大井川通信

大井川あたりの事ども

『ハンチバック』 市川沙央 2023

読書会の課題図書だが、100頁にも満たない作品だから、ブックカフェで読み切ってしまい、購入しなかった。もともと、こうした芥川賞受賞の話題作を読むのは苦手で、読書会への参加にも後ろ向きになっていたところだった。

ところが、そういう悪意の先入観をもって読み進めたのだが、小説として悪いものではなかった。むしろ好感がもてる作品で、文庫化されたら購入してもいいかなと思えるくらいだった。

読書会の事前の設問は、理由を二つあげて(肯定的か否定的かの)評価をしなさいというもの。当日本は持参できないので、覚えているうちに回答のメモを作っておこう。

肯定的な評価の理由として、まず一つ目は、難病による障害者としての生活を、当事者としてリアルに描いているということ。具体的な制限や困難が、一つ一つしっかりとした手ごたえをもって、たんたんと描かれているのがいい。最近の小説では、生活感のないふんわりぼんやりした似たような登場人物ばかり読まされてきたような気がする。

二つ目として、障害者の主人公とすることで「社会問題化」されやすい論点や細部を多く含むことになっているが、そういう切り出し方ができにくいような、つまり白黒はっきりできないような深部を描いていること。彼女は単純な弱者ではなく、ネット上では自分なりの活動を行っており、リアルでも経済的には強者だといえる。

主人公は、ネットを駆使して、ネットのまとめ記事やエロ小説を執筆したり、SNSを自分の欲望のはけ口に使ったりしている。「清く正しく」暮らしてはいないが、それをことさら露悪的に描いているのではない。親の遺産によって建てられたグループホームのオーナーとして生活しており、経済力によって介助職員を自分の性処理に誘ったりする。もっとも男性職員の方も彼女を見下しており、上下関係はねじれ反転する。

重量のある紙の本への告発や、中絶にあこがれる障害者の性の問題が語られるが、あくまで当事者としての本人の欲望やグチというスタンスを崩していない。それが社会的な正義に昇格するような気配は消されている。(作品外では、著者の読書バリアフリーの主張が独り歩きしているようだが)

読書会の設問の二つ目は、「意味のよくわからなかった」部分をあげるというもの。小説の最後に、聖書らしきものの断章とはさんで、また別の小説らしきものの一部が追加されている。これが何かというものは問題となるだろう。

おそらく大学生で性風俗店につとめる女性を主人公とするフィクションで、主人公が執筆した小説の一部という意味合いだろう。この小説自体は、主人公自身が経験できない奔放な性や娼婦性へのあこがれのようなものがベースになっているのだろうがそれだけではない。

この断片の中で、女学生は、兄が障害者の女性を殺して刑務所に入っているという告白をするが、この殺された障害者には主人公の姿が重なる。主人公は、自分が誘った男性職員(これが原因で施設を去っている)に自分を殺させることで、架空の自己処罰を夢想しているのだ。このあたりの関係も、かつての障害者対健常者の図式で前者が「被差別正義」であるという思い込みでは片付かない関係のねじれが見て取れる。

 

※ 以下は読書会後に参加者と掲示板でやり取りしたものを引用。

Tさん自身も、この小説をある角度から全否定する友人の発言の紹介から話を始めたと思いますが、この薄い小説は、個々の細部や話題、技法に分解してみた場合に、たいして面白いものは残らないのではないかというのが僕の印象でした。
当たっているかどうかはわかりませんが、長くコバルト小説?のようなものを書いてきた著者には、作家としての自意識とか、純文学の技法についてのこだわりとかを求めてはいけないのではないか、という失礼な発言もしたような気がします。
ただしこの作品に魅力がないのかというとそうではなくて、仮に通俗的な細部や社会問題として目をひく主張やありふれた技法の集積ではあっても、それらが有機的に結合した全体において、薄っすらと、しかし確かに唯一無二であるようなリアリティがとらえられている。
Bさんが、一度読んだ時には嫌悪感しか抱かなかったが、二度目読むと、純粋(あるいは清潔)なものが流れているのを感じたと話していたかと思いますが、その読みの逆転を促すような作品世界の質があると僕も思います。