大井川通信

大井川あたりの事ども

こんな夢をみた(老画家の家)

仕事の仲間と、ある老画家の家をたずねる。一つ目の部屋には蔵書があって、その画家の分厚くて古い画集も置かれていた。得意の構図だったのだろうか、風に吹かれる松の木を描いた絵がカラーページで何枚もあった。なかなかいい絵だったが、どこかで見たことのある絵のように思えた。

二つ目の部屋には、壁一面サザエさんの本が並べてあるが、これは僕には想定内だった。画家は、サザエさんの研究家としても知られていたのだ。

屋敷の真ん中の大きな居間はまったく変わった作りで、庭に面して全面ガラス張りの引き戸なのだが、それが半円形でゆるくカーブを描いている。こんな薄いガラス戸だけで風雨をしのげるかと心配して、戸に手をかけると、ガタガタと音を立てる。しかし、外側には雨戸がしまるようになっているから大丈夫なのだろう。

庭にふと大きな犬が二匹あらわれる。散歩の途中まぎれ込んだらしい。

庭は、いまではもう手入れがされていないが、居間からの眺めは見事だ。いつのまにか主人である老画家が現れて、いろいろ説明してくれる。奥さんを亡くされてお手伝いさんといっしょに暮らしているらしい。もうここでの生活は無理と考えて、家の処分のために僕たちをここに呼んだようだ。

長いわたり廊下を伝って、入口まで戻る。ボコボコとひどく段差のある廊下で、何度も足を取られそうになる。老画家も見送りに来てくれた。

 

 

ラーメンと皇室

地元のスーパーのフードコート(食堂スペース)の模様替えをしていたが、そこにはある人気中華料理屋とラーメン屋が入ることになった。

中華料理の方は、全国的に人気のある大衆店で、僕も若いころからよく食べている。餃子が有名なあの店で、僕の金銭感覚でも気軽に入れる店だ。地元の市には、以前も出店したのだが、早々に撤退してしまいとてもがっかりしていたところだった。

ラーメン店の方は、博多ラーメンの人気店で、僕が一番好きな味だ。天神に行くたびに食べていたが、ある時期から、その近くの格安ラーメン店でそれなりに美味しいお店にばかり行くようになってしまった。ただ、地元に来るなら、ぜひ食べてみたい。

そんなわけで、僕はうれしくなって、口を開くと、もうすぐ開店する店の話ばかりしていたようだ。今日も車を運転しながら、妻にこんなふうに話しかけた。

「このスーパーはそれほどこまないから、食事時をはずせば、けっこう空いていて、ゆっくり食べられるかもね」

すると、妻。「あなたって、本当にスケールの小さい、小さな世界で生きている人間なのね。世の中には、もっと重要な問題があるのに、スーパーの食べ物屋の話ばかり」

ずいぶん長くいっしょに暮らしているから、夫婦の間で何を言われるかはたいていは見当がつく。しかし、こればかりは全くの予想外の攻撃だった。言われてみると、全くその通りで、ぐうの音もでない。

ただ、妻の言う世の中の重要な問題というのが、彼女が近ごろ夢中になっている皇室の結婚問題のことだというのは、ちょっとどうかと思うが。

 

 

『いのる』 文・森崎和江 絵・山下菊二 2016

著者の森崎和江さんは、ご近所に住んでいる。著作集がでている著名な文筆家だから、いつかしっかり読もうと思いつつ果たせていない。ずいぶん前になるが、一度ご自宅の前で顔を合わせたので挨拶すると、家に招き入れてもらい、しばらく話をうかがったことがあった。

最近復刊された絵本だが、原本は40年近く前の出版のようだ。海上の女神の島や漁船によるお祭りのエピソードがあって、あきらかに地元を舞台にした作品だ。シュールレアリスムの素養もある山下菊二の絵は一枚一枚が際立っていて、森崎さんによるストーリーも、何かぶつ切りのようなぎこちなさがある。制作には特別な経緯があったと思うのだが、その説明がまったくないのは残念だ。

一応は子どもが主人公になってはいるのだが、ストーリーを展開するのが目的ではなく、海辺の古い村における様々な「祈り」のカタログをつくることが目指されているのだろう。神社や地蔵堂での祈りから、てるてる坊主まで、かつての村では当たり前の習慣も、今では大半が異国での土俗の暮らしぶりに見えてしまう。

