大井川通信

大井川あたりの事ども

行橋詣で(2026年6月)

早朝、車で出発する。一時間半のドライブの間に、様々な記憶やアイデアが去来する。お参りに行くという緊張感から、それらが煮詰まっていく。行橋教会に月参りを始めてから来月で丸三年。八幡で金光教研究会を始めてから丸一年が経過する。

今までは、金光教のことをわかりたいというのが大きな動機だった。研究会の一年でその目的に一区切りつけるという目標は、なんとか果たすことができたようだ。お参りだけでなく、自分なりの信心生活というものも続けてきている。

それらを踏まえて、次の一年、あるいは数年間の目標というものが明確にイメージできたのは、参拝に行く道中だった。そのアイデアの原型になるものは、今回の金光教研究会の中ですでに出ていたが、はっきり像を結んだのはこの時だったと思う。

この教えとかかわっていると、不意に新しい出来事が到来したり、新たな思い付きが生じたり、そのために見晴らしが開けるような経験をすることが多い。不思議なことだと思う。もちろん自分も動いてはいるのだけれども、それ以上に「受け入れられる」「聞き届けられる」「導かれる」という環境が大きいのだろう。世間には、小さな拒絶や悪意、無関心が満ちているものだから。

ところで、次のステップといっても、何か新しいことをするのではない。今までしてきたことの重心を少し動かすということだ。今までは、自分がわかろうということが中心だった。これをブログという公開の場所で行ったのは、自分の思考や振る舞いに緊張感と客観性を持たせたかったためだ。ただ、それが外への発信につながっていた。

これからは、内容を深めつつも、もう少し発信ということに意識的になろうと思う。僕は、自分なりに理解するために教義の内容の「読み換え」を行ってきたが、こうした作業は、これからの若い人たちが金光教にアクセスするためのルートとして必要なものではないだろうか。

しかし教内の先生方は、教団というものの性格上、教義等の安易な読み換えをするわけにはいかない。だとしたら、教外のいわば「在家」の信奉者がその役割を担うべきだ。これは何も教えを改変したり別派を立てたりすることではない。各人が自己責任による読み換え(オルタナティブ)を生活の中で実践して、それを提示するだけのことだ。これは金光教が求める本来の姿といってもいいだろう。

大切なのは、金光様や教会に、人々の関心を向け、必要な人にアクセス可能なルートを用意することだろう。今ある教会の手続きは、近代の時代に人々の努力で全国に広がったものだ。そのリアルなネットワークに新しく人々をつなげるための新たな情報のネットワークが、ポストモダンの時代の手続きとして求められている。

 

先月の訪問の際に先生から文献を探すように頼まれたが、それは無事に荒川教会から送っていただいたようで、先生も大変喜んでいた。先生は現在「神徳家」論を構想中で、神徳家型の教師についての文献を調べているのだそうだ。その中身についてお話していただいた。

目立つ共通点としては①お神酒を吹く②徹底した祈念②下の人間としての自覚③掃除④神への絶対的な信、などをあげられる。そこから、教会の「初代」についての話になった。初代性が生き残るのは50年だろう、とつぶやかれる。

僕は、今回の金光教研究会のレジュメをお渡しして、自分なりに「暫定的な結論」を思える内容のお話をした。一年で形にするというのは先生への約束でもあったのだ。

金光教研究会での議論と同じような熱量で先生とお話ししたために、今回は3時間近くも長居をしてしまった。最後に先生のネパール語学習のノートを見せていただく。緻密で継続的な努力に驚かされる。やはり先生は特別な方だと頭が下がる。

 

 

 

 

『 信 』 高橋正雄 1947

ネットで注文する。届いたのは、戦後まもなくの出版で紙質も悪く、わずか25頁のパンフレットのように薄い本だった。

高橋正雄は相当数の著書を出版しているだろう。きちんと読んだのは、近年復刊された教祖論だけだ。なぜ、この本に目をとめたかというと、出版時期が気になったからだ。

高橋一郎の名著『金光教の本質について』は1949年(昭和24年)であり、敗戦のインパクト抜きに書かれることはなかっただろう。誠実で真摯な思考者ほど、直接言及することはなくても、時代の大きな変動から目をそらすことはできないものだ。

では、高橋一郎の父親の高橋正雄はどうだったのだろうか。出版時期から考えると、この本の中には、彼の敗戦体験の精髄がこめられているはずである。

一読、たいへん面白く、興味深かった。ただし、戦前からの高橋正雄の著作の傾向を知っているわけではないので、この本に現れている主張が、どこまで敗戦体験の影響下にあるかはわからない。この時期の社会情勢や教団の課題に通じているわけでもないので、外的な事情が本の内容に影響を及ぼしているかどうか、それも判断できない。今はただ、この本の特徴を形式的に取り出すことしかできないだろう。

まず、この本には、金光教の名前も出ていなければ、そもそも「神」という文言が出てきていない。もしかしたら、教団を離れた啓蒙思想家として、高橋正雄はこのような本の書き方は戦前からしていたのかもしれないが、正面から「信」(信仰)の問題を問いながら、金光教はおろか神の文言をつかわないのは不思議な気がする。

『金光教の本質について』はきわめて簡潔で論理的に構築された著作だった。『信』もまた、論理的に首尾一貫した著作になっている。二人の資質はもともとかなり違っているものと思っていたが、敗戦という激動を前にして、自分の信仰を確かめるための切迫した調子に共通するものがある気がする。あいまいなところを残さない著作のスタイルを取らざるを得なかったのだろう。

この本の中で、神にかわるのは「真(まこと)」という言葉だ。

信とは、心だけのものではなく、人間のみならず生きとし生けるものの有様であり生き姿であり、生活ということになる。人間同士の関係においても、生死の在り方においても、そこに真(まこと)をみとめ、それに倣おうとすることが信の核心である。

そして、他者の真(まこと)の生き方をモデルとしてそれを自分のものにするのが「取次」であり、信の授受関係は「手続」としてつながっていく。

欲といわれるものも、よくよく内省すれば信につながる「願い」なのであり、天地をつらなる宇宙の生命の働きの一部として、肯定されなければならない。大天地の恵みに気づくことで、願いは「祈り」となり、その中身は「信」そのものとなるのだ。

信の中身は、「感謝」としても「おわび」としてもみることができる。全体によって自分が生かされる事実に気づくことで感謝が生まれ、その事実を忘れているところにおわびが生じる。

