大井川通信

大井川あたりの事ども

三浦清一郎先生のこと

昨年末に三浦清一郎先生(1941-2023)が亡くなったことは、後になって風の便りで知った。新聞も止めているし、退職もしたので情報が遮断されがちなのだ。波乱に富んだ人生を送られたと聞いていたが、僕が知っているのは、晩年社会教育の独立の研究者であり実践家として地道な活動をされていた姿だ。同じ市に住んでもいた。

定期的に開催していた研究大会などでは、歯切れのいい口調で、普遍的な視野から新しい論点をわかりやすく打ち出して、地元にファンも多く人気も高かった。その内容を毎年のように著作にまとめて出版を続けていたが、全国的にはそこまでの影響力はもっていなかったと思う。

自身の高齢化に対抗する手段をいろいろ工夫して発表されていたが、詩の暗記と朗唱もその一つだった。達治とか光太郎とか好きな詩人が僕と重なっていたので、朔太郎の「墓」という詩を紹介して、コピーを渡したことがある。気に入ってくれて、これを暗記しましょうと言っていただいた。

僕は、大学時代、地域の社会教育活動で、学芸大に出入りしたことがある。地元の公民館の社会教育主事に、長浜功先生(1941-)を紹介されたのだ。長浜先生は、若い頃に教育者の戦争責任論で頭角を現したが、後年、柳田国男から宮本常一石川啄木と研究対象を広げた底力のある研究者だ。長浜先生が北海道大学出身だったのを覚えていたので、三浦先生にお話しすると、ずいぶん久しぶりに名前を聞いたと驚かれた。

同じ研究室で学んでいたそうだが、三浦先生によると、長浜先生は恩師を裏切ったので許せないということだった。長浜さんは体制批判の左翼だし、三浦さんは保守派だろうから、スタンスの違いが若い二人の対立を招いたのかもしれない。

ところで、今回驚かされたことがある。三浦瑠璃という若手の人気国際政治学者がいて、テレビでよく見かけた。それが夫の会社経営での不祥事と関連があるとして、メディアから干されてしまった。その経緯なども人気学者のスキャンダルとしてよく耳に入った。

三浦清一郎先生の奥さんはアメリカ人で、夫婦関係のあれこれは講演や著書でもよくとりあげられた。その三浦夫妻の息子さんが、三浦瑠璃の夫だったことを、ネットで初めて知った。三浦先生ご自身も、かつて大学の経営に関わって不祥事に巻き込まれたと聞いている。息子さんの事では心配されたことだろう。

僕の学生時代の師匠は、1940年代初め生まれの「焼け跡世代」が多かった。岡庭昇も柄谷行人も今村先生もそうだ。長浜、三浦両氏も同世代だったと気づく。彼らも80歳を過ぎて訃報を聞くことも多くなった。三浦先生の冥福をお祈りしたい。

 

 

傘一本

朝の通勤電車はたいてい立っている。偶然前の席があけば座れることもある。夕方は一般の通勤客より少し早い時間なので、途中からでも座れる確率は高い。いずれにしろ40分程度の乗車時間だから、特に困ることはない。

今朝、つり革につかまって本を読んでいると、とある駅で、90歳くらいのおばあさんが乗ってきて、入り口に近い端のシートの前に立った。シルバーシートとは反対側だが、たまたまそこにスペースがあったのだろう。

目の前には、セーラー服の女子高生が座っている。かなりの高齢はおばあさんの姿にすぐに気づいて、声をかけて席を譲った。おばあさんも感謝してそこに座る。女子高生は、扉の脇のポールに背をもたせるように後ろ向きに立った。たぶんその姿勢が楽だったからだと思う。

何駅か過ぎて、おばあさんが席を立って降りる。本当は席を譲った女子高生が右隣りに立っていたのだが、視力も弱っているおばあさんはその姿を見失ったいたのかもしれない。とくに声をかけることもなかったから、その席には前に立つ別の若い女性が座った。

