大井川通信

大井川あたりの事ども

どうあげ先生と議論する

吉塚駅前のシアトルズベストコーヒーで、どうあげ先生と待ち合わせる。どうあげ先生は、もう10年以上のつきあいになる思想系の読書会仲間だが、この一年くらいは会をお休みしているから、ひさしぶりに話をすることになる。「どうあげ」は実は僕のつけたあだ名なのだが、その由来は省略する。

昨日の記事に書いたように、思想系の読書会は難しい。その中でどうあげ先生は信頼できる読み手であり、とくに飲み会ではムードメーカーとなって、うまく読書会参加のモチベーションを保っているように見えた。ただ詳しく聞いたわけではないのだが、低調な議論と得るものの少なさという読書会の実情の前で、心が折れる場面もあったのだろう。なんどか会を長期離脱した経験のある僕には、彼女の気持ちはなんとなくわかる。

どうあげ先生は、大学院でプラトンを研究してイギリスに留学したが、思うところがあって研究者を断念した。帰国後は行政書士に転じて、結婚後も自宅マンションを事務所にして仕事に精を出している。英語に堪能だから、今は外国人労働者の手続きの仕事が多いらしい。僕も実家の譲渡手続きでお世話になった。

参加を始めた当初は、しっかり本が読める人という印象だったが、ある時点から僕と本の読みが一致することがあることに気づくようになった。しかも他の参加者に通じないような琴線に触れる部分で。これは読書会を通じて初めての経験といっていい。

印象に残っているのは、このブログにも感想をアップした『急に具合が悪くなる』と『生まれてこない方が良かったのか?』の2著に対する反応だ。両書とも、哲学研究者が人間の生と死の問題に視線を向けて分析しようとした本だ。どうあげ先生は、この二つの本に対して顔を真っ赤にして怒ったのだ。

実は、僕も同じように腹を立てていた。しかし普通に考えればこんな哲学書に対して怒る方がどうかしているだろう。実際、参加者の中の大学教師や在野研究者には、僕やどうあげ先生の怒りはまったく通じていないようだった。

僕が腹を立てた理由のあらましはこうだ。僕は家族のもとに生まれてきて育ち、仕事に苦しんだりしながら暮らしを立て、やがて老いて死んでいく。この一筋縄ではいかない生活の領域には、強固なリアリティと様々な実践知が錯綜し堆積している。僕が生や死について向き合うとき、生活にどっぷりつかりながら、その場の微妙な作法に従いつつ泥縄で考えていくしかない。誰もがそうするしかないし、少なくともそうすることはできる。

比較的に若い世代の研究者たちが、そこに土足で踏み込んできて、外来の単線的な理屈を当てはめることで、生活の領域がくまなく明らかになると思い込んでいる姿勢に腹が立ったのだ。それがひどく薄っぺらい態度にしか見えなかったのだ。

その薄っぺらさは、僕が読書会でいつも感じてきたことでもある。生活の領域に入り込めない理論や概念は、共通了解されることなく知識として流通しているだけだ。学者や知識人同士なら概念のゲームを楽しむことはできるだろうが、それは生活の領域に切り込む武器にはならない。

もし一般市民の、つまり生活者の思想系読書会が意味を持つとしたら、流行の理論や概念の共通了解(そんなものは生活者には重荷だろう)に頼るのではなく、生活の領域のリアリティこそを共通了解の地盤として、思想的な書物を読み解いていくというスタンスが必要ではないかと思う。

どうあげ先生の考えはまた別のところにあるに違いないが、僕が彼女の真っ赤な怒り顔に共感したのは、生活者の読書会の成立の可能性をそこに見たからだった。

ところで、今回どうあげ先生に会うきっかけになったのは、先週の東浩紀のミーティングで彼女を見かけたからなのだが、これも不思議な符号のような気がする。『観光客の哲学』以来の東の仕事が僕にも魅力的なのは、今だ手つかずの「生活の領域」の概念化を、東がていねいに行っているように思えたからだ。

新著の『訂正可能性の哲学』でとりあげられた、固有名によってあいまいに存続し、絶えざる訂正可能性にさらされている「家族」の領域こそ、僕たちが生きている身近な生活のありようを概念化したものといえるだろう。このあたり、早口で話す余裕しかなかったが、どうあげ先生も同様の問題意識をもっているように感じられた。

安部本を一冊献呈する。生活の中に祈りを立ち上げることが切実に思えて、金光教の教会に通っている話もする。別れ際に聞くと、どうあげ先生は僕より15歳若い。安部さんが僕に人間の死に方を見せてくれたように、こんどは僕が彼女たちの世代にそれを見せる順番なのだと、ふと思う。心しようと。