※ここ一か月ばかりのブログ記事をピックアップしたものがレジュメのメインだが、諸星大二郎の作品評と「事件の現場」探訪記は過去の記事から選んだ。
恐怖の研究(第12回金光教研究会レジュメ)
【怪談を作る/怪談を聞く】
地元の街づくりのイベントで怪談を話すことになった。知人が企画するイベントで協力を求められたのだが、僕の方も大井川歩きでの実体験をベースにすれば「怪談」を作れるという目算があったのだ。以前作った紙芝居を使うことができるだろうし、それは大井川歩きの活動の一環にもなるだろう。
それで、実際にそのイベントの怪談話者を何とか演じることができて、イベントも成功したので良かったのだが、準備は予想以上に大変だった。また、当日のイベントで感じるところもあった。それを書きとめておきたい。
まず、準備段階のこと。
地元ではかろうじて平家の落人の墓として伝えられるヒラトモ様について、実際はどうだったのかを説明する紙芝居はある。近代化に翻弄される小さな神様の物語ではあるが、ホラーではない。ヒラトモ様発見直後の母親の詐欺被害は、自分の中ではつながりがあって恐怖を感じさせたのだが、第三者的には両者のつながりが弱い。
勉強会仲間の吉田さんと、職場の同僚の田中さん、中村さんの助言を受けて、怪談として説得力のあるものにすることができた。最後には、妻と次男からのアドバイスも受けた。
次は、イベント当日のこと。
駅前広場のベンチの座布団に座り、蝋燭型の照明が点在する駅前広場の一角で、周囲の50名くらいの聴衆相手に、6人の話者が順番で怪談を話した。雰囲気は予想以上に良かった。僕以外は、自分の恐かった実体験を自分の肉声で語るという自然なスタイルで、芝居がかった組み立ての怪談話は僕だけだったと思う。
おぼえている範囲でいうと、老人施設でお年寄りが落ち武者の幽霊を見て、そこに「霊道」が開いていたという話。お祓いによって幽霊は現れなくなるが、その施設の場所は、後日、霊能力のある人からも「霊道」があると指摘された。また、金縛りにあった話。女性の手だけの幽霊に足を握られる。また、金縛りと同時に不審な女性からの電話を受ける。防いだのは盛り塩。神も仏も信じないけれど、奇妙なモノだけは見えてしまうという話。事件の直後の現場を車で通ったときに、全くその事実を知らずに被害者のイメージを見ていたという。神職の家に生まれた男性が、幼児の頃、ビニール袋に包まれた半身の死体を見つけてしまい、家にまで死体に追いかけられた話。親戚の霊能者によってお祓いを受けることで、奇妙な霊の呼びかけを最後に救われたという。
かなりいい加減な要約で話者の方々には申し訳ないが、この少数のサンプルでも、人々が怪談(怖い話)として認識し、またそう期待する話の型を知ることができるだろう。
この世界には、奇妙なものが存在し、それは犯罪や事故のような明確な原因を持っているかどうかは別にして、この世のものに対する悪意や恨みや攻撃性を持っている。そういうモノに対する出会いは偶発的な事故みたいなものであり、お祓いやおまじないなどの外在的な手段によってかろうじて助けられるしかない。
奇妙で悪意をもったモノを包摂する超越的世界に対する信頼(信仰)はここにはない。だから、その攻撃を防ぐのは、これも我々の世界の外部にあるような理解不可能は秘術であり、われわれ人間からの積極的な対話や働きかけは想定されていない。
一方、ヒラトモ様の世界観が怪談と一線を画するのは、この神の怒りと不満が、人間たちが集団で行ってきたことの総和によるという因果関係であり、我々の側の自覚(紙芝居の語り)によって和解できるという物語構造にある。
今回の怪談イベントをきっかけにして、スピリチュアルブームとの関連で怪談の流行についてあらためて考えてみたいと思う。