リセット。女子高生の好意と行動がつかのま開いた「人助け」の空間は、あっけなく元に戻って何事もなかったような日常に戻った。

おばあさんと、女子高生と、それを見ていた僕の胸のいくらか暖かいものを残して、何の変哲もない、順番に座り、順番に並び、順番に出ていく味気ない日常の世界に戻ったのだ。その暖かいものも、それぞれが電車を降りて、学校や病院や職場やらの目的地に向かう時には、ほんの痕跡くらいになっているだろう。

金光大神のあとをついで広前に座った金光四神様は、教祖の取次の道を唐傘一本に例えている。雨の日には、唐傘一本で楽になれる。その傘一本を指しかける、それでいいのだと。この話を、僕は渡辺順一さんの本で知った。

いつもの通勤電車の中で、小さな「傘一本」が開かれて、何事もなかったようにまた閉じられる。その振る舞いも「取次」であり、そこに顔を表したものこそ「神」なのだろうと思う。

 

 

 

 

『神様の涙』 渡辺順一 2012

金光教徒社の「みち」シリーズの一冊。このシリーズを読むのは3冊目だが、読み応えのある本ばかりだ。すっきりした新書サイズの装丁もよい。

第一部では、著者は自分史を振り返りながら、金光教の神とその出会いを率直に語っている。短いが魂のこもった文章だ。一方、第二部では、歴史的な事実に即して、金光大神をはじめとする様々なテクストを読み込みながら、独特な角度で金光教の本質に切り込んでいる。なめらかなストーリーになっておらず、ぎくしゃくとしている分だけかえって立ち止まって考えることを誘われるようだ。だから、僕も、自分の関心に即して断片的な紹介をしてみたい。

タイトルの「神様の涙」とは誰の涙なのか。これは生神金光大神ではなく、天地金乃神の「涙」である。天地金乃神には「口」がない。だから、金光大神が登場することで、初めて自身の意思をこの世に現すことができて、氏子を助けることができるようになったのである。それまでは神はなすすべもなく涙を流すことしかできなかった。いや、正確にいえば涙さえ知らなかったのではないか。

このあたりのことは教祖の伝記や教典に書かれているエピソードだが、ここに注目したのは鋭いと思う。僕なりの解釈はこうだ。この世界(宇宙)は、命をはぐくむとともにそれを無残に奪うという両面を持っている。人間的な基準からいえば、善悪をあわせもち、慈愛の神であるとともに荒ぶる神でもある。

ではこの世界に産み落とされたものはどうしたらいいのだろうか。リアルにいえば、この世の善と悪に翻弄されつつ歩みをすすめるしかないだろう。しかしこの世の善を絶対のものとして信じるという生き方もあるはずだ。善悪とは究極には解釈(わが心)の問題なのだから。

金光大神は、実意丁寧な生き方により、世界にいわば「目鼻口」をつけて、世界全体を善意の神として生まれ変わらせた存在だ。こうして初めて、神は人々の幸せを喜び、その不幸に涙をながすことができるようになった。

悪に取り囲まれた難儀な氏子に、善意の神を出会わせるのが、金光大神の取次である。しかしいったんこの取次が成立し、悪を善に転換する回路(みち)が出来上がると、その取次は誰もが行い、自ら媒介者としての生き神となることができる。

著者は、天地書付において金光大神と天地金乃神と氏子との「三者関係」のなかで「おかげ」が生み出されることが明確に定式化されたと述べているが、これはきわめて重要な指摘であると思う。

著者の渡辺順一さん(1956-2023)は、金光教の教会長であると同時に、優れた教学者でもあり、ホームレス支援などの実践にとりくんでいた。井手先生も懇意にされていたという。昨年7月に亡くなられたというのはとても残念だ。

 

 

手帳はなぜ壊れたか?

