大井川通信

大井川あたりの事ども

趣味と禁忌

小学生の頃、手品ばかりやっていて、学校の成績が落ちてしまったときに、父親から手品師になるつもりかと怒られたことがある。なってもいいのだけれどと思いながら、そこはすなおに手品を控えるようになった。

中学生になって、小説を読むようになったときも、漱石の文庫本などを机に隠していた。本好きは父親の影響だったが、恋愛小説などは子どもには早いという父親の考えがあったからだろう。

そういえば、僕は両親からは聞き分けのいい子どもだと思われていたようだ。他の子どものようにお菓子を欲しがって泣いたりしなかったが、甘いデンブだけは好きで、お総菜屋さんの前でじっと動かなくなった、という話をよく聞かされた。

家の方針や経済状態を頭に入れて、無理をいうことはなかった。学校で話題の人気番組を見たいとも言わなかったし、野球盤やボーリングゲームが流行ったときも、変速機付きの自転車を級友が乗るようになっても、欲しいとは言わなかった。

60年代。まだ周囲は貧しかったし、個人の欲望や個性が、善とはされなかった時代だ。欲望や個性を殺して、集団に入り、生産に励むことがいまだ社会の正義であったし、まして戦中派の両親にとっては、それ以外考えられない行動原理だったのだろう。

両親にはずい分よくしてもらったから、それを恨みに思ったことはないけれども、そうした環境が自分の可能性を狭めてしまったのではないかと疑っていた時期もあった。しかし真からやりたいことに出会っていたら、そんな制約など何とか突破していただろう。

むしろいまだにちまちまと手品をしたり、本を読んだり、自分の思いつきに夢中になったりしているのは、あの頃の禁忌や制約のおかげであるような気がする。限られた条件の中で、ひそかに自分の楽しみを見つけること。

親から不当な制約を受けたと感じている子どもたち(子育ての性格上、必ずそうなるだろう)は、自分が親になったときは、自分の子どもには同じ思いをさせたくないと考えがちであるような気がする。僕ですら、子どもたちが何かに興味を持ったときには、たとえそれが自分の趣味や考えに多少反するものであっても、止めるどころか応援するようにしたものだ。

けれど親にとっては重要なこの原則の意識的変更は、振り返ってみると、子どもたちにはたいして響いていなかった気がする。そもそも人として育つこと自体が、巨大な制約をこうむり、重圧を受けることなのだ。子どもの興味や趣味を認めることなどは、その中でわずかな自由を提示することにすぎなかったのだと思う。