【怪談版「ヒラトモ様の祟り」台本 2026.8.1.上演】
〈前説〉
みなさんは、宗像の小さな山の上にあるヒラトモ様という神様を知っていますか。宗像の伝説を集めた古い本には、こんな風に紹介されています。
「宗像の大井村の丘の上に、小さな石のホコラがある。土地の人はヒラトモ様と呼んでいる。ヒラトモ様は、壇ノ浦の闘いに敗れて、この里に落ち延びた平家の偉いお侍だ。追手に迫られ、自害したヒラトモ様を弔って、小さなホコラを建て、今も村中で毎年お祭りをしている」
しかし、私が歴史を調べると、平家のお侍の墓というのは真っ赤なウソであることがわかりました。だから、本当の神様の由来を、こんな紙芝居にしてみたのです・・・(一つ、聞いてみて下さい)
〈紙芝居1枚目〉
さあ、さあ、今から「ヒラトモ様」の紙芝居をやるよ。面白くてちょっと悲しい神様の物語だ。
宗像には、古墳群といって、小さな古墳がたくさんある山があります。今からお話しするヒラトモ様は、そんな古いお墓をめぐる物語です。
〈紙芝居2枚目〉
今から200年くらい前の江戸時代のお話です。村の丘のてっぺんに誰のものかわからないお墓がありました。あるとき村人が掘ってみると、刀やカブトやお金が出てきました。
〈紙芝居3枚目〉
それから50年ばかりたった江戸時代の終わりです。伝染病のコレラで村人がつぎつぎに亡くなりました。村人たちは、これをお墓から宝物を盗んだタタリと考えたのでしょう。名無しのお墓のわきに、小さな石のホコラをたてて、伝染病が収まるように祈りました。
〈紙芝居4枚目〉
ところが、明治維新がおきて、世の中は戦争の時代になります。村人も徴兵されましたが、村の神様は「和歌神社」という名前で、和歌の名人をお祭りしていますから、争いごとは苦手です。
〈紙芝居5枚目〉
そこで、人気が出たのは山の上の神様です。刀やカブトが埋まっていたのは、平家の有名なお侍のお墓だったのだろう。戦争のお願いなら山の上の神様がいいということになり、「ヒラトモ様」と呼ばれるようになりました。
昭和になると、徴兵された村人の無事を祈り、願いがかなって戦争から帰って来た場合にはお礼に木刀を納めていたそうです。日本の戦勝祈願のために村の婦人会が当番でお参りするようになりました。
〈紙芝居6枚目〉
今から80年前、昭和20年に日本が戦争に負けると、戦場から兵士たちが村に帰ってきました。しかし、平和の時代になったために、村人はヒラトモ様にお礼をしなくなりました。戦争のお願いをした神様のことを、みんな忘れたかったのかもしれません。
〈紙芝居7枚目〉
もともとは名無しのお墓だったヒラトモ様は、平家に関係のある戦争の神様にさせられたあげくに、今では忘れられて、もとの名無しの神様に戻ってしまったのです。
やがて、山の半分が削られて、みかん畑になりました。山の斜面にはソーラーパネルが設置されるようになりました。ヒラトモ様のいる山の上もずいぶん窮屈になっています。
〈紙芝居8枚目〉
村人から忘れられたヒラトモ様は、今、どうしているでしょうか。
木刀の代わりに、木の根っこの棒切れたちを家来にして、月明かりに照らされて、毎晩山のうえでお祭りを楽しんでいるのです。
(これで、ヒラトモ様の紙芝居を終わります)
〈間奏〉
・子ども:「紙芝居のおじさん! ヒラトモ様はなんて楽しい神様だろう。私も会いにいきたいなあ! ヒラトモ様のいる山を教えてよ!」
・紙芝居のおじさん:(急に怖い顔になって)「いや、それはだめだ。ぜったいにヒラトモ様に会いにいってはいけないんだ」
「仕方がない。本当のことを教えよう」
〈懺悔話〉
これは、私の懺悔話になります。