地蔵堂に供えられた手や足の形の板切れで、自分の病気の部位を叩いて回復を祈るというシーンがある。これ自体は初めて知ったが、博多の信仰心のあつい家で育った妻は、似たようなことをやっている。神社に参拝したときには馬や牛の像の身体をなでてから、それを自分の身体の同じ部位にこすりつけて、病気を治してもらおうとするのだ。

 

 

 

介護初任者研修二日目

今日の講師は、前日のように初めから感じのいい人ではなかった。黒塗りの高級車をスクールに乗りつけて、ちょっといかつい感じだったのだ。デイサービスの経営者ということだったが、話しぶりも含めて、むしろ僕が事前に想定していたような講師像に近かった。すでに施設に勤務している参加者に、しきりに独立を勧めたりする。

ただ、施設でのリスク管理や利用者とのコミュニケーションの話をするなかで、具体的な経験談を交えるようになると、少しずつ介護の仕事への思いが伝わってきた。

最後にこんなエピソードを話してくれた。この仕事を始めた頃の現地研修での体験談だ。その施設の人から指示を受けて、彼が一人のおばあさんの隣に座ったとき、そのおばあさんが開口一番「どうせ、あの人は黙ってうなづいて話を聞いておけば暴れたりしないから、と言われてるんでしょ」と言われたそうだ。図星だった。彼女が自分が施設でどう見られているかを知りながら、気づかぬふりをしているのが不憫だった。

だから、そういう思いを強いられる利用者を一人も出さないようにと思って頑張って仕事をしてきたという。おそらく照れもあるのか、ぼそぼそと早口でしゃべって少しわかりにくかったけれど、その思いは伝わってきた。

僕は今の仕事の経験から、人がやる気になったり、頑張ったりする場合にモデルになる存在がいかに大切であるかに気づかされた。いざ自分がまったくの初任者として異分野に挑戦しようと思ったとき、励みになるのは魅力的な先達の姿だとあらためて実感している。

 

 

きついなかでやさしくあること

介護職員初任者研修が始まる。これから一カ月半、土日が終日つぶれるのは、正直たいへんだ。しかし、介護の仕事をやるうえでの基礎的な資格だから受けないといけないし、経験のないものとしていろいろ学んでおきたい。

ただし、実際には、それほど期待はしていなかった。小規模の民間事業所が併設しているスクールで、この業界はブラックで儲け主義のイメージもあるから、多角経営の一環としてやっているだけの、おざなりな講座になるのではないか、という悪い予想もあった。講習料がかなり安いのも、安かろう悪かろうということになりかねない。

ところが、初日の印象はかなり良いものだった。初日の講師は、経営母体の事業所のスクールの責任者とおぼしき職員で、彼の印象と話の内容がとてもよかったのだ。丸一日その人の話をきいていれば、人間性や事業所の考え方までが、はっきりと伝わってくる。これなら、今後の外部講師による講義も期待がもてそうだ。

講師は、43歳で、大学をでて20年間、この業界で様々な立場で働いてきた人だった。業界の現状や、問題点、多変さややりがいなどが、講義の合間に、やさしい言葉でしっかりと伝わってくる。極度の高所恐怖症で、3階以上の利用者のお宅を訪問するときは、外を見なくていいように手のひらで視界をふさいだなどというユーモラスなエピソードも交える。

大学では全く違う分野を学んだけれども、自分が普通の企業で働いているイメージがわかなくて、介護職を志望したそうだ。厳しい仕事だとはわかっていたが、きついなかでやさしくなれたら、本当のやさしさが身に着くのではないかと。しかし、実際には、やはりそれは難しかったと講師はいう。利用者一人一人の状況は全く違う。それに新鮮に向き合ってケアするのがやりがいになるとも。

僕も職場がとても忙しく厳しかったとき、周囲の人たちを見て、そういうときにその人の「地金」がでるなと実感したことがある。これからまた自分の地金が試される時がくるのは怖いような気もするが、覚悟を決めよう。

 

こんな夢をみた(夜の家)

廊下がおそろしく長い家だった。廊下の端の向かい合った部屋で家族が寝ていて、そのあたりだけ廊下にも照明がついているし、部屋からも明かりがもれている。

どのくらい廊下が長いのか、突き当りまでの歩数を数えてみようと思ったときだった。突き当りの暗いガラス窓に、こちらの端の明かりが映って、それでいっそう廊下が長く見えていることに気づいた。実際の長さは、明かりまでの半分もないと。

