタリーを見て、心をうたれた。その後、人気鑑定番組で、新発見という触れ込みの曜変の真贋論争が…

ムーミン谷の霊園

両親は、60代のうちに自分たちの墓地を購入していた。東京と埼玉との県境を過ぎたあたりで、JRと徒歩で行ける場所にあるから、当時でもそれほど安い買い物ではなかったはずだ。無神論者であるはずの父親のそんな振る舞いが、当時の僕には少し不思議な感じが…

タヌキの街

近頃は、東京の都会でもタヌキの姿が見られるそうだ。僕の住むあたりでは、昼間でもタヌキを見かけたりもする。だから、タヌキ自体、それほど珍しいものではない。ただ近所も里山の開発が進んで、じりじりとタヌキの住める森の面積が減っているのは間違いな…

『ヴェニスに死す』 トーマス・マン 1913

読書会の課題で、トーマス・マン(1875-1955)の『トニオ・クレエゲル』(1903)と『ヴェニスに死す』(1913)とを読む。どちらも理屈っぽく、ぎくしゃくとした構成の小説だが、前者の方が面白かった。 トニオ・クレエゲルは、芸術と生活との間で、危うい綱…

コンビニの手塚治虫

大阪道頓堀近くのコンビニで手塚治虫ベストセレクションという短編集を500円で買った。どういう出版や流通の仕組かは知らないが、以前からコンビニの漫画コーナーには、かつての名作がペーパーバックになって安価で売られている。しかしとっくに漫画を読む習…

東大寺南大門の悲しみ

東大寺南大門の前には、たくさんの観光客がごったがえしていた。修学旅行生とともに、外国人旅行者が目立つ。以前は、ここまでの喧騒はなかったはずだ。しかし南大門は、相変わらず、鎌倉時代以来の風雪を身にまとったまま、喧騒のなかを、すっくと立ち尽く…

不空羂索観音の憂鬱

子どもの頃から、お寺が好きだった。近隣の武蔵野の素朴なお寺を自転車でみてまわった。高度成長途上の日本と我が家はいまだ貧しくて、関西への家族旅行などは考えられなかった。 だから、中学の修学旅行での初めての京都、奈良は、どれほどうれしかっただろ…

黄脚毒蛾の乱舞

武蔵野に立地する某メーカーの研究所の敷地は、鬱蒼とした森になっている。周囲の開発から取り残されたブラックボックスみたいだ。 朝、敷地の塀に沿って歩いていると、モンシロチョウの姿が目立つ。しかし、どこか違和感がある。 モンシロチョウにしては、…

花月と東洋館

昨年家族の要望で、浅草で漫才を見たいというので、東洋館という寄席に入ってみた。とんでもなく下手な若手や、とんでもなく変なベテランが出演していたが、思ったよりずっと面白く、刺激的な体験となった。 それで今日は、大阪に行くついでに、なんばグラン…

『歴史的実践の構想力』 廣松渉・小阪修平 1991

今日は、廣松渉が亡くなってから、25年目の命日だ。お寺的にはどうかは知らないが、四半世紀というのはやはり大きな区切りだろう。 就職したての頃、雑誌から切り抜いた廣松さんの写真を壁に貼って、読書に励んだりした。訃報に接して、当時の職場で喪服を着…

眼鏡の話

僕は、子どもの頃から視力がそこそこ良くて、2.0の時もあった。本は好きでも、実際に読む時間は短いことも幸いしてか、大人になって視力が目に見えて下がることもなかった。テレビゲームもしなかったし、仕事以外でパソコンをいじる趣味もなかった。 老眼で…

あの虹をこえて

妻の携帯電話が鳴る。勤め帰りの次男からのようだ。妻が料理で手が離せないので、僕が取ると、次男の興奮した声が聞こえる。 すごい虹が出ているから、見てみい。 デッキに出ると、まだ明るい夕方の空を、細く強い光の束が、サーチライトのように駆け上がっ…

フードコートの窃視老人

家族で、近所のモールに買い物に出かける。隣町に巨大なイオンのショッピングモールができてからは、わが町のモールはすっかり中高年向けの施設になってしまった。家族の待ち合わせ場所は、いつものようにフードコートだが、休日だというのに、目につくのは…

タカラダニとナミテントウ

家の垣根のレッドロビンがところどころ虫害で枯れてしまったので、思い切って抜いてしまって、擬木のフェンスを立ててもらった。枯れてない木も伸び放題だったので、庭がだいぶ明るく、広くなったように感じられる。 レッドロビンの垣根については、家族のも…

『経済学のすすめ 私の体験的勉強法』 正村公宏 1979

自分自身の経済や経済学の勉強について、振り返ってみる。80年に大学に入学して、一年間マルクス経済学の原論の講義を、割と熱心に聞いた。永山武夫という労働経済が専門の先生で、素朴に製本した自分の講義ノートをテキストに使い、ひなびた感じの授業がよ…