つまり、自分と他との関係に気づく(覚他)ところに「自覚」が生まれて、信心と信の生活がすすんでいくことになる。生きるということが中心であり、その生きる調子を本調子であるようにするのが、信ということになるのだ。

最後に高橋正雄はこんなふうに言い切っている。「日常平凡な生活行事そのものが、順調に営まれて行きさえすればそれでよいのであり、そのほかに何もありはしないのである」と。

 

ooigawa1212.hatenablog.com

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こんな夢をみた(巨木住宅街)

場所ははっきりしていた。国立市の駅前ロータリーから南西の方角に伸びる冨士見通りの突き当りになる付近だ。美味しいラーメン屋があると思って探すのだが、見当たらない。

それで住宅街の中に入っていくのだが、不思議な光景が広がっている。住宅街として区画整理されているのは間違いないが、そこにはびっくりするような巨木が密集して生えている。何十メートルという高さの杉が家屋などお構いなしに並んでいる。普通ではありえないことだが、林立する杉の上部には、地面と平行に伸びる樹木(丸太)が、まるで建築物の横材(梁)のように見えている。

かと思うと、敷地いっぱいに広がる巨木の根もとが、まるで一軒の家のように場所をふさいでいる。

あたりは夕方のように薄暗い。ラーメン屋もないから、一軒の和食屋に入る。かなりの人気店のようで、倉庫のような店内にも行列が続いている。メニューは張り出してあるのだが、誰もが同じ料理を頼んでいる。

長方形の細長いお皿に、料理が三点載っているだけだ。それだけで1500円くらいするようだが、せっかくだからこれでいいと思う。

国立のそのあたりには、以前は古い住宅が多く、広い敷地内に樹木が荒れ放題になっている家もあった。その印象が拡大されて、今回の夢になったのかもしれない。

 

 

 

 

資本論を読む会

マルクスと金光大神との比較が、金光教理解についての突破口となったタイミングで、それとはまったく別の事情で『資本論』を読む会を始めることになった。

人生は何が起こるかわからない。相手は現代美術家の外田さんで、一緒に安部さんの遺稿集を作ったことをきっかけに、その後も不定期で会って話をし続けていた。

外田さんとは、15年以上前に、キュレーターの岩本さんを交えて三人で読書会をしていたことがある。ドゥルーズ=ガタリやフーコーの訳本を読むきちんとした会だった。

読書会という形式を使うと定期的に会いやすくなる。マルクスを読みたいというのは外田さんからの提案で、どうせなら本丸の『資本論』を読もうという話になった。大部の著書ならば、毎回本を選ぶ手間が省けるし、長期的に会うこともできるだろう。隔月で読めたところまでやる、という緩いルールだ。

とはいっても、外田さんは、新しい美術評論やを多く読んでいる。『資本論』をきっかけに、あちこち話題が跳ぶのが楽しみだ。真面目な読書会というよりも、パフォーマンスやインスタレーションのようなものになればいい。まだうまくイメージはできないが。

僕は大学1年のときにマルクス経済学の授業をとって、一年間真面目に聞き続けた。労働経済の永山先生の講義で、自家製みたいな素朴なテキストもよかった。若いころのアイドルだった柄谷や廣松渉、今村先生が「価値形態論」を熱心に論じたこともあり、第一巻は何度か読んでいる。

ただ、最近の経済や貨幣をめぐる状況についてはすっかり見失っているので、そんなことを考えるきっかけになったらと思っている。

地域通貨や岩井克人の貨幣論あたりまでは追いかけたが、仮想通貨や、現代貨幣理論などの考え方などは正直わからないし、いろいろ違和感もある。

右も左も積極財政を主張して、国の借金など心配ないからどんどんお金を配ったらいいというのはいったい何だろうか。かつては労働者から搾取した剰余価値をため込む大企業が批判のターゲットになっていたのに、今では均衡財政論を堅持する財務省が悪の権化になっている。悪者をどこかに作るのは世の常だが、これもわかりにくい。

場所も、金光教研究会の開催場所の近くの、八幡や黒崎周辺のカフェになるだろう。折尾での詩歌読書会は終わってしまったけれども、様々な古い思い出のある八幡で学び続けられるのはうれしい。

 

 

 

金光教研究会(第10回 2026年6月24日)

先月日程調整ができなかったので、一か月空いての開催となった。一か月空くことで、毎月開催のありがたさを知ることができた。初めに私からの隔月の提案に対して、毎月やりましょうと言ってくれたのは野中先生である。8月からの一年間で何とか自分なりの課題をこなすことができたと思えるのは、この毎月開催のペースのおかげだったと思う。そのことを野中先生にまっさきに感謝した。

野中先生からは、僕のブログ記事から、小松理虔さんの事や映画監督の是枝さんの事などでコメントがあった。野中先生の目配りの広さや感性の柔軟さにいつもながら刺激を受ける。

今までの勉強のリズムがあったために、今回は二回分のテーマのレジュメができてしまった。話してみたいのは、どうしても最新のテーマとなる。

高橋一郎の『金光教の本質について』を検討するのは研究会発足以来の念願だったのだが、このためレジュメを配布しただけで、ほとんど論じることができなかった。いつかまたこのレジュメを活用して議論してみたい。

今回論じたレジュメ②は、高橋一郎の優れた仕事を経由することで初めて見えてくるものに決着をつけるための議論となる。論点は二つある。

一つは、生神金光大神について。

高橋一郎は、二人の神の働きを、「取次生かす」と「取次助ける」とに峻別し、これによって生神金光大神登場の必然性を論証した。人間は、天地金乃神によって取次生かされるだけでなく、言葉(理解)によって取次助けられなければならない。これを担うのが、金光大神である。

しかし、だとしたらなぜ金光大神の登場が19世紀であり、釈迦のように古代でなく、親鸞のように中世でないのか。この疑問は高橋一郎の本にはない。

僕は、初めはほとんど冗談のつもりで、同時代人マルクスと金光大神とを比較してみたのだが、これによってこの疑問を解く道筋に気づくことができた。

マルクスが古代や中世に登場することが可能だったと思う人はいないだろう。マルクスの構想は、生産力(働く力)の飛躍的な向上を前提とする。経済を問題とするマルクスには、歴史的なパースペクティブを適用することに抵抗はないだろう。

一方、宗教や思想の問題は普遍的な問題として扱われやすい。しかし、古代や中世の人間の願い(欲望)と、近代以降の人間の願い(欲望)とが同じ性格を持つとするには無理がある。古代人や中世人にとってたいていの欲望が実現不可能であって人生を不幸にする執着や煩悩でしかなかったとしても、近代以降の人間の願いは確かな実現可能性をもっている。