暗い廊下を途中まで歩くと、窓にはまた別のものが映るようになった。窓のずっと先にある事業所の仕事風景である。

ゴロゴロと台車に書類をのせて運ぶ男性の足元。書類をコピーしている女性の胸元。そんなものがまるでスクリーンのように映っている。ペアガラスの効果だな、と僕は納得する。我が家の窓ガラスはペアガラスだから、それがレンズのようになって遠くのものを拡大して見せるのだろう。

その事業所は、かつて僕の勤めていたところだ。僕は、廊下の端の自分たちの部屋に戻ると、職員たちがもう午後10時を過ぎているのに働いている姿が見えたこと、そして今の自分ではとてもそんな仕事はできないという話を妻にした。とても眠かったので。

少しすると、次男がよろよろと廊下に出てきた。トイレに行こうとして寝ぼけているのだろう。僕は、次男の身体をしっかり押さえて、トイレの場所を教えてあげる。次男はまだ小学生くらいの姿だった。

 

※久しぶりにみた鮮明な夢。夜中に見た直後に目を覚まして反芻したせいか、今でも情景ははっきりしている。どんなに変形されていても、そこが自分の家であり、自分の職場だという確信があるというのが、夢の不思議なところ。でもちょっとした共通性はあって、我が家の二階には実際に廊下の突き当りに窓がある。ペアガラスで納得するという疑似科学が通用するのも夢の世界ならでは。今では社会人の次男の10年以上前の姿はかわいらしく懐かしかった。

追究の鬼を育てる

僕は、仕事がら教師たちと接することが多い。その仕事ももうすぐ終わるのだが、それまでに仕事関連で購入した教育書にできるだけ目を通そうと思っている。

有田和正(1935-2014)は、地元出身で、全国区で著名になり活躍した教育者として、地域の先生たちからいまでも尊敬されている。『今こそ社会科の学力をつける授業を』は、亡くなったあとに弟子にあたる先生たち(残念ながら地元の先生はいない)によって書かれた各人の有田論と呼ぶべき小文集だ。生で聞き伝える有田語録が興味深い。

「教師が追究の鬼になることですよ。教師が調べて面白いと思うまで調べまくることです・・これは、子どもたちが驚くぞというものが見つかるまで調べぬくことですよ」「1時間に1回も笑いのない授業をした教師は逮捕すべし」「ノートは思考の作戦基地」「鉛筆の先から煙が出るスピードで書きなさい」

ネタと笑いが大切であることは、教師ならぬ自分も実感できるところだ。ただ、教師という存在は、いい意味で時別な存在であると改めて感じる。有名な「追究の鬼」という言葉も、どこか大げさで作り物めくけれども、それはあくまで学校や学級という閉域の中で成立する概念だからだと思う。

先生たちの熱心な「追究」も授業のネタをつくるという目的の範囲内のもので、弟子たちの気分のなかには、有田先生に見てもらいたいという思いが忍びこんでいる。学級の子どもたちも「追究」の姿勢を先生に認めてもらおうという気持ちがつよいだろうし、教員もそういう活発な学級を誇る気持ちがでてくるだろう。

以前から、教師の技というのは、一種の体術で、道場において師匠から直伝で授かる武術と似ていることに気づいていたのだが、この本を読むと、有田道場の師弟関係もまさにそんな関係であることがよくわかる。

おのずと学級の子どもたちに対しても、同じような濃密な関係を求めるし、そのような方法論で子どもたちを育てようと考えるだろう。そしてその中で、子どもたちが力をつけることも間違いない。砂をかむような退屈な社会科の授業を受けてきた者からすると、本当にうらやましいかぎりだ。

ただ、教師ならぬ身としては、子どもの好奇心も追究も認識の力も、教室や学校の外のもっとゆったりした世界の中に、ゆるく足場をもっていると考えたい。それは、特別な仕掛けに頼らずとも(それと直接の因果関係を持たずに)自生的に育つものだし、そうだからこそ広く強く根を張ることができるのではないだろうか。

 

 

 

 

ボンちゃんのぬいぐるみ

猫の九太郎は、なぜか朝だけは人なつこい。二階の僕の部屋に来て、たっぷり身体をなぜさせてくれる。ボンちゃんの方は、二階に来てもツンデレで、ちょっと部屋をうかがうとすぐに一階におりてしまう。

すると、すぐにニャアニャア元気に鳴きながら、また階段を上がってくる。口には、いつもの黒白の猫の小さなぬいぐるみをくわえて。

興奮冷めやらぬという感じでウロウロすると、僕から少し離れた場所にぬいぐるみを置いて、そのまま戻っていってしまう。

時々見せるボンちゃんのこの行動の意味は何なのだろう。まるで獲物(ちょうどネズミくらいの大きさだ)を捕まえて、それをくわえて気分が高揚しているようにも見える。ただ、あきらかにその姿を家族のだれかに見せにくるのだ。

獲物をプレゼントする気持ちがないことは、それを中途半端な場所で放置してしまうことからも明らかだ。狩猟本能と顕示欲。しかし、亡くなった八ちゃんや九太郎にはそんなそぶりはなかった。

妻が、同じ大きさの灰色のぬいぐるみを買ってきたが、ボンちゃんがくわえるのは、きまって白黒のほうだ。それを時々くわえては、人が(猫が)変わったように興奮して歩き回り家族にそれを見せつける。

一種のお守りみたいに特別な力をもった何か(トーテム?)なのかもしれない。そう言えば、人間にもいつも同じぬいぐるみが手放せないというケースもあるような。

 

ooigawa1212.hatenablog.com

 

 

 

犬が3匹、猫が2匹、鳥が1羽、カメが1個

この住宅団地に転居したての時のご近所さんで、ずいぶん前に関東に引っ越した家の奥さんと、妻は今でも連絡を取っているようだ。いっしょに子育てをして子ども同士を遊ばせていたから、きずなが深いのかもしれない。

その友人の家にいかにペットが多いかを、説明した妻の言葉。カメの形と重量感を想像すると、一個といいたくなる気持ちもなんとなくわかるが。

かといって我が家がカメに同情がないというわけではない。結婚以来、猫を迎えるまで、我が家にいたペットといえば、ハムスターが二匹とカメが一匹だけだったのだから。

カメは子どもが夜店で買ってきたミドリガメだった。調べると、ずいぶん大きくなるとわかったが、覚悟を決めて最後まで育てようと決意していた。たちまち倍くらいの大きさになったが、ある時、ケースを外に出して甲羅干しさせている間にどこかに逃亡してしまったのだ。カメは脱走の名人と聞いていたが本当にそのとおりだった。

僕が油断して逃がしてしまった責任を、家族から問い詰められたくらいだから、みんなでかわいがっていたのだと思う。僕も残念だった。

それからだいぶたって、近所のため池にぷかぷか浮かんでいる大きなミドリガメの姿を見つけた。家のカメがため池に逃げて大きく育ったのならよかったね、と家族でいいあったのを思い出す。しかし、ため池のカメもそれ以来見ていない。

 

4年間、書き続ける

2017年の10月から、ブログを毎日書き続けている。実際には、記事が遅れることはあるのだが、日にちを空けずに4年分の投稿を続けてきた。ブログ自体はその年の1月から始めていて、何をどういうふうに書くのかで試行錯誤を続けてきたのだが、それが軌道に乗って、自覚的に毎日投稿し始めたのが10月だったのだ。

毎日ということにはこだわりがあって、僕なりの学習指導メソッドに「毎日やるか、やらないか」というのがある。人間にとって最も基本となる生活単位は「1日」だから、それを基準にしないと、ズルズルと結局やらなくなってしまう、という意味だ。

毎日書くと当然駄作も多くなるが、駄作を書き続けることで、見ることや書くことの力が養われ、その中に意外に良いものが生み出されるという効果もある。

内容的には身辺雑記と活動の備忘録で、要するに日記ではないか。誰でもその気になれば書けるものだから、公開の意味はない、という意見もあるだろう。また、毎日もっと多くの回数つぶやいている人がいくらでもいると。

僕としては、単なる記録ではなく、また断片的なつぶやきでもなく、独立した記述としてのネタを書いているつもりだ。いつ、どこで、誰が、何をしたかを明らかにして、出来事の起承転結をつけたうえで、自分なりの観察や発見を盛り込み、情報としての差異化をはかる。それが面白いネタになれば何よりだが、そうでなくても多少のオリジナリティを含んだ小ネタであってほしい。

昨日のブログなどは全く自信のない駄作だが、それでもワクチン接種会場で時間にルーズな南国人が時間厳守をする不思議さという観察を盛り込んでいる。それがネタとして面白いかどうかはともかくとして。

そして結果的に積み上げられたネタの集積が、数の力によって僕にとっての世界の実相に迫るものになってくれたらと思う。