『初心者のための天台望遠鏡の作り方 屈折篇』 誠文堂新光社 1967

子どもの時の懐かしい蔵書シリーズ。ブルーの地味な表紙の薄い本と、再会を果たせて感無量だ。 1940年生まれのエコノミスト野口悠紀雄さんの本に、子どもの時、天体望遠鏡を自作したことが書いてある。おそらく、1950年代には、レンズ等を購入して、あとは自…

分類法について

フーコー(1926-1984)は、『言葉と物』(1966)の冒頭で、中国のある百科事典の奇天烈な動物の分類法を紹介している。その分類では、動物を14のカテゴリーに分けるが、それは、「皇帝に属するもの」「芳香を放つもの」から始まり、「今しがた壺をこわし…

白い象の恐怖

今の人は、花祭りといっても、何のことかわからないだろう。キリスト教で言えばクリスマス、仏教のお釈迦様の誕生日を祝うお祭りである。しかし、僕も、子どもの頃読んだ本でそんな知識を蓄えただけで、実際に花祭りというものを見たことはなかった。 そこは…

いつも外を見とんしゃった

妻は博多の呉服町という下町の生まれだ。かつてミシン屋をしていた実家はもう取り壊されてしまったが、近所には間口の狭い商家が立て込み、大小のお寺が並んでいる。そんな町に育ったせいか、博多弁のなまりは強いほうだと思う。おかげで僕も影響されて、家…

『経済学の宇宙』 岩井克人 2015

野口悠紀雄の自分史を絡めた経済の本がとても面白かったものだから、似たような本を読もうと思って本棚から取り出した本。 経済学者にして思想家である岩井克人(1947-)のインタビューをもとにした本だが、相当の加筆修正とていねいな編集が施されて500頁…

棟梁の仕事ぶり

玉乃井DIY講座で、今日は、ホコラの建具(扉)の制作を手伝う。もっとも、細かい作業になれば、僕などいっそう戦力にはならない。指示通りにほぞやほぞ穴の墨入れ(といっても鉛筆書きだが)をしたり、丸鋸で切り込みを入れてもらった後に、カンナで余分の材…

次男と仏像

東京から来た姉を妻があちこち案内したとき、国立博物館に寄った。そこで京都のお寺の寺宝を展示した特別展をやっていて、せっかくだからざっと見ておこうと入ったそうだ。すると、意外なことに、次男が一体一体の仏像をじっくりと観て動かない。キャプショ…

メジロのさえずり

松林の中を歩いていたら、小鳥が飛んできて、松の梢のてっぺんにとまって、さえずり始める。葉の落ちた枝の先だから、よく目立つ。こんな振る舞いは、ホオジロかカワラヒワのはずなのだが、ずっと小さい。 メジロだ。しかし、メジロは、集団でやってきて、木…

ふるさとへ廻る六部は

伯父伯母の呼称というのは面白い。僕の両親とも戦前の人だったから、兄弟が多かった。年長の兄弟に対しては、赤坂のおばさん、誉田のおじさん、というように地名をつけて呼ぶ。年少の兄弟には、ふみ子おばさん、やすおおじさん、というように名前で呼んでい…

村の賢者がインスタをはじめる

大井の古民家カフェに村の賢者原田さんを訪ねると、表情が明るい。話を聞くと、自分の作品をインスタに上げるようになって、見てくれる人の数が増えているのだという。僕が勉強部屋代わりに使っている近所のファミレスがあって、以前から食事をする原田さん…

『戦後経済史』 野口悠紀雄 2019

整理法や勉強法についてのベストセラーを書いた、大蔵省出身のスマートなエリート経済学者。著者の野口悠紀雄(1940~)については、そんなイメージしか持っていなかった。戦後史のおさらいのつもりで手に取ったのだが、抜群に面白いうえに、襟を正して読ま…

『タイで考える』 今村仁司 1993

5月5日の子どもの日は、僕には忘れがたい日にちだ。恩師の今村仁司先生が亡くなった日だし、親戚で一番お世話になった叔父の命日でもある。一昨年、長男が家を出て独立した記念日でもある。特に今年は、今村先生の13回忌に当たるのだ。 ここ数年、子どもの…

自分にとって特別な本

読書会で、珍しく自由回答の課題が出た。以下はその質問の要旨と回答。 ・特別な本 岡庭昇『萩原朔太郎』1981年読:この本で批評の世界を知る。 中川武『建築様式の歴史と表現』1987年読:この本で生活の迷路を抜ける。 永井均『〈子ども〉のための哲学』199…

令和最初の日にパンクする

令和初日の夜にスーパーに買い物にでかける。牛乳に卵、パンやお総菜を買って戻る途中、家族にほか弁を買って帰ろうと思いついたのがいけなかった。いや本当にいけなかったのは、たまたま駐車場でこちら向きに停めた車がライトをつけたままのタイミングだっ…

イノシシと野ウサギ

かつては、人間たちのくらしの身近な隣人だった動物たち。都会暮らしとは言わないまでも、ふつうに街で暮らしていると、彼らに出会う機会はまったくなくなっている。昔話や絵本でおなじみの動物でも、実際の姿には驚くことが多い。 たとえばイノシシ。僕は昔…