マルクスが「働く力」に注目したように、金光大神は勃興する「願う力」に注目したのだ。そしてこの二つの力は、あたかも下部構造と上部構造のように表裏一体になっている。金光大神も家業(労働)を修行と考えて、その成果を楽しみにする(願う)ことを教えていた。

僕にとってこの発見は、年来の疑問(「現世利益は本来の宗教でない」という知識階級の常識)に対して自分なりの解決をつける上でとても大きなものだ。清沢満之ですら仏教の理解をふまえて「祈祷は宗教ではない」という文章を書いている。これらの「常識」は、金光教の理解にあたっての認識論的障害物になっているのは間違いない。

もう一つは、天地金乃神について。

高橋一郎は、天地金乃神の働きとして「取次生かす」という優れた概念を提出しているが、この書の範囲内においては、プラスのイメージが強すぎる気がする。この世界というものは、金光大神自身が経験したように、人間的なスケールをこえた荒ぶる神や祟り神が現出する場だ。与える神であると同時に奪う神であるところに世界のリアリティがある。

しかしそれゆえに人間は願い、取次者(金光大神)との間に言葉が生まれるのだ。この間の事情を、スタインベックの小説によって簡潔にイメージできたのが、今回の成果だった。坂口安吾や柄谷行人の力を借りて、それを「突き放される」経験としてまとめることもできた。

天地金乃神のイメージを、芸術作品を使って豊かなものにするというのも本研究会の課題の一つであったので、その方向を多少示すことができたのかもしれない。

僕は今回のレジュメに「金光教研究の暫定的結語として」という副題をつけた。研究会発足から一年を迎えて、金光教理解の大きな山を越えたような気がする。人間が生み出した思想的・宗教的な達成(知恵や態度)として、最高レベルであるという確信はますます深まっている。

 

 

 

 

 

願う力と突き放されること(第10回金光教研究会レジュメ②)

※3回分のブログ記事をまとめて、あらたに表題をつけたもの。アンダーラインの追加あり。

 

 願う力と突き放されること―金光教研究の暫定的な結語として―

  

【同時代人としてのマルクス】

ちょっと堅苦しい文章が続いたので、肩の力を抜いて、自由に妄想を書き連ねてみよう。少し前に、マルクスと金光大神の生きた時代が重なるということに気が付いた。亡くなったのはなんと同じ年である。

もちろん、普通に考えて、マルクスと金光大神が、似ているとは思えない。むしろ全く別の世界の存在と思われているだろう。しかし、二人の同時代人の共通点を探ることで、金光教に新たな照明を当てることができるかもしれない。

金光大神もマルクスも、困窮した人々(難儀な氏子)を助けるためにその生涯を費やした。

しかし、困窮した民衆はいつの時代にもいただろう。なぜ、マルクスと金光大神は19世紀という近代化がすすむ時代に登場したのか。この時代になって、ようやく民衆自身が自らを助ける力を蓄えられるようになったからだと考えられる。

民衆自体が非力の時代は、権力者の恩恵によって慰めを与えられることや、宗教の教えによって死後の世界に望みをつなぐことしかできなかった。

マルクスは、同時代の人々の「働く」力にフォーカスする。すでに人々の働く力は十分に強くなり、ばくだいな価値をもたらしている。働くもの同士が結びつくコミューン(共産主義社会)が実現すれば、労働がもたらす天地の恵みによって、誰一人が犠牲になることのない自由で豊かな生活がもたらされるはずである。

それを邪魔するのが、資本や権力という第三者の介入だ。マルクスは、『資本論』によってこのメカニズムを解明し、第三者の介入を排除して働く人同士が直接につながる社会を作るための、労働運動や革命運動を支援することになる。

では、金光大神はどうだろうか。

金光大神がフォーカスしたのは、人々の「願う」力だったと思う。この時代に、「働く」力とともに、「願う」力はしっかりと育っていた

余談だが、僕は、近所の集落を歩くのが趣味だ。集落にたくさんの祠や石塔や石仏がある。その建立の年号を見ると、18世紀から始まって、19世紀になってから急増している。いうまでもなく19世紀は金光大神とマルクスが生まれ活躍した時代だ。これらの小さな神々の登場の背景には、生活の余裕とともに人々のつながりが増し、様々な願いの届け先の需要が増えたことがあるだろう。

しかし、こうした人々の「願い」は、既存の神々や権力のヒエラルキーにからめとられてしまい、人々に幸せをもたらし真に生活を豊かにする方向には向いていない。

金光大神が、取次を始め、一対一で人々と向き合い、既存の神仏や権力の介入を排除して、何に遠慮することなく天地に向けて「願う」場所を開いたことの理由はここにあっただろう。取次が広まり、人々が自由に話し、お互いに願いあうことを通じて、天地の恵み(おかげ)が十全に受けられる豊かな生活(取次社会)がもたらされる

農民だった金光大神の語りには、当時の民衆習俗が色濃く反映されているとはいえ、生涯広前に座り人々の願いを聞き続けた振る舞いからは、世界に対する全く新しい認識と態度をうかがうことができる。

 

【『ハツカネズミと人間』と取次】

読書会でスタインベック(1902-1968)の『ハツカネズミと人間』(1937)を再読した。5年前に別の読書会で読んでいたが、その時はコロナ禍でオンラインでの会だった。

1930年代のカリフォルニアの農場が舞台。流れ者の労働者は、自分の土地を持つことを夢見るがそれが実現することはない。孤立した労働者たちは、稼いだお金を享楽につぎ込みその日暮らしを送っている。

小才の効く兄貴分の小男ジョージと、怪力の大男だが知恵の回らないレニーとは、子どもの頃からの縁で、働きながらいっしょに旅をしている。二人には、自分たちの土地に住んで自給自足の生活を送るという夢があり、その共同生活への賛同者も現れる。希望が見えたところで、行き違いからレニーが犯罪に手を染めてしまい、二人に悲劇が訪れる。

5年前の若い人たちとの読書会では、流れ者の労働者たちの世界や主人公の性格の造形に、違和感を持つ意見が多かったと思う。僕は、絶望的な状況における労働者たちの抱く夢とその挫折という悲劇的なテーマを読み取っていたから、若い人の読みは表面的におもえて共感できなかった。しかしそれは世代の差(とくに左翼経験の有無)が影響していたような気がする。