私が、この「宗像伝説風土記」を読んで、ヒラトモ様を探したのは、今から12年前の、寒い冬でした。山の中でやっとで見つけたヒラトモ様は、とても不気味な姿をした石の神様でした。人間みたいな形をしたたくさんの木の根っこが、ホコラを取り巻いていたのです。
私は怖くなって、無我夢中で、山を駆け下りました。ヒラトモ様に手を合わせることも忘れていたし、無意識に、ホコラにお供えしてあった古いお賽銭をつかみとっていたのです。
これでヒラトモ様の怒りに触れてしまったのでしょう。
それから一週間後、私は一人暮らしをする母親から思いがけない電話を受けました。(リーン、リーンと携帯の着信音をならす)
「なんだい、母さん、・・お前に貸したお金って・・おれはそんな電話かけてないよ。・・いや、それは俺じゃない。・・なに、俺の職場の同僚のヒラトモさんという人が、お金を取りに来たって・・うそだろ・・で、いったいいくら渡したんだ。・・え、500万円!」
(一瞬、固まったあと、肩を落として観客に向かって話す)
そうなんです。私の母親は、こうして500万円を盗られてしまったのです。しかし、母親からお金を奪ったのが、今はやりのオレオレ詐欺ではなく、ヒラトモ様のタタリだったことを、私は誰にも話せませんでした。
それ以来、私はこうして、紙芝居をすることで、ヒラトモ様の霊(たましい)を慰めているのです。
だから、みなさん、(初めてヒラトモ様の写真をみせて)宗像の山の中でこのホコラを見つけても、絶対に近づいてはいけません。絶対に・・・・
【『恐怖の民俗学』(島村恭則 2026)を読む】
SB新書の最新刊の一冊。装丁や帯のキャッチコピーもおどろおどろしい感じで、紙面の作りもやや軽い。しかし、実際にはベテランの民俗学者が新しい領域で、しっかりと考えた枠組みを提案しているかなり本格的な論考だった。
人間は、自然のもつ人知を超えた力を「霊力」として認識する。霊力が凝集して固まったものが「霊魂」である。霊魂が意志や個性を持つようになって人格化したものが「精霊」になる。精霊は、人間に対してプラスに働くこともあればマイナスに働くこともある「善悪未分化」な存在と考えられていた。
この精霊を「カミ」として祀り上げることで、対話可能な存在として人々の願いを聞き自分たちを守ってくれる存在へと変換するようになった。こうしたノモス(秩序)化以前の、自然という圧倒的なカオス(混沌)がもたらす恐怖は、「原初的な恐怖」ということができる。
ところが時代が下って、精霊に対して、人間の側が「怪しい」「異常だ」と評価し始めると事態は一変し、「妖怪」として分類されるようになると、怖さは薄れ、娯楽の対象にまで至る。
しかし、「原初的な恐怖」は様々な場面で生き続け、かえって現代社会の非現実的(無機的)で境界的な空間において、それがなまなましい形で表現され始めているというのが著者の見立てだ。
この点は、先日の怪談イベントで、自分以外の話者がすべて名前も持たず因果も不明な何かへの恐怖を語っていた事実からも納得することができる。話者たちはそういう存在こそ最も怖いと直観していたのだろう。
著者は自らのフィールドワークでの聞取りを含む様々な民俗学的知見に基づいて、恐怖にかかわる現象をリアルに語っていく。
一方で、認知科学の成果を使って、これらの現象を、いわば種明かしのように人間の認知の癖として客観的に説明している部分もある。たとえば、境界線を見つけて安心する傾向(「境界線バイアス」)、物事の背後に目に見えない本質が潜んでいると考える「心理学的本質主義」、わずかな気配によって誰かがいると直観する「過剰行為者性検出」、伝承として生き残るための法則である「最小反直観性」(ルール違反がごく一部であること)等々の概念による説明がそれだ。
