大井川通信

大井川あたりの事ども

『二百十日』 夏目漱石 1906

漱石の忌日だから、出勤前に文庫本の棚をのぞいて、文庫で70ページ程度の短い小説を読むことにする。今年は漱石の評論の射程の広さ、深さに驚いたこともあり、漱石の主要作品は読み通してみたいと考えていたところだった。そのきっかけにしたいと思う。

二百十日』は子どもの頃に好きな作品だった。偕成社のジュニア版日本文学名作選で『坊ちゃん』の巻に収められていて繰り返し読んだ記憶がある。久しぶりに読み返しても、圭さんと碌さんという二人の登場人物の会話の細かい部分までよく覚えていた。二人の会話は落語のように調子よく面白い。

子どもの頃の僕は、阿蘇が実際にどんなところなのかは知らない。社会人になって初めて阿蘇に上ったとき、おそらく『二百十日』のことを思い出して感慨深かっただろうと思う。阿蘇行きを重ねるうちにそんな気持ちは次第に薄れてしまった。

読みかえして、明治時代の阿蘇山が火口まで草原の中の狭い登山道しかないことにあらためて気づく。今のように簡単に自動車で上がるわけには行かなかったのだ。

圭さんの正義感と、金と権力で庶民を苦しめる文明に対する怒りは、子どもの僕には本当にはわからないものだった。その後に人生の艱難辛苦を経験したおかげで、そうした若く粗暴な正義感とは若干距離のある境地にまで突き抜けてしまったのは仕方ないだろう。

今読むと、庶民の怒りと革命のパワーのアナロジーとして、阿蘇の自然の猛威がとらえられていることに気づく。とてもシンプルな小説だが、道具立てはさすがにそろっていると感心する。