今回再読して、もっと別の事に気が付いた。それは、金光教の取次との関係だ。

自分の思いを上手く言葉にできないレニーは、ジョージに二人の願う夢を物語ることをしきりに促す。何度も語られ、聞かれることでこの夢物語の語りは細部まで出来上がっているようだ。その内容は、小才の効くジョージが単独で思いついたものではない。レニーの無垢の願望を受け止めることで、ジョージにも共感が生まれ、優れた物語詩としていわば天から降りてきたものであるように思える。

 

「おれたちみてえに、農場で働くやつらは、この世の中でいちばんさびしい男たちさ。家族もねえ。住む土地もねえ。・・・先にはなんの望みもねえ」

「だけど、おれたちゃそんなじゃねえ! そのわけは? だって・・・だって、おらにはおめえがついているし、おめえにゃおらがついていて、たがいに世話をしあうから。そういうわけさ」

「いつの日か―おれたちは金を合わせて、一軒の小さな家と2エーカーの土地を持ち、一頭のめウシと何頭かのブタを飼う。そして土地のくれるいちばんいいものを食って、暮らす」

「おれたちは、大きな野菜畑と、ウサギ小屋とニワトリ小屋を持つ。冬、雨が降れば仕事なんかはごめんだと、ストーブに火をたき、そのまわりにすわって、屋根に落ちる雨の音を聞く」

「小さな家に住み、自分たちだけの部屋を持つ。・・・土地はあまり広くねえから、あくせく働かなくていい。まあ、日に6時間か7時間だろう。一日に11時間も大麦を運ばなくたっていいんだ。作物の植え付けをやったら、そう、取り入れもおれたちの手でやる」

「おめえは袋を持って、ムラサキウマゴヤシの牧草地へ行く。袋にいっぱい詰めて帰ると、ウサギ小屋に入れてやる。6週間おきぐれえに、めウサギが子を何匹か生むから、食ったり売ったりするウサギはたくさんになる。風車のまわりには、子どものころ見たみてえに、ハトを何羽か飛ばしておこう」

「それに、これは自分の土地だから、だれも俺たちを追い出せねえ。・・・友だちがやって来たら、そう、余分の寝床を作っておいて、〈まあ一晩泊まってゆけや〉と言やあ、どうだい、そいつは泊まってゆく。セッター種の猟犬を一匹とまだらの猫を一つがい飼うが、おめえ猫にウサギの子をとられねえように見張っているんだぞ・・・」

 

はじめは、レニーにうながされていやいや語っていたジョージも、いつのまにか自分の語る未来の絵に魅せられてうっとりとなる。この語りは、二人の間で、何度も何度も繰り返されてきたものだろう。

金光教の取次では、一人の人間が直接神に向かって願うことは想定されていない。この小説のレニーのように、人間は一人では本当のところ自分が何を望んでいるのかさえはっきりさせることのできない弱い存在なのだ。

一方、相手の願いを聞き届ける取次者についても、特別に優れた人間であることが想定されていない。ジョージのように、心を開いて相手の願いをうけとめ、その願いの実現のために心を砕いて言葉を紡ぐことさえできれば、それで足りるのだ。

二人の話に耳を傾けていると、あたかも天地の恵みに生きる人間の理想的な暮らしが語られているかのように思えるから不思議だ。これが、取次という関係の力なのかもしれない。そして取次には、天地の間に生きる二人の人間が必要だ

小説の中でも、差別され孤独に生きる黒人の馬屋係クルックスが次のように語る場面がある。「大事なのは、二人が話しているということ、いや、話をしねえでただ静かにすわっているだけでもいい」と。

 

【『ハツカネズミと人間』と天地金乃神】

前回の「金光教アラカルト」を書いたあとで気づいたことがある。

あの文章の論点は、ジョージとレニーとの関係が金光教における「取次」に相当するものではないか、というものだった。

粗暴な大男である知的障害者のレニーは、小動物たちと暮らす無垢な夢をもっている。多少頭は回るが何の変哲もない流れ者のジョージは、レニーと連れ立ち、彼の無垢な願いを聞き続け、それを言葉にすることを促される中で、自らの本然の願いに気づき、それを格別に美しい物語へと昇華させる。

レニーにとってジョージが取次者であることはもちろんだが、ジョージにとってもレニーは取次者だったのだろう。二人の流れ者の間に、これほど美しい天地の物語が立ち上がり、周囲の弱者たち(虐げられた老人や黒人)の共感を集めたことのうちに、「生神金光大神」(神としての人間)の働きがあらわれていることを疑うことはできない。

それでは、金光教におけるもう一方の神「天地金乃神」(神としての神)はどこにいるのだろうか。

余談になるが、僕は金光教の勉強を続ける中で、金光教の魅力と可能性を十全に受け取るためには、「金光大神」と「天地金乃神」の二人の神の働きを明確に分けて理解することが重要であると考えるようになった。これは、教内の人々にとって、両者が不可分のものとして信仰されていることとは別の次元のことだ。

 取次の三者関係(氏子、取次者、神)でいうと、金光大神は取次者であり、天地金乃神が、神のポジションに立つ。神は祟り神や荒ぶる神でもあり、宇宙全体の因果の理法ともいうべき、人知のスケールを超えた「口をもたない」存在である

『ハツカネズミと人間』においては、金光大神は、レニーとジョージの対話の中に立ち現れて、二人に生きるに値する物語(「理解」)を語らせる。しかし、その希望が光輝いたその瞬間に、悲劇が訪れ、二人の仲は暴力的に切り裂かれる。

これこそが天地金乃神の働きの一部と考えることができるだろう。もちろんこの悲劇は意図的に起こされたものではない。1930年代のカリフォルニアという舞台の現実によってもたらされた悲劇であり、その悲劇を描くことで『ハツカネズミと人間』は名作として芸術的な命を長く与えられることになった。

坂口安吾は、『文学のふるさと』という短いエッセイの中で、不条理や絶望や虚無のなかに「突き放される」経験こそが「文学のふるさと」であると喝破した。柄谷行人はそれを「他者」に直面する出来事と解釈する。

おそらく、多くの思想や宗教にとって、他者に突き放される体験こそが、目覚めや覚醒のきっかけとして重要であるのだろう。金光教の教祖も「金神七殺」の過酷な体験を通じて神と出会っている。

金光教の独自性と魅力は、人間にとって避けがたい過酷な運命の裏側に、人間の願いと希望が確固として存在することを示したことだ。『ハツカネズミと人間』は、この大切な条理を簡潔に描いている

 

 

『金光教の本質について』を読む(第10回金光教研究会レジュメ①)