僕は1月はじまりのビジネスダイアリーを使っている。若い頃はハンディな手帳だったが、中年過ぎてからは中型のビジネスダイアリーになり、50代後半になって老眼がすすむと、一回り大判のものを使うようになった。

ところで、昨年の夏に、初めてこのビジネスダイアリーが壊れてしまったのだ。カレンダーの見開きのページが割れて、背表紙部分の接着剤が見事にはがれてしまった。派手な壊れ方だったし、今までそんなことはなかったので、びっくりした。

後での話だが、ネットで修繕の仕方を調べて、速乾性の木工用ボンドを背表紙部分に塗ってクリップで止めて乾かし、見開き頁の割れにテープをはって補強したら、全く元通りになったので事なきを得たのであるが。

これは一大事だ。まだ8月に壊れるなんて明らかに欠陥商品だ。制作した日本能率協会に電話をかけて、窓口の女性に商品番号を読上げて、僕はやさしく語りかける。こんなことは初めてだから、なにか製造工程に欠陥があったに違いない。僕はどうこう言う気はないが、きっと同様な苦情が入っているだろう。ぜひこれからの製造工程の改善に役立ててほしい。

僕は得意だった。これは間違いなくメーカー側が100%悪い。僕の方に問題があるなんて思いつきもしなかった。

ところが一年近く経った今、自分のビジネスダイアリーの使い方をながめながら、ふと思い当たることがあったのだ。

僕は5年くらい前から、ビジネスダイアリーの活用方法を完成させた。仕事は黒ペン、プライベートは青ペンで予定や内容を書き込み、後からの追記やチェックは赤ペンで行う。余白のページなども、メモや記録に使い、とにかく一冊ですべてまかなうこと。これでビジネスダイアリー一冊の負担はとても大きくなった。

さらに、2年前に退職して仕事内容が軽くなってからは、仕事中もビジネスダイアリーを机上に広げておくことが多くなった。業務量が減って扱う書類が少なくなったからだ。そうやって広げっぱなしになったビジネスダイアリーのうえに肘をついたり、ものを載せたりして背表紙部分に過度の負担をかけていることに気づいたのだ。

こんな想定外の使い方を繰り返していたら、早晩背表紙部分が悲鳴をあげてはがれてしまうだろう。まったく僕の使い方の問題だったのだ。あれほど得意そうにメーカにアドバイスしていたのに。

いやはや人生にはどんな見逃しがあるかわからない。思い込みはほどほどにしよう。

 

九太郎とボンちゃんの急接近?

九太郎は、我が家に来てから丸5年。ボンちゃんは、3年半になる。つまり、二匹は、もう3年半も同居しているのだ。

はじめ、同居を始めた猫同士は、3か月くらいで仲良くなると教えられた。しかし少しずつ慣れているように思えても、いっこうに仲良くはならない。とくに九太郎は、ボンちゃんが近づくと、ハーッと威嚇することが続いた。たまに気まぐれで、九太郎の方から近づいて、鼻と鼻とをくっつけようとする場面もあったが、一過性に過ぎなかった。

原因は明らかに、九太郎にある。親元から生後二カ月で引き離されて我が家にやってきた彼は、猫としての社会性が欠落している。そのあと一年半、人間とだけ暮らしてきたから、人間としての自覚が育ってしまっている。それに先住猫としてのプライドもある。

一方、生まれてから半年間、子猫の時期を大勢の仲間にもまれてきたボンちゃんは、あくまで猫としての自覚がある。だから、初めはボンちゃんの方からアプローチしていたが、この気難しい兄ちゃん猫には、すっかり音を上げてしまった。

ボンちゃんは、仲間や家族を決して噛んだり爪で引っかいたりしない。これは子猫の社会の中で学んだことだろう。一方九太郎は、反射的に噛んだり引っかいたりしてしまうので、僕もだいぶ傷を作った。おそらくボンちゃんにも痛い思いをさせているのではないか。これではボンちゃんが恐れてしまう。

たしかに、近頃九太郎のハーッといううなり声を聞かなくなった気がする。しかしそんなふうに感じたことはこの3年間で何度もあった。そこから先が進展しないのだ。

ところが昨日、妻が送ってくれた動画を見ると、小さな猫のベッドの上と下に並んで横になって、お互いいろいろちょっかいを出し合っている。一分ぐらいじゃれあっている。

今までなら、偶然二匹が鉢合わせすることがあっても、どちらかが手を出すとすぐに離れてしまっていた。今回は、ボンちゃんも反撃されても逃げたりはしない。猫パンチも本気ではなく爪も出ていないのだろう。

