大井川通信

大井川あたりの事ども

2022-12-01から1ヶ月間の記事一覧

我が家の五大ニュース

50代になって10年連続日記をつけるようになってから、一年の終わりに自分と家族に関する五大ニュースをメモするようになった。年末に時間をとって振り返ることで、ようやくその年の身近すぎる出来事の意味を位置付けて納得できる、ということに気づいた。毎…

宮司の会4周年

友人の吉田さんと始めた月例の勉強会が、この年末でまる4年になった。毎月開催を遵守していれば49回目のはずだが、第46回となっているのは、途中コロナ等で3回抜けているからだろう。 吉田さんが安部論のメモを作ってきてくれたのは、前回追悼本の計画を話…

『燃エガラからの思考』 柿木伸之 2022

読書会の課題図書。著者を交えた少人数の読書会で議論できたのは、得難い機会で大変刺激を受けた。吹雪の中、二次会も居酒屋に場所をかえて継続して話をすることができた。 実際、著者を目の前にしての読書会というのは難しい。今までも、何度も失敗して痛い…

競馬年間回顧

暮の有馬記念まで、生まれて初めて年間を通じて競馬を楽しんだ。テレビ観戦だが、リアルタイムで見るのは緊張感が違う。気になるG1レースは、画面の前に正座して見入った。スポーツ観戦にここまで力を入れたのは、本当に久しぶりだ。暮れにはサッカーのワ…

『裁かれた命』 堀川惠子 2011

実家近くの事件を扱っているドキュメントだから手に取ったが、想像以上のものだった。2015年の講談社文庫版で読了。 強盗殺人事件の現場は、国立駅から東に数百メートル歩いた小高い丘の上の、林を切り開いてつくった住宅地で、線路沿いともある。街が開けた…

猫の近況

二匹の猫はすっかり家族になってしまったので、あらためて記事にする機会も減ってしまった。それだけ日常の暮らしになじんでしまったのだろう。 ふだん家にいてエサなどの世話をする妻とはいっそう親密になって、母子関係みたいだ。妻が机に座って小物などを…

『月明学校』とクルソン岩

白髪岳や『月明学校』の舞台の分校に興味をもったのは、その近くの山中にクルソン峡があり、クルソン神社やクルソン岩などのクルソン信仰の遺物があるからだった。だから、『月明学校』の中に「狗留孫(くるそん)神社」の名前が出てきたときはうれしかった…

『月明学校』(三上慶子 1951)を読む

市立図書館で県内の他館の蔵書を取り寄せてもらって、昭和26年(1951年)出版の古く変色した本を読む。球磨盆地を旅行して、かつて白髪岳近くの山中にあった山の分校の記録を読んでみたいと思っていたのだ。 読んでよかった。当時は同年に出版された無着成恭…

中学生のビブリオバトル

少し前だが、中学生がバトラー(発表者)になるビブリオバトルに参加した。今回も運営を手伝うようにしたのだが、自分がプレゼンしない会というのは本当に気楽だ。 参加者として、思いついた質問をしてバトラーとやり取りするのは、かえって楽しみでもある。…

息子と喧嘩する

朝、次男が起きてこない。妻は朝が弱く、僕が寝過ごしても次男が寝過ごしてもまったく頼りにならないが、こちらはそうはいかない。もし職場に間に合わないならば、僕が勤務を午前中休んで車で送らないといけないかもしれない。転勤して4か月。次男も何とか落…

旅先のミヤマガラス

職場近くの公園でカラスと遊ぶようになってから、いっそうカラスのことが気になるようになった。とはいっても、カラスはたいていどこにでもいて、見た目もまっくろでいっしょだから、どこで見かけようと特別に目を引くことはない。 例外は千羽カラスで、たく…

ある読書会の精神史

30年近く通っている読書会がある。冷戦が崩壊し、バブルが崩壊したあとに始まって、失われた30年と平成時代に重なる期間であり、40代で血気盛んだった頃から読書会を引っ張ってきた主宰者も70代を迎え、会として一区切りをつけたいという話を内々に聞い…

本の並べ方

書類やファイル、情報の整理というのは難しい。僕はとくにそれが大の苦手だ。本を集めたりながめたり時々読んだりするのは僕の唯一の趣味だから、本の整理だけはそこそこしているが、満足のいく並べ方ができているわけではない。 メインの本棚が4本あって、…

カラスと会話する(51日目)

いきなりコート姿の長身の男がカラスのたまり場の真ん中に現れて、奇妙な鳴きまねを始めて、カラスたちが混乱して逃げ惑う。これでは、まるでカラスをいじめに公園に行っているみたいだ。かんじんのカンタロウにも嫌われてしまったかもしれない。 そろそろや…

冬至のお祭り

同じ市にある黒住教の教会で、冬至のお祭りに参加する。実際の冬至は22日だから、参加しやすい休日に設定しているのだろう。 いつもは人気のない教会に、この日ばかりは活気が感じられる。教会長さんも神主のような上下真っ白の正装をしている。義理の娘さん…