※5回にわたってブログに連載した記事をまとめたもの。変更等はしていない。

 

『金光教の本質について』(高橋一郎1949)を読む

 

【教えの外部に立つ】

この本は、井手先生と出会ったばかりの時に紹介されて、ネットの古本屋で手に入れて読んで、この教えに対する信頼を与えてくれた本だ。この本に出会わなければ、行橋教会への月参りや野中先生との勉強会を始めることはなかったかもしれない。

僕は宗教というものに距離を取って生きてきた。その立ち位置からあえて特定の宗教に肩入れすることは難しかった。特定の宗教を信じている人は、自分の生まれや知人との出会いなどの「偶然」のかかわりをその端緒にもっている。信じてしまえば、出生や出会いは「必然」と了解されてしまうだろう。これは政治的なイデオロギーなどでも同じことだ。宗教やイデオロギーの信奉者は、入門以前の端緒に立ちもどってゼロからその内容を点検し、自分の選択を反省するという姿勢はもっていない。

無いものねだりなのかはわからないが、それが僕に物足りなく思えるところだった。ところが、高橋一郎は、この本の第一章「金光教徒たることの反省」の中で、入門以前の場所にピタリと焦点を定めて、そこを論述の出発点にしている。

「我々が本教を信じるということは、わが生命が自由なる決断にもとずいて、本教徒になるということである。何者にも囚われることのない絶対自由、独立の人間生命が、自ら進んで、自らを本教徒として具体化すということである」(3頁)

井手先生も、若い時にこの本に出会って高橋のいう「反省」という言葉にひどく戸惑ったと話してくださった。まっさらな自由独立の人間として、金光教を選び取れるかと問い、しかも「今月今日」、一刻一刻の問題として、その選択をし続けることができなければ真実の意味における金光教徒ではない、と断言する。実に厳しい言葉だ。若き井手先生が戸惑ったというは無理のない話だと思う。

ただ、この厳しさがあればこそ、三年前に全くの部外者だった自分の心をひきつけ、納得させることができたのだろう。その時は、これほどの本が、金光教関連の出版社でも購入できず、古書店で見つけることも難しくなっていることが不思議だった。

今回読み直して、その理由がわかるような気がした。二度目に読んだのは昨年で、単身本部教会に参拝するときの新幹線の中で背中を押してもらうという、いわば非常時の読書だった。僕はその時の金光様の取次で、高橋一郎先生への感謝を伝えてもらったのだ。

だから久しぶりに冷静にこの本を読んでみると、熱量の大きさと内容の濃密さと厳しさにあらためて驚かされた。今年初めに『概説・金光教』の熱さに心を動かされたが、それどころではない。

この三年間で、僕も現在の金光教のあり様が多少わかってきている。井手先生や野中先生とのおつきあいを通じて、今の教内の雰囲気になじんできているところがある。正直なところ、今、教内でこの内容を受け止めることは難しいだろうと思えた。ただし、若き日の井手先生が手に取ったように、上の世代がこの書から大きな影響を受けたことはまちがいないだろう。それは、やはり戦争の経験が大きかったのだと思う。

1912年生れの高橋一郎は、15年戦争の渦中に青年期を過ごした。高橋正雄の息子として教団の内外の事情に通じていたはずだ。難儀な氏子を助けるはずの教えを説きながら、何百万人という人々を死に至らしめた戦争に、結果としてなすすべなくのみ込まれたという事実から目を背けることはできなかったのだろうと思う。

高橋一郎は、従来の教えの中にそのまま居座ることは到底できなかった。戦争という巨大な人災が、彼を教えの外にたたき出したのだ。教えの外部に立たされた者が、もう一度、金光教を選びなおすことができるのか、という厳しい問いかけに応えようと心血を注いで書いたのが、本書だった。おそらくこの問いに納得のいく答えを見つけることができなければ、信仰を捨てるくらいの覚悟をもって臨んだのだと思う。平明であるが厳格で一分の隙もない行文に、その覚悟がにじみ出ている。

ただし、当時は同様の思いを抱いていた教団関係者は多かったのだろう。本書は、終戦間もない時期に若い学生たちの要請によって書かれ、昭和24年に出版されている。ちなみに僕が手に入れたのは昭和41年(1966年)の三版で、それ以降の版はないようだ。高度成長期を経て戦争の記憶が薄くなってからは、本書のもつリアリティは急速に失われてしまったのかもしれない。

 

【生命の大願】

では、いったん金光教徒であることを白紙にして、一人の人間に立ち戻った時、高橋一郎はそこに何を見るのか。その内容が第二章の「人間の願」に描かれている。これは、自他を含めて全体の幸福を願い求めることである。少し長いが引用しよう。

 

「一事一物も犠牲にせず、自分と他人も、精神も物質も、人間も牛馬も、全世界のことより、箸の上げ下ろしに至るまで、すべての事、すべてのものが、各々その本分を尽くして立行くことのできるような世界と、それをめざしての生き方。自分のために他を利用するのでもなく、他のために自分を犠牲にするのでもなく、自他もろともに、天地人生の全体が生甲斐を感じて幸福であり得るような世界を、生命は心の底から願うており、そういう世界の建設を願うて生きる生き方こそ、我々は人間としてのほんとうの喜びを感じ得るのではなかろうか。自分と自分を取り巻く天地人生の一切万物が、共にその本分を尽し、各々其の生を全うして思い残すことのないような世界を求めて止まないのである」(10頁 ゴチック体は引用者)

 

このような大願とも至願ともいうべきものが、宗教の教えを離れた人間生命そのものに端的に内在することの「発見」が、本書の根底をなす眼目なのだと思う。

現代のわれわれは、これらの言葉を建前として形式的に冷めた視線で眺めがちかもしれない。しかし、長い戦争の時代の渦中にいた著者はどうだろうか。終戦直前では隣県の広島に原爆が落とされ、人間の意志によって落とされた爆弾によって数十万の人間の命を奪い、生き残った人々に塗炭の苦しみを味合わせている。地獄絵図のただなかにあって、上記の願いは、人々にとってそう願わずにいられない心の底からの思いだったはずである。

 高橋一郎は、戦争の衝撃によって教えの外にはじきとばされ、それがためにこの生命の大願をありありと自らのものとして実感し、発見することができた。

では、なぜ、教えの外でないといけないのか。たとえ金光教の教えであっても、教えの内側でこの認識を得るのは難しい。まして他の宗教や学問では、人間の存在は恐ろしく切り縮められた貧相な存在でしか了解されない。