帰宅後も同じようなじゃれあいを目撃したから、かなりの頻度で行われているのだろう。これは明らかに新次元の出来事だ。

妻によると、何年も仲の悪かった猫同士がお互いをなめあうような仲良しになった動画をYouTubeで見たそうで、我が家の猫たちもそうなるかもしれないと期待をふくらませる。

 

 

 

オジャさんに手品

次の日、おなかの調子と気分がすぐれないので、職場の地階にあるコンビニに、栄養ドリンクを買いに出かける。東南アジア系と思える若い男性がレジをしてくれることが多いが、今日は、名札を見ると「オジャさん」だった。

小銭で金額を出そうとしているとき、ふと手品をしてみようと思いついた。今までの人生でお店のレジで手品をしたことはない。(スナックのカウンターでならあるけど)

両方の手のひらにのせた10円玉をすばやくテーブルに伏せると、二枚とも左の手のひらの下に移っているという、得意の手品だ。一回目は失敗。それをごまかして、二回目では成功し、オジャさんは目を丸くしてもう一回見たいという素振り。

こういう時、リクエストするのは万国共通なのだなと思いながら、三回目をやると、うまくは出来なくてタネがばれてしまった。オジャさんはニコニコしている。

ここで教訓。

やはり、老化で手品の手腕は落ちていると思った。老化に対抗するためには練習あるのみ、だ。

もう一つは、あとから気づいたが、おなじようなシチュエーションでも、今まで手品をしようなどと思ったことはなかった。レジがすいていたこともあるが、やはり昨日、グエン君と小さな交流があったことが大きいだろう。

人種や国籍、グループの違いなどが生み出す敵対感情のコリをほぐすのは、ちょっとした触れ合いなのだと思いいたる。

 

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グエン君の替え玉

知り合いの奥さんが事故で亡くなった。奥さんとは面識はなかったが、だんなさんの方は30年近い付き合いで、いろいろお世話になっている。通夜や告別式は奥さんの関係者だけで終えたということだったが、自宅に弔問に出かけた。

午後から仕事を休んで、近くのバス停で降りると、先に昼食をとっておくことにした。長浜御殿という屋号の長浜ラーメンのお店がある。あとから調べると、人気店らしく実際に美味しかった。以前何度か食べた本家の長浜ラーメンは好きでなかったのだが、ここならリピーターになってもよい。

ただ、お店の中でちょっとした事件があった。カウンターでラーメンを固めんで注文すると、すぐに提供されたのだが、食べようとするまえに、カウンター越しにさらに麺がどんぶりに追加されたのだ。これがこの店の調理の仕上げの流儀なのかと思ったが、それにしても変だ。

僕の席の近くにいた店長らしき人が、「グエン君、グエン君」と慌てて声をかける。調理場の外国人グエン君が、僕を替え玉客と間違えたらしい。店長はラーメンを出しなおそうとしてくれたが、僕はこれで食べるからいいと断った。食べている最中に、グエン君も謝りにきた。

美味しかったこともあり、僕は替え玉を足された大盛ラーメンを完食した。替え玉分の料金を払うつもりだったが、店主はラーメン一杯分の料金しかとらなかった。なるほど、店側からしてみれば、客が注文もしていない替え玉の代金を取るわけにはいかないだろう。グエン君の勘違いのおかげで、僕はもうけた気持ちになった。

弔問を済ませたあとに、近所の氏神にお参りした。急な石段の上の樹木が覆いかぶさった秘密基地のような鎮守の杜で、境内には生き物のような庚申塔が祭られて、雰囲気のよい場所だ。知り合いの奥さんの冥福を祈ってから、バスにのって帰る。

 

追記:実はあまり食欲がなかったので、軽めの昼飯をとろうと思っていたが、周囲にラーメン屋しかなかったのだ。そこへ大盛ラーメンを無理に食べたために、この夜にはお腹を壊して苦しむはめになった。禍福はあざなえる縄の如し。

 

 

 

 