ただし、この小著だけを見ると、この二つが水と油のように思えてしまう。この二つを架橋するのは、著者が紹介する認知科学の「システム1(直観的思考)」と「システム2(論理的思考)」との関係の考察になるだろう。著者はそれを、単純な二項対立ではなく「民俗OS」と「科学OS」との二重のはたらきに読みかえている。
これはかつて西洋と東洋の対立や、日本における理論言語と生活思想との乖離として扱われていた問題にも通じる射程の大きな議論であると思う。だからこそ、いっそう認知科学の概念で民俗的な現象を簡単に読み解こうとする仕草に違和感を抱いてしまうのだ。
【諸星大二郎を読む】
・「海竜祭の夜」
諸星大二郎の妖怪ハンターシリーズ「海竜祭の夜」は、加美島という架空の孤島の祭りが舞台になっている。島には安徳神社があり、浜辺には鳥居が並んでいるが、不思議な事にその鳥居は陸に向わず、カーブを描いて再び海に向いている。
海竜祭は、壇之浦で平家一門とともに八歳で入水して死んだ安徳天皇の鎮魂のための祭りであり、海竜となった天皇の怒りを鎮め、海に返すための祭りだったのだ。祭りの当日には、検校役の村人によって海に向かい平家物語が朗誦される。
シリーズの主人公稗田礼二郎は、島出身の教え子とともに海竜祭に立ち会うが、この年に祭りでは、様々なアクシデントにより安徳様の鎮魂に失敗し、それを「安徳様のお迎え」として受け入れる島民のほとんどを津波とともに滅ぼしてしまう。
ヒラトモ様も、壇之浦で入水した平知盛のゆかりの墓を祀ったものだという伝承がある。僕の調査では、その伝承は明治以降に生まれた新しいものだが、それによって先の大戦中さかんに戦勝祈願が行われた。
しかし、その結果はどうだったか。平知盛の鎮魂には成功せず、日本内外に壊滅的な損害をもたらしてしまったのだ。戦後にヒラトモ様の祭りが途絶えたのは、村人の変わり身の早さによるものばかりとは言えないのかもしれない。知盛の怨念は、敗戦という「お迎え」によって最終的に実現し決着してしまったのだ。
僕は今まで、ヒラトモ様の供養のためにと思い、時々ホコラの前で平家物語の「知盛の最期」を朗読していた。今年の初詣では、怖くてそうしようとは思えなかった。
・「闇綱祭り」
昨年出版された『雨の日はお化けがいるから』所収のこの作品は、発表の雑誌で読むことができたから、該当ページをとりはずして保存してある。初期の頃のような、シンプルだけれども力強いイメージ。正直、今でも新作でこれだけのものが読めるのかとうれしかった。
冒頭から「均衡」という言葉が繰り返し語られて、文明論的な視点がテーマであることを暗示させる。大きなテーマを扱いながら、それを単なる理屈ではなく、独創的なビジュアルに落とし込むところが、諸星作品の真骨頂だ。
この作品では、それが社殿の半分だけで存在するという片身神社の異様な造形として、成功している。祭りの夜にだけ社殿のもう半分が現れて、闇の世界の住人たちとの綱引きが行われるが、それは儀式として引き分けに終わらないといけない。これが均衡ということだ。アクシデントからこちらの世界に引き込まれた闇の住人の、異類のような不気味な容貌がこわい。
綱引きの儀式が失敗し、闇の世界に飲み込まれた町の大半は、爆撃にあったように半円形にえぐられて消失してしまう。他界との均衡、自然との均衡を失った世界の、これも見事なビジュアルである。
闇綱引きの失敗によって、半円形にえぐり取られてしまった町のイメージ。これに近いのものが、大井川流域にはある。平知様のホコラがまつられた里山の稜線から向こう側はざっくりと削り取られ、ソーラーパネルが並べられている。確かに原発よりは安全な自然エネルギ―ではあるだろう。しかし、それすらも「均衡」を失ったものであることは、里山の無残な姿を見れば明らかだ。
【事件の現場で】