『愛することは待つことよ』 森崎和江 1999

新聞を読まなくなったので、森崎和江さんの6月の逝去を知ったのは、数か月あとだった。森崎さんは僕の家から数分の、同じ旧里山の上の住宅街に住んでいた。僕も引っ越してきて四半世紀になるから、それだけの期間ご近所だったということになる。妻も馬場浦池…

『宿命』 原祐一 2021

「國松警察庁長官を狙撃した男・捜査完結」が副題で、2018年出版本の増補文庫化。オウム事件については、同時代を生きた人間として関心を持って見守ってきたが、警察庁長官狙撃事件については知識が乏しかった。2012年のNHKスペシャルの放送やその書籍化され…

カラスと会話する(39、43日目)

39日目 今日は、まずカラスの多い池の周囲へいく。僕が鳴きまねをしながら足を踏み入れると、おかしなニンゲンカラスが来たと、カラスたちはパニックになって騒ぎ出す。この中にカンタロウがいるだろうか。なんとなくそれらしいカラスの姿が目にとまるが、確…

カラスと会話する(32、37日目)

32日目 今日も、林の中にはカンタロウはやってこない。池の周囲のたくさんのカラスに鳴きまねをすると、群れは騒いで飛び回りはじめる。すると、近くの枝に飛んできて、逃げないカラスが。いくら見ても区別がつかないが、カンタロウか。ニンゲンの言葉で話し…

『野分』 夏目漱石 1907

漱石(1867 -1916)の未読の中編を読んでみる。新潮文庫では『二百十日』といっしょに収録されている。小説としては未完成というか実験的な感じでごつごつしており、読みにくくあまり面白くはなかった。 学問の理想に生きようと既に達観している元中学教師…

こんな夢をみた(消えない音楽)

なんでも暗く大きなビルの中のようだった。どういう状況だったからわからない。僕は独りで警報装置のようなものをいじっている。さきほどから、ビルの中で音楽が鳴りやまないのだ。 ボリューム調節つまみらしきものを見つけて、それをひねってみる。ところが…

庚申塔さまざま(球磨、山鹿)

庚申塔(こうしんとう)は面白い。まず、とにかく数が多い。少し古い町なら、集落ごとにあったりもする。次に、形状も様々だ。とても同じ名称でひとくくりにできる石塔とは思えない。さらに地方ごとに大雑把な特色がある。僕の今の地元は文字塔ばかりだが、…

『二百十日』 夏目漱石 1906

漱石の忌日だから、出勤前に文庫本の棚をのぞいて、文庫で70ページ程度の短い小説を読むことにする。今年は漱石の評論の射程の広さ、深さに驚いたこともあり、漱石の主要作品は読み通してみたいと考えていたところだった。そのきっかけにしたいと思う。 『二…

山村暮鳥の詩を読む

忌日をきっかけにして文学者の作品に親しもう、と計画したもののこれは意外と難しい。先月でも、白秋(4日)も一葉(23日)も三島由紀夫(25日)もスルーしてしまった。 今日12月8日は、山村暮鳥(1884-1924)の命日だから、詩集を取り出して読んでみた。今…

『日本の近代仏教』 末木文美士 2022

2017年に刊行された『思想としての近代仏教』を再編集して文庫化(講談社学術文庫)したもの。 清沢満之、倉田百三、田中智学、鈴木大拙、家永三郎等の思想や学説のポイントを絞って平易に解説することで、個々の仏教(学)者たちが何を問題とし、どのように…

須恵村訪問記(その5 白髪岳と月明学校)

球磨盆地をとりまく山々で、市房山はそれとわかる厳しいシルエットを持っているが、白髪岳の方は、意外にもなだらかで穏やかな稜線を見せていて、人に教えてもらうまでわからなかった。盆地から見るかぎり大きなお饅頭のような山容は、クルソン峡の険しいイ…

須恵村訪問記(その4 市房山を遥拝する)

市房山は標高1721mであり、球磨盆地の最高峰としてその東端にそびえている。『須恵村』を読むと、この地方の神聖な山である市房山に関する印象的なエピソードが描かれている。 3月15日と16日には市房山の山頂近くの神社の大祭「お獄(たけ)祭り」があり、…

須恵村訪問記(その3 村・区・集落)

昨年、新しく全訳で出された『須恵村』を読んで、それなりにわかった気でいた。大井川歩きで地元の集落の聞き取りなどをしているから、多少の予備知識はある。今現地を見ても、様変わりした平凡な街並みや村里を見るくらいかもしれないと思っていた。 ただ、…

須恵村訪問記(その2 祈祷師の顔)

文化人類学者エンブリー夫妻の住居跡の石碑は、街道沿いのガソリンスタンドの脇にあった。覚井(かくい)の集落に入っていく小道の入り口で、小さいながら由来も刻まれていて好ましいものだった。 自宅の周辺を歩く、という大井川歩きの鉄則を応用し、ここを…

須恵村訪問記(その1 深田銅山のこと)

深田の宿に泊まったのはまったくの偶然だった。旧須恵村に隣接する地域だし、宿の名前も旧須恵村の現町名と同じだから、かつての須恵村をしのぶ旅にはふさわしいだろうと勝手に納得していた。 宿の料理や雰囲気には満足して、翌朝、いつもの習慣で宿の周辺を…