冨士見通りの景観

3月に東京に帰って、実家のあった国立の駅前を歩いているとき、冨士見通りの異変に気づいた。駅前ロータリーから西に伸びる冨士見通りは、富士山にまっすぐに向かっていて、天気さえよければ突き当りに富士の雄姿を見ることができる。ところが、その時ふと見やると、道沿いに建設された遠くのビルのために、富士の姿は半分以上隠されていたのだ。

僕は中学時代の国語の先生から、冨士見通りを題材にした草野心平の詩を教わった。大人になってから初めてその光景を意識して、それを写真にとり短文にまとめたりした。それが知り合いの手によって、現代美術の展覧会に展示された。

こんなふうに僕にはいろいろな思い出のある景観だったから、それがふさがれたことには愕然としたが、一方でそんなものだろうという諦めの気持ちもあった。大学通りや駅前ロータリーの景観も高層マンションの林立ですっかり損なわれている。街のシンボルといえる駅舎でさえ失いかけたのだ。もう実家もなくなったし、国立から足をあらうきっかけになるような気がした。

ところが今日、ネットのニュースでびっくりするような進展を聞くことになる。マンションを完成させたハウスメーカーが、販売前に突然解体を宣言したというのだ。景観や日照権で住民の反対運動は継続していたが、法令上も手続き上も瑕疵のない状態での自主的な判断なのだそうだ。

メーカーのトップが、実際に冨士見通りに立ってみて、遠方からの富士の景観に配慮が足りなかったことに気づいての判断なのだという。数十億の損害となるだろうから、額面通りの説明は受け入れがたい。「関東の冨士見100景」に選定されていることも多少は影響したのだろうが、よくわからない。

だから何かに文句をつけるのが商売の「識者」たちからは、さかんに批判めいたコメントが発信されている。経済原則やコスト感覚に反することは彼らには気持ちが悪いのだろう。だだできれば静かに見守っていてほしい。せっかくのありえない逆転劇なのだから。街で守るべきものが、守られる。それだけの当たり前でまっとうなことなのだから。

 

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『金光大神論の課題』 島薗進 2004

島薗進は高名な宗教学者であって、金光教の理解も深く、いくつも論文を書いている。今回初期の「金光教学と人間教祖論」(1979)を読んですいぶん勉強になると当時に、やや腑に落ちない部分もあったので、おそらく見通しがよくなるだろうと思って比較的新しいこのブックレットを読んでみた。

実は昨年8月に一回読んだのだが、内容をうまく受け止めることができなかったのでこのブログにも感想を書くことができなかった。この一年の経験で太刀打ちができるようになったかと思ったのだが、実のところ、むしろいっそう納得することが難しかった。

その理由を考えてみる。

著者の議論はとても図式的だ。宗教学で常識とされる概念を振りかざして、それを金光教にあてはめて理解しようとする。この傾向は、初期の論文よりもさらにいっそう顕著になっているから、金光教の信仰の内側に入った理解に届いていない気がする。これは何も信仰しなければわからない、などという神秘的な屁理屈を言いたいわけではない。

金光教の隠しようもない立体的な世界を、平面的な図式で切り取ったような味気無さがあるのだ。著者の議論を、おおざっぱにたどるとこういうことになる。

金光教は、日本の民衆宗教一般と同じく「現世主義」に立っている。戦後教学の「人間教祖論」もこの地平にたつものだ。しかし現世における救いには限界があり、宗教の本質は本来現世を批判するその「超越性」にある。金光大神は、「現世主義」に立っているから、「超越性」の指標である「死」についても「悪」についても多くを語っていない。しかし、教祖の語りの奥には、この二つの指標についての独特の理解を読み取ることができる。この点を深めることが、金光教の今後にとって大切になるのではないか、というものだ。

純粋に教学研究の分野の内部のことでいえば、その研究の方向を示唆する有益な指摘(ブックレットは教祖没120年関連行事の講演記録)なのかもしれない。しかし、金光教を「超越」不足であるのが前提であるような語りは、この宗教についての重要な何かを取り落としてしまっているように思えてならない。