・博多一家四人殺害事件 2018-01-19
大井川周辺の聞き取りでも、何らかの事件や事故に関連して、その供養のためにまつられた石仏やホコラの話が何件もでてくる。旅の人間が行き倒れになった場所に不動さんをまつったとか、殺人のたたりから子孫を守るための地蔵とか、雷に打たれて人が亡くなった供養でまつった笠仏などの話だ。民話集にあるようなストーリーだが、どれも正式に記録などされてはいなくて、かろうじて少数の人が伝え聞いているものだ。
少し前に、神々は外部への情報端末ではないか、と書いたが、神仏が人工的に作った異界とのアクセスポイントであるなら、事件の現場とは、日常に無理やりこじ開けられた外部への穴であり、異界へ通じる亀裂だろう。その穴や亀裂にとりあえずフタをして、定期的な祭礼でメンテナンスするために神仏という装置が利用されたわけである。
ところが現代では、たいていの事故や事件の現場は何の処置もされずに、亀裂や穴はそのまま放置される。何もせずとも、絶えず更新される流動化した日常が、難なくその場所を修復してしまうと考えているのかもしれない。しかし、本当にそうだろうか。
ネット上にあげられた事件現場のレポートを見てみると、同じ現場に何度も足を運んで写真を撮っている人がいる。悪趣味だと思う人が多いかもしれないが、放置されたままの日常の亀裂にひきつけられて、その場所を記録せずにはいられないという心理の根底には、昔の人が事件や事故を手厚く供養したのと同じ思いがあるような気がする。実際に事件の現場を訪れて感じるのは、その土地が大きく均衡を欠いているにもかかわらず、バランスを回復する方途がないという感覚だ。
表題の事件は、2003年に、中国人留学生3人によって、夫婦と二人の幼い子どもが自宅で殺害されて博多湾に遺棄されたという事件である。交通量の多い国道3号から一本入っただけの路地の小さな敷地の二階屋は、事件後まもなく取り壊されて平地となっていたが、最近隣の区画と合わせてアパートに建て替えられて、すでに入居者がいるようだ。勝手な思い込みだろうが、この土地が負った傷はあまりに深く、うかつに目を離すことを許さないような力がある。
・北新地ビル放火殺人事件 2023-03-11
2021年12月17日に、大阪駅近くの大通り沿いのクリニック(心療内科・精神科)が放火されて27人が死亡した事件が起きた。犯人は、このクリニックに通院していた患者らしく、本人も死亡している。のちの報道では、亡くなった若い院長の人柄をしのぶ患者さんたちの声があった。院長は、働く中でメンタルに不調をきたした人たちの社会復帰に尽力していたという。
新大阪駅前に泊まって数時間の空時間ができたので、梅田まで出て大通りを歩いて現場を訪ねてみたが、想像以上の繁華街だ。巨大なビルが立ち並ぶ中で、6階建ての小さなビルは目立たず、気づかずに通り越してしまうところだった。
火元になった4階の窓はボードですっかりふさがれており、火災の痕跡はほとんど残されていないが、ビル自体は閉鎖されている。「働く人のクリニック」という看板だけはもとのままで、停止した時間をこえて何かを訴えているようだ。
小さなビルの小さな医院でのあまりに不幸な出来事をよそに、大都会はその巨大な歩みを続けている。ヒューマンスケールをはるかに超えた時空間に押しつぶされた人々の悲鳴のようなものを聞いた気がした。
現場からほど近い、巨大なビルの陰に、堂島薬師堂があった。球状に鏡を張られた外観のホコラが水面に浮かぶという近未来的な姿だが、道行く人が祈る姿は昔のままだ。どのように形を変えようとも、昔からの祈りの場所が維持されているというのはありがたい。僕も球形の薬師堂で頭を下げて、事件で亡くなった方たちの冥福を祈った。