例えば浄土真宗の勉強をすると、その教えの中身は、人間というものがいかに悪であるかが繰り返される。親鸞をはじめとする善知識は、優れた人間であるから尊敬されるのではなく、人間の悪を徹底的に自覚しているがゆえに(つまり自覚を持った悪人であるがゆえに)モデルとされるのだ。なんたる倒錯。

身近な例を出そう。僕が知っている学生運動出身の在野の哲学者のことだ。自費出版の二冊とネット上に膨大な量の原稿を残してすでに亡くなっている。彼の人間観は、自他は相争うしかないというもので、生涯にわたって自他の概念の裂け目を架橋するために自己流の論理のアクロバットを繰り返していた。目の前の命の営みの中に、自他の境界を乗り越える場面などありふれていることに目を閉ざして。またその人間観のゆえか、他者をののしり自分の思考の優越を誇示することを、少しもためらわなかった。

言葉は二項対立の切り分けを根底とする。学問であれ宗教であれ認識の世界に軸足をおくと、人間は、限定と争いと悪の相でしか描かれないことになる。すると高橋一郎のいう「生命の大願」は抑圧され、人間とは切り離された別次元の超越者に投影されることになる。

浄土真宗ならそれは阿弥陀の本願ということになり、経典を勉強してそれを解釈し、阿弥陀によって救われる道を探ることのみが重要になる。くだんの在野哲学者の場合は、自分の理論的努力のはての新しい存在論の構築が、「生命の大願」への唯一のルートとなる。これらはどれほど大真面目であろうとも、根本的に転倒した道筋だろう。

では、こうした倒錯に足をすくわれずに生命の大願をまっすぐに自覚した人間が、なぜ宗教に向かい、その中でも金光教を選ぶことになるのか。おそらく、このような理屈付けは、どの宗教によるものでもたいてい護教論となり、バランスを欠いた独りよがりに陥ると思う。ところが、高橋一郎は、この難題を、まさに金光教にしか通れないルートを通って、説得力をもって論じているのだ。

 

【大願の流れ】

人間は本来、宗教や哲学という制度の外においても、生命の大願として、「天地人生の万物万事が、細大洩らさず立行立栄んことを、心から願う」と高橋一郎はいう。しかしこのような大きな願いは、冷厳なる現実にぶつかって行き詰らざるを得ない。

この行き詰まりが本物で危機が深ければ、「人間の力と思いを超えた或るもの、或る大いなる力にすがる、たのむ、祈るという世界」が開けてくる。これが宗教の世界だ。

清沢満之の言葉を使えば、有限である人間が無限に向き合うところに宗教が成立する。清沢は、宗教の目的は、有限と無限との関係を明察することだとシンプルに定義する。ここでは、人間と宗教との出会いは必然的となる。しかし、特定の教派や教団との関係はどうなのか。清沢は当然ながら、それを語ることはない。

しかし、高橋一郎は、ここから、金光教という選択を必然として提示する。自分が挫折せざるをえなかった生命の大願を、金光教がありありと実現しているからだという。

金光教には、何よりも、生涯をかけてこの大願の祈りに殉じている金光様がいらっしゃる。さらに金光様を通じて、教祖以来の祈りが綿々と受け継がれ、教会の先生を通じて自分の所にまで届いている「願いの流れ」が存在しているのだ。

 人間の力と思いをこえたあるもの(生命の大願)が、一つの流れとしてありありと現に存在することに触れたら、その祈りに加わらざるをえないと高橋一郎はいう。

しかし、どうだろうか。どのような宗教団体であっても、自分たちは神の願い(生命の大願)に連なるものであって、それは教祖以来一貫していると主張するのではないか。高橋一郎は、金光様や教会の先生の内面には、生命の大願が満ちていると説明するが、それは外部からうかがうことができないものではないか。現にペテンであることが発覚した宗教団体の教祖であっても、言葉の上では神の言葉をもっともらしく語ったりしているのではないのか。

実際のところ、僕の体験上も、生命の大願を、教祖以来の金光様を軸として津々浦々の教会にまで浸透させている金光教は稀有な存在であり、この点では高橋一郎の説明は納得できる。しかし上述のような反論にそなえるためにも、金光教の外部にいる人間には、もっと端的な説明が必要であるように思われる。

それは、内面や言葉の問題でなく、振る舞いや行動や組織の次元の問題だ。

もし本当に万事万物万人の幸福を祈るというのならば、少なくとも人間に関して、教内の人であろうとなかろうと、所属や主義主張、財産や国籍などで対応に一切の差別を設けたらおかしいだろう。あるいは、組織内に権力関係や序列を設け、財貨や服装や役割分担等での明らかな不平等を許していてはおかしいだろう。

つまり、実際には営利企業と変わらないような組織や人間関係を維持しながら、万物への慈悲や愛を説いたところでまるで説得力がないということだ。残念ながら、そういう教団の方が一般的だろう。

では、金光教はどうなのか。本部の教会では、教団のトップである金光様が、一年中早朝から夕方まで座って、すべての訪問者に区別なく一対一で会い、その願いを聞き届けている。そういう暮らしぶりだから贅沢もできないだろう。服装は、教団の研修生とまったく同じ質素な和装だ。トップがこうであるから、全国の教会長のふるまいもそれにならっている。

僕は、この教団の姿に衝撃を受けた。人間の宿痾である権力と差別にあらがうという驚くべき営みを、さりげなく当たり前のことのように百数十年に渡って続けている。この教団としてのふるまいの背景に、高橋一郎のいう「生命の大願」が流れていることを疑うことはできないだろう。

 

【取次生かす/取次助ける】

独立にして自由な人間が動かされるのは、言葉ではなく、同じ人間の具体のふるまいや心からの願いに接したときであるという真理を、高橋一郎は本書の要に据えている。

これは、たいていの人が体験的に知っているにも関わらず、理屈や観念の世界に迷い込むと忘れがちな真理だ。僕は、教育行政の仕事をしていたから、この倒錯を現場をよく見てきた。たとえば近年では、主体的な学習(アクティブラーニング)を子どもたちに求める声が大きいが、それを全く主体的な学びができない教師が知識や技術で身に付けさせようとする。学びを喚起できるのは学ぶ人間の姿であり、願う心をひきつけるのは、実際に願う人の姿だけなのだ。指導書の理屈が人を動かすことができないように、経典の中の論理が人をつかむことはできない。

それでは、なぜ金光教は、天地人生の万物への願いを立ち上げ、それを一貫した流れとして現実化することができたのか。

それはおそらく人間の願い=助かりというものを、適切に取り出し、それに対応する仕組み(取次)を生み出すことができたからだと思う。教団の内部では、それは自明の営みだろう。しかし、外部の視点をもつ高橋一郎は、二つの概念の区別をつけることで金光教の達成を普遍的な言葉で説明しようとする。

それは「取次生かす」と「取次助ける」との区別である。人間存在を含む万物は「生かされて在る」、つまり「取次がれて在る」ことになる。これが世界始まって以来の天地金乃神の「取次生かす」働きになる。

この概念を置くことで、仏教の因果の法や自然科学の宇宙観などの普遍的な思想(世界宗教)への連絡も可能になる。高橋一郎の本を通じて、自然科学者が金光教に入信したという事実がこれを物語る。高橋一郎自身も浄土真宗の曽我量深を師として慕い、西田哲学等を学んでいたのだから、仏教や哲学との整合性を十分に意識していたはずだ。

しかしこの普遍的な働きだけでは、人間は真に助かることができない。人間のみが言葉をもち言葉によって観念の世界を生み出し、複雑な人間社会を生み出すことで新たな悩みや苦しみを招いているからだ。

しかし天地金乃神には「口がない」。ここに「取次助ける」ために金光大神が登場する必然性がある。

人間には言葉によって「取次助ける」ことが必要だ。このため取次は、一対一で向き合い言葉による納得とおかげを求める場所となる。金光教はこの取次を教えの中心にすえることで、人間の真の願いを十全に受け止め、人間を助けるための「願いの流れ」を生み出すことができたのだと思う。

ところで、金光教の関係者と話していると、天地金乃神と金光大神、金光様、親先生等の存在があいまいにつながっているように思えることがある。これは教えの本来の姿として、一貫した願いの流れの中にあるのだから、むしろ当然なのだろう。

しかし、二人の大きな神の存在性格が明確でないことは、教えの外にある者に納得を与える上では都合が悪い。高橋一郎の提起する概念によって、天地金乃神は「取次生かす」働きであり、金光大神は「取次助ける」働きであるというように定義することが可能となった。そのうえで、金光大神の登場の必然性と、取次の流れの本質をも説明することができる。これは、他者に対して言葉によって教えの世界を十全に語り、納得を得るためにはぜひとも必要なことではないだろうか。

金光教の普遍性を教外へと開くためには、高橋一郎の理論的な仕事の意義は今もなお大きいと思う。

 

【小括】

・本書については、後半にさらに様々な論点を見出すことができると思うが、力尽きた。後日を期したい。今までの議論をまとめて、現時点の感想を付け加えると、以下のようになるだろう。

・高橋一郎は、おそらく戦争の巨大な災厄の体験を通じて、金光教徒であることを白紙に戻して、独立自由の人間の立場から、金光教を選びなおすことができるかという真剣な思考実験を行ったのだ。

・日本の敗戦と数百万の戦死者を目の前にして、平時の「おかげ話」など何の説得力ももたない状況だったろう。

・これは、つまり、教えの外にいる人たちに対して、言葉によって金光教の本質を説明し、この教えに連なることを望んでもらえるかどうかという、力を尽くしての「取次」だったと言えるかもしれない。これは、言葉によって人を助ける金光教の姿にかなった試みだ。

・そして、この試みは見事に成功している。現に、無宗教だった僕が、この本のインパクトによって金光教の門を叩き、3年前から教会への月参りと昨年からの月例の勉強会を続ける後押しとなり続けている。

・今のところ、この本に匹敵する「取次」には出会っていない。教えの外にいる人を言葉の理解のみで引き込むルートとして、おそらく唯一無二のものではないか。この先人の優れた遺産が、古書の山に眠っている事態は、教えを求める人々にとって大きな損失であると思う。

 

・最後に僕なりに本書のポイントを列挙してみよう。

①世界全般が立ち行くようにという「生命の大願」を人間誰もが備えているものとして、その事実を出発点に置いたこと。

②金光大神の願いがこの「生命の大願」であり、歴代の金光様を通じて、教内で願いの流れとして具体化、現実化していることを指摘したこと。

③「生命の大願」の実現に挫折した人間が、その純粋な現れである金光教の願いの流れに帰一する必然性を示したこと。

④天地金乃神の働きを、「取次生かす働き」として定義することで、世界を普遍的に理解する宗教や思想との共通のベースを開き、世界全体とかかわる道を示したこと。

⑤金光大神の働きを、「取次助ける働き」と定義することで、言葉を話す人間を助ける金光大神とその「取次」の必然性を明らかにしたこと。つまり「取次助ける働き」によって、「取次生かす働き」の全体が初めて完成するという関係を示したこと。

 

国東塔について

僕は今まで石塔の造形についてさほど興味はなかった。もちろん、五重塔や三重塔、多宝塔などの繊細な造形美をもつ木造の塔にはあこがれていたのだが、石をいくつか積み重ねただけの石塔には興味を持てなかったのだ。

だから、国東好きとはいえ、国東半島とその周辺のみにあるという国東塔(約140基)を目にしても、ほとんど印象に残らなかった。

ところが昨秋の訪問で、岩戸寺の国東塔を見てから、その印象が一変した。

岩戸寺奥の院というドラマチックな景観の中の、大岩の上に設置されているというロケーションがよかった。文化財に関心がある者にとって「重要文化財」というレッテルの効果も抜群だ。弘安6年(1283年)の造立というのも、鎌倉期なら造形感覚を信用できるという気持ちになる。

よく見る五輪塔にいくつかの要素が足されているだけと思っていたが、様々の形状の石材が一定の約束事にのっとって、すらりとバランスよく積み上げられている造形は、なるほど独立した「塔」として鑑賞することができた。

ところで、この春に秋本先生が福岡市内の工房をたたんだために、国東半島のアトリエへの訪問の機会が増えている。これからは観光名所だけでなく、もう少し細かい見どころを楽しむことができるだろう。

それで、今回は、別の国東塔を見に行くことにした。国東半島は中心の山々から、たくさんの尾根と谷が放射線状に伸びているが、海沿いの外周路から、小さな谷の一つに入り込んだ。小規模の集落をぬって、細い道を入り込んでいく。かなり走って点在する家々が切れかかるあたりで、文化財名の書かれた掲示板があった。

指示通りとはいえ少し怪しみながら、農家の明らかに敷地内を通り、裏手の急な石段を登ると、林の中に小規模な墓地がひらけた。中山間地の集落ではごくありふれた風景だが、そこに特別なものがあった。

高さ4メートルに及ぶ巨大な国東塔があったのだ。長木家(ちょうぎけ)宝塔は、鎌倉時代(元享元年 1321年)造立の重要文化財。岩戸寺のようなロケーションのよさはないが、樹々にかこまれていっそう量感を際立たせている。近くには県指定文化財の巨大な板碑もあって壮観だった。

帰りがけ、農園に人がいたので、見せていただいたお礼の声掛けをした。とても柔和な顔をしたお祖父さんだ。国東半島の谷の奥で、裏手の先祖の墓を代々守ってこられたのだろう。敷地内もおそらく好意で公開していただいているのだと思う。

「今日は雨でしろしいですね」とにこやかに話してくれるのもまた国東らしい。「しろしい」は、博多弁で有名だが、大分や山口の一部でも使われる方言で、うっとうしいの意。

 

 

 

 

昭和の商店街を歩く(次男の子育て)

次男が国東一泊旅行について来るという。次男と泊りがけのドライブをするのは3年ぶりくらいかもしれない。

次男は子どもの時から大きめのホテルのレストランで食事をしたりお風呂に入ったりするのが好きだったので、彼が3年前に仕事をいったんやめて2年間の求職+職業能力開発校在学の期間中も、何度かドライブを企画して誘ってみた。

ところが遅れた来た反抗期で、特に父親への拒絶感が強いために、近年は同行は無理だとあきらめていた。年に何回か妻の用件で国東に行くのだが、その時も声をかけることはなく、本人も当然のように留守番を引き受けていた。

今回は妻に行ってみたいと言い出したらしい。国東のアトリエの秋本先生に会いたいというのが理由だが、2年目に入った事務仕事がうまくいっているため精神的にもゆとりが出たことも大きいだろう。次男が来るならと、彼にとって初体験のロッジでの宿泊を予約することにした。

ただ、行き返りの3人のドライブの時間はともかく、二日間、昼間の妻のアトリエでの作業中は二人きりになってしまう。これは互いにちょっとつらい。

結果的にこの問題はうまく解決した。二日目は妻の作業の見学をしたいといって、次男はアトリエに残ることになった。次男は年配の人との交流を苦にしない。昼食では秋本先生のカレーをお代わりしたり、森の中のアトリエの展示室で本を読んだりしてのんびり時間を過ごしたようだ。

初日はというと、二人で豊後高田市の「昭和の町」に行った。古い商店街をそのまま観光資源にする手法で、25年前にスタートしている。訪れたことはあるが、リピーターになるほど見どころの多い場所ではない。

ただし、次男は、少しレトロだったり渋かったり地味なものを好む趣向がある。単独行動も好きだ。それで、その町で2時間ほどお互い自由行動することにした。その間、次男は、かつての給食風の定食をふるまう店で昼食を取り、電気屋で小さな焼き物の電気コンロ(古道具)を千円で購入していた。ちなみに帰宅後は、このコンロで焼き鳥の缶詰を温めて、満足そうに食べている。商店街を走るボンネットバスにも乗りたかったと残念そうだ。いつかまた行きたいと言い出すかもしれない。

昭和の町への往復の時間、車の中で、久しぶりにまとまった話をすることができた。次男の仕事についてはひとまず目途がたったけれども、次はこの先住み続ける場所だ。

特別支援学校の先生はグループホームの利用などをすすめていたけれども、やはり自分の生まれた町で自分の家で暮らすのが一番気楽なはずだ。最近、施設暮らしの親戚に会ったのでますますそう思う。

築30年の今の自宅は、補修してもそこまで長くはもたないだろう。部屋数の多い二階家は管理も大変だ。どこかの時点で、メンテナンスフリーの平屋の家に建て替えれば、次男が一生無理なく暮らすことができるかもしれない。経費はかかるが、お金を残すよりもかえって安全な資産になるだろう。

問題はそのタイミングだ。親だって病気になれば自分のことだけで精一杯になる。3人暮らしの間は、今の家のスペースが必要だ。片親が亡くなるぐらいのタイミングで家を建て替えたら、そのあと次男の終の棲家になってくれそうだ。そのためには、住居に対する考え方や建て替えの手法などについて事前準備しておく必要がある。家族の今後についての様々なシュミレーションが必要だ。

次男にはこの件を、ごくあっさりと話した。自分がどこに住んでどんな暮らしがしたいか、ぼんやりとでも考えておいてほしいと。こんな話を聞くのは初めてだったためか、次男は黙って聞いていた。

僕自身は場当たり的で計画性など持ち合わせていない人間だけれども、親の仕事を全うするために、もうひと頑張りしようと思う。

 

 

 

 

海辺の教会で(金光教アラカルト⑳)

旅先で、時間ができた。金光教の教会に寄ることおもいつく。たしか宗教建築の解説書で、金光教建築の典型例としてのっていた教会だ。だから初めは、建物を見せてもらうことが目的だった。

街道から海の方に続く古い商店街のおくに教会はあった。古いお宮のある道で、商店街にも活気が残っている。空気が明るいと思ったら、すぐ近くに海が広がっている。

玄関に入ると、ちょうどお祭りが始まったところだった。11時過ぎである。建物は妻入りの二重屋根は古式で立派だが、外壁も内装も改修されていて古さを感じない。建物よりも、お祭りの雰囲気に釣り込まれて参加させてもらうことにした。

鉄道も通っていない半島にある町だが、古代からの信仰で知られた土地柄だ。のどかさの中にも、信心のゆたかさが感じられる。

座敷の手前に座っていると、教会長の息子さんが椅子に座るように促してくれる。信奉者の方が、拝詞集の冊子と紙を手渡してくれた。

お祭りがおわって、僕はすぐに退席するつもりだった。教会長にご挨拶したら、いつものように経緯や理屈を口走ってしまうだろう。それがこの場にふさわしくないように思えたのだ。結局いつものように、べらべらと話し過ぎてしまうことになるのだが。

玄関をでたところで、住宅から出て来た息子さんのお嫁さんにお礼のあいさつをする。誘われて、教会に戻り、教会長さんのお話を聞くことになった。

構えの全くない、真っ正直なお人柄に、この教えの奥行きの深さを感じることができた。自分にわかっているのは、生命が与えられたおかげの事だけだ。それだけをお話しして祈念すると言われる。それ以外はそれぞれのことだとお笑いになる。

結界で1時間近くお話しして、帰るときには信奉者の人たちは後ろのテーブルで若先生と歓談していた。お饅頭やジュースをいただいて、お別れする。