まず悪の問題。金光大神が向き合うのは「難儀な氏子」だ。なぜ氏子が難儀なのか。それは人間たちが、自然の恵みとともにその暴力(悪)にさらされ、あるいは人間が作り出す善とともに悪にさらされているからだ。人々は「死」を含む「悪」の包囲の中で四面楚歌に陥っているのだ。果たして金光大神は悪を語ったのか、などという悠長な問いが出てくるような現場ではない。

だからこの世を統括する神も、当然ながら悪を容認する荒ぶる神であり、天地金乃神ももともとは金神として人々に恐れられている存在だった。

金光大神の「本願」は、善悪ごちゃまぜの神の世界の「意味転換」を図り、氏子に善を届けるという点にある。そのための手法が神と人の間にたつという「取次」だ。そして何より重要なのは、金光大神が開いた取次の道をモデルとして、歴代の金光様がまったく同じように実践し、各教会でも、各信奉者においてもそれが実践されているということだ。

絶えず人間の難儀と荒ぶる神とに向き合いながら、二つの超越の間で意味転換を発生させ善なる世界が実現する(これが「神が生まれる」ということだろう)ことを願う。

これが簡単なことでないことは、金光大神が生涯かけて取次の席に座って分け隔てなく氏子を迎え入れて取次を行い、今もそれが営々と続けられていることからもわかる。この困難な営みを「現世主義」などとどうしていえるだろう。

それからもう一つ。宗教学者は、救いとか救済とかいう言葉で済ましてしまうが、金光教を従来からの概念で理解できると考えることは間違いだろう。個人の救いではなく、人を助ける(人が助かる)ことが最大の目標だからだ。

救済ならば、超越者である神に向き合う信仰者という二者関係があれば足りる。しかし、金光教の最小単位は、超越者と取次者と氏子という三者関係だ。取次者にとって、他者である氏子が助かることが目指されるのだ。それは同時に取次者が助かることでもあり、比ゆ的に神が助かることでもあるといわれる。

高橋一郎ならば、金光大神の取次による「意味転換」によって新たな世界が広かれ、以後誰もがこの意味転換に参加できるようになったと考えるだろう。だからこそ、この宗教が信じるに値するのだと。なんと超越まみれの教えではないか。

 

 

行橋詣で(2024年6月)

初めて月例祭に参加する。たまたま訪問日と重なったのだが、正装した井手先生の祭礼での立ち居振る舞いに触れて、身が引き締まる思いだった。いつもしていただいている個人的な礼拝との違いは、祭礼では先生がこちらをむいて立教神伝を読上げる場面があり、また最後に説話があることだ。先生は唐津の知人からの電話のエピソードをきっかけに、大隈重信のことに触れられた。聞きごたえのあるお話だった。

終了後に、いつものようにお話をうかがう。教師の衣装の話が出て、実は金光教も、他宗教のように戦前は位階による衣装の違いみたいなものがあったのだという。神社でも寺院でも新宗教でも、たいていは神職や僧侶等の細かい位があり、それによって衣装にまで区別がある。そのような差別は本来的な宗教の世界観とは相反するはずだが、序列好きの人間の営みのなかで招き寄せてしまう弊害だ。

では、なぜ金光教は敗戦をきっかけに本来の姿に戻すことができたのか。それは農民出身の教祖の姿が「ひな形」として常に目の前にあったからではないかと井手先生はいう。教祖をあがめるのではなく、あるがままの教祖の姿を「くぼいところ」(低く窪んだところ)という取次の場で常に体現する、意識する。時の教主(金光様)が率先してそのお手本となる。

僕は、島薗進の論文やブックレットを読んで、どうにも腑に落ちないということを話した。宗教学者は取次の構造とその画期的な意味合いを、まるで問題にしようとしない。だから超越性の不足みたいな議論が平気でできてしまうのだ。「超越」とか「救済」とかのありきたりの語彙では、金光教のリアルをとらえることはできない。

人を助ける(人が助かる)という最大目標は、神と人という二者関係ではなく、取次という三者関係を最小単位として実現する。先月から金光教の研究や論文化というトピックで舞い上がって思考停止になっていた自分には、久しぶりに目の前が開けたような気がした。先生には、宗教対話の構想についても